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ある冬の日の事でした(HA)

街が赤白緑の三色とイルミネーションに装飾され始めた頃、俺はその人の隣りにいた。

確かに貴方は、あの頃、俺の隣りにいたんだよ。



【ある冬の日の事でした】



寒空の下、口許まで覆うマフラーの上の赤い頬。
黒いセーターの食み出た学ランの前ボタンをきっちり留め、身を縮めながら歩を進める。
ああ寒いと一声。彼は身震いした。

冷風は鼓膜を刺しひゅうひゅうと忙しく鳴いている。実際は寝癖の残る彼の髪を多少靡かせる程度の微風だったが、それはとても冷たい走る空気だった。

彼は小さく鼻を啜る。俺は不安の心境が見て取れる目でそんな彼を見上げた。

「まさか風邪引いてるんじゃ」

彼は赤鼻を擦って白い息を吐き出し呟いた。

「ちっげぇよ」

そこで響く大きなくしゃみ。
彼はまた鼻を啜って濁点付きの唸り声を上げた。
咽喉の掠れる兆しが見える。
彼は眉を釣り上げながらちらとこちらを見た。

「心配すんなよ。…顔引きつってんぞ」

慌ててマフラーで顔半分を隠す。そんな事言われようが、これは自分の性格から来る癖であって、直しようのないものだ。だが改めて指摘されると気恥ずかしい。

彼は元より一部異常なまでに神経質だったが、根は鈍感な男であった。風邪の引き始めなどになかなか気がつかなそうな。
だから余計心配になる。

俺は右のポケットから熱を発している懐炉を引っ張り出して、彼の左手に握らせた。

「これ、元希さんにあげます。ちょっと温くなってますけど」

「あ?お前は」

「俺両手分持ってるんで」


左のズボンのポケットを叩きながら俺は再び顎にマフラーを寄せる。彼は数秒俺をまじまじと見てから、懐炉を握り締めて小さくどうも、と礼を言った。



それは商店街を抜けて葉の落ちた並木道を歩いている最中の事。
彼は心地良さそうに懐炉を頬に当てて目を閉じている。
目、開けてないと危ないですよって声を掛けると、右手の袖を遠慮がちに掴まれた。
無意識に火照り出す頬に左手を宛行うと、手が熱を吸い取ってくれて気持ち良かった。
彼の役に立てて、彼に礼を言われる、なんて事珍しいから、余計嬉しさが込み上げてくる。
彼は俺に寄り添う様にゆっくりとした速度で歩く。
今度は俺の方からしっかりと彼の左袖を掴んで、口を開いた。



「元希さん…あの」



その時、吹いた突風に思わず身体を縮こめる。

人通りのない並木道にびゅううぅと空気の走る音。
それに重なった、大きなくしゃみが2回。
即座にしまったと口を塞いだ。

「隆也お前…」

「…っ違いますから今のは!あぁあんまジロジロ見ないで下さい!!」

「いーから、ちょっと顔かせ。熱みる」



一瞬彼の手が俺の頭を引き寄せたかと思うと、それまで少し高い位置に合った双瞳がぐっと俺の鼻先まで近付き、額同士が触れた。
顔がぼっと赤く染まる。

「あ、の…」

「…………しゃべんな」


「顔、あけーのに熱ない」


大きな瞳の彼に見つめられ、息を呑んで数拍。彼の額は離れた。



「……元希さんも」

不貞腐れた顔をすると、彼は意表を突かれたみたいに目線を上へやってからマフラーをたくしあげた。

「あと、これ返すから」

「え…?」

「懐炉、お前どうせ1個しか持ってなかったんだろーが。ホラ手貸せ」

言われるがままに右手を差し出すと、先程渡した懐炉を握らせられた。
それから、その弱い拳を彼が両手で包み込む。


びっくりするくらい予想外な、温かい手。
手入れされているのか男にしては滑らかな手で、性格に似つかわしくない様に思わず笑みが零れた。


冷えきった指先へ、彼が自分の熱を分けてくれる。
手ぇ、大事にしろよって彼が笑う。


右手が暖まったら今度は左手。どちらも冷水に浸したみたいに冷たい筈だったのに、彼の温もりは失われなかった。


照れくさくそうで心地良さそうで嬉しそうな彼の笑った顔。
それにつられて俺も同じように、緩やかに目を細めた。







確かに貴方は、あの頃、俺の隣りに居たんだよ。俺は次の冬もその次の冬も、貴方とこうやって、寒い寒いって言いながら笑い合う毎日を、確かに、あの頃、思い描いていたんだよ。




(そうして今俺は貴方の元へと歩いています。たくさんの懐炉と厚手の手袋の入ったビニール袋が揺れています。貴方はこの冬、誰の隣りに居るのでしょうか。)







あきゅろす。
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