闇夜に咲く花火を見つめるそいつから、
目が、離せない。
【花火】
鼓膜を震わす蝉の鳴き声を聞きながら、俺は震動する携帯の画面を眺めた。
榛名元希、しっかりと刻まれた名前。
止まらない震動。
俺は顔をしかめながら、通話ボタンを押した。
「しつこい」
「隆也テメェさっさと出やがれ!」
耳に響く怒鳴り声で、そいつとの会話は始まる。
「何の用すか。早く言わないと切りますよ」
「あぁーもうクッソ生意気!人がせっかく誘おうとしてんのに」
「何にですか」
「来週の土曜、お前空いてる?どうせ空いてるよな?」
そいつからの誘いは、シニアの頃以来であった。
あれからほとんど連絡も寄越さないで、今更なんだってんだ。しかもどうせ、って強制かよ。
こっちが意を決して誘った時は、練習を理由に断りやがったくせに。
(その行為に腹が立って、それから俺は自ら奴へ連絡するのをやめた)
「俺その日は練習なんで」
「馬鹿俺が誘ってやってんだぜ、一日位休め」
その言葉に頬の辺りがぴりっと疼く。
「ふざけんな!同じ球児なら仕方ないって分かんだろ!?」
「一日だけっつってんじゃねーか!来週は…」
「とにかく絶対行きませんから。俺はあんたみたいに勝手じゃねぇよ」
そう言って間を置かず、ぶつっ、と電話を切った。
はぁ、と小さく息をつく。
胸がぐらぐらと沸騰する様に熱い。
「今更なんだよ…あんたとは、もう二度と顔合わせたくないのに…」
心にむしゃくしゃしたものを抱えたまま、一週間は過ぎた。
ふとあの人は俺を何処へ連れて行くつもりだったのだろう、と考えたりもしたが、その度また怒りが込み上げてきて、俺はなんとかあの事を忘れようとしていた。
午後、練習の真っ最中。
キィン、キィンとバットがボールを弾く音が鳴る中、花井が俺に声を掛けてきた。
「阿部、お前今日の夜空いてる?」
「え?今日練習夕方までか?」
「あぁ、らしーぜ。そんでさー、今日近場で花火大会があんだよ。監督が息抜きに皆で行ってきたらどう?だって」
「花火…」
そういえば昨日家族がそんな話してたっけ。
祭なんて、野球ばっかでしばらく行ってないけど。
「皆大丈夫っつーからさ、お前も来いよ」
「ん…いいよ」
頷くと、そっか、と花井が微笑む。
すると田島が何々、阿部も来れるのー!?と駆け寄ってきた。
他のメンバーもバッティング練習を終え集まって来て、久しぶりの息抜きに会話を弾ませた。
そんなメンバーを見ながら、俺も自然と顔に笑みが浮かぶ。
「じゃー6時に駅集合な」
練習が終わり、更衣室にて花井が言う。
はいっと元気よく一同が頷いた。
『やっぱりあいつから連絡…ねぇな』
駅の時計の針が6時を指してもまだ来ない奴ら(田島、水谷、三橋)を待ちながら、俺は携帯を開いた。
水谷から謝罪のメールが来ているだけで、携帯の画面が光る事はなかった。
『怒ってる…かな』
再び誘ってくれるのを期待しているわけじゃなくて、ただ嘘(になってしまったもの)をついた事に、少なからず罪悪感を感じていたのだ。
何度も携帯を開いて全員の集合待っている内に、メンバーは揃った。
じゃあ行くか、と花井が先頭を歩く。
どんどんという太鼓の音に、人でごった返す大通り。
祭の雰囲気に皆の気分は高まっている。
俺はやっぱりあいつの事が気になって、回りの会話に加われずにいた。
「うわーっ屋台いっぱい出てるなぁ!」
田島が無邪気に駆け回り、人込みの出来ている屋台をぴょんぴょん飛び跳ねて覗いたりしている。
花井に何か買ってーなどとねだっている辺り、さすが末っ子とその保護者な関係だ。
「あ、べく…っ」
「ん、何?三橋」
「わたあめ…食べない?」
相変わらずきょどきょどしている三橋が、目を輝かせながら側の屋台を指差した。
高校生にもなってマジかよ…と驚いたが、三橋ならなんだか許せる気がする。
わたあめと言えば、あれ食べてる奴かわいーよなーとかあいつが…
『うわ…またかよ!』
脳内に浮かんで来た奴の顔を、かぶりを振って消し去る。
全く、自分に嫌気がさすな…
「俺は良いから、田島誘え。あいつ綿菓子とか好きだろうし」
「そっ、か…わかった!」
三橋が田島の元へと走っていく。
後ろを振り返れば、水谷達がヨーヨー釣りに真剣になっていた。
それぞれマイペースではあるが、祭を楽しんでいるみたいだ。
そんな奴等をぼうっとしながら見ていると、前方から突き抜ける様な田島の大声がした。
「阿部ー!来いよ!おじさんが自分達でわたあめ作らしてくれるってー!」
割り箸を持った手をかざす田島に、目をキラキラさせてわたあめの機械に見入っている三橋。
んな事頼んだのかよ、と田島の好奇心からくる行動力に感心しながら、俺はそちらに向かって歩き出、そうとした。
「隆也、」
そうとしたのに、俺は後ろから来たその怒気の籠った声に、進みかけた一歩を踏み出す事が出来なかった。
「お前…練習は」
冷たく言い放たれる言葉に、どくんどくんと心臓が跳ねる。
まさか、
振り返った途端、自分よりも高い位置にある目と目があった。
「は…るな…」
そこにいた人物の表情は、怒りより悲しみに近い感情を表に出したものだった。
「あ…」
その予想外の表情に、言葉が詰まる。
「ご…ごめんなさい」
無意識に発した言葉に、そいつは眉間の皺を寄せた。
その顔を直視出来なくなって目線を下に落とす。
奴の後ろから、榛名何してんの、という会話が聞こえる。
それも束の間、
「ちょっと来い」
感情のない声で、そいつは俺の手首を痛いくらいに握って引っ張った。
駆け足に連れられ、人の群れを割いていく。
それに気付いた田島達が、何か声を上げた気がした。
「何してんですか…っ離してくださ…」
走る足は止まらない。
ぎりぎりと、手首に力が加わっていく。
「いた…っ離せって!連れがいんだから!」
俺の訴えを無視して、そいつは無言で走る。
走りに走って人が疎らな場所まで通り越し、終いには静かな街へ出てしまった。
それからそいつは尚も俺を引っ張り、寂れたビルの階段を駆け上がる。
バタンと激しくドアを開ける音がして、漸く足が止まった。
しかしそいつは俺に背中を向けて肩で呼吸するばかりで、まだ沈黙を貫いている。
「はぁ…っは、わけわかんねぇ…」
息を整えながら口許を拭い、力の抜けた身体で柵に凭れ掛かる。
そうして俺は、奴の口が動くのを暫く待った。
「わけわかんねぇのはテメェだ」
「………」
「俺に嘘つきやがって」
「…っ別に俺は嘘ついたわけじゃ………」
(いや、結果的には嘘か…)
真っ暗で星も見えない夜空を見上げる。
重たく伸し掛かってきそうだ、とその時俺は思った。
「そんなに俺と会うのが嫌かよ…」
「だから違うって!」
「じゃあ、じゃあなんなんだよ、阿呆隆也…」
表情こそ見えなかったものの、そいつの声は今にも消え入りそうな位弱々しかった。
落ち込んでいる様なその背中を見て、悪い事をしてしまったと後悔する。
初めて目にする奴のそんな姿は、俺の心臓を鈍く締め付けた。
「すみません…俺本当に今日は練習で…でも途中から皆で祭行こうって、なって…」
必死に理由となりそうなものを掻き出す。
黙ったままの奴に、混乱して泣き出しそうになった。
「嫌とか本当そんなんじゃなくて…むしろ俺は、ずっとあんたに…」
一言、一文字、吐き出す度に込み上げてくる、積もり積もった感情。
言葉にしてしまうのが何故か恥ずかしくて、怖くて。
前に進もうとする奴を、無理やり引き止める事となってしまいそうで。
「ずっと…ずっと、本当はずっと待ってて…」
なのに久々に見たあんたは、どこか遠くて、以前とは変わって見えた。
あんたが何を考えているのかも、何を大切にしているのかも、どう話をすれば良いのかも分からなくなって。
離れ離れになった事が辛かった。苦しかった。
心だって身体だって遠ざかって行って、近くにいた頃が夢だったみたいに思えた。
そんな不安に押し潰されそうになった時、あのメールを送ったんだ。
あの時は素直になんか、なれなかったけど。
「ずっと、元希さんに…会いたかったのに……」
その瞬間、どん、と空で音が生まれた。
その方向に顔を上げると、間近に、大きな光の屑が街に向かって落ちていった。
「あ…」
「…これ、一緒に見ようと思って誘ったんだぜ?一番綺麗に見えそうなとこ、探したんだからな」
そいつはそう自慢げに笑った。
俺は空に伸びていっては開き、落ちていく花火を見てから、また奴を見た。
花火の光に照らされた、とても柔らかな笑顔だった。
「いつでも会う機会なんてあんじゃねーか。暇な時はどんどん誘え阿呆隆也」
そう言ってそいつは、熱い熱い手で、俺の右手を強く握った。
「………」
「うぉっ隆也感動したかー!」
「…阿呆に阿呆とか…言われなくないっす」
「は!?オイ今なんつった!?」
笑顔から一変怒り出した奴と入れ替わりに、俺は声を出して笑う。
一年経っても変わらない、
俺達の距離。
それを強く確認する為に、
俺はそいつの手を、強く強く握り返した。
榛名元希は笑う。
俺のよく知る、以前の榛名元希そのままの笑顔で。
(俺はあんたのその顔が一番好きだよ、
元希さん)