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待っていた(HA)


西浦の駐輪場に停められたサドルの高い自転車は、数年ぶりに目にする物だった。
錆び付いた金属に破れかけた篭、そして、俺がよく腰かけていた荷台。
彼は手を引いて、再び俺をそこに導いた。



【待っていた】



数年ぶりに触れる彼の背中は温かく、そして広かった。
突然かつ久しいこの行為をどう受け止めれば良いのかよく分からず、そしてどう対応するかも躊躇した。

榛名はそんな俺を気遣うでもなく促すでもなく、高いサドルを跨いだ。
左足にペダルが掛けられる。
俺は慌てて荷台に座って、思わず榛名の制服を引っ張った。
あぁ、こんな事したら伸びてしまうかななんてまた戸惑っていると、自転車がじわりと動き始めた。
行くぞって小さく合図して、榛名は勢いよく地を蹴った。



不安定を安定に持っていこうとふらつく自転車は、やがて二人乗りとは思えぬ程にすいすいと進み始めた。
無音の住宅街に自転車の走る音だけが微かに響く。
このまま何処へ連れていかれるのだろうかと一抹の不安が過ったが、何処でも良いか、と思った。
この荷台の冷たく固い感触が何故か懐かしく、心地良くて、俺は榛名の制服をもう一度深く握り直した。



「あのさ」



ふいに榛名が切り出す。
道路と歩道が一緒になった道は通行量が少なく、加えてこの至近距離。走行中ながらよく聞き取れた。



「何でこの前勝手に帰ったんだよ」



当然の事だが榛名の顔は正面を向いている為見えないが、その声色からむくれているのがすぐに分かった。
この前、とその内容を思い浮かべて、最後に会った春体の事を思い出した。
待っとけって言われたって、何話して良いか分からないし、話した所でただ喧嘩して終わりだろうと予想し、それを回避しただけだ。
榛名は試合中だったし、一言言って帰るなんて呼び止められるに決まってるんだから勝手に帰っただけで、悪びれては、いない。
だってこんな状況ですら、以前のように上手く言葉が見つからないのだから。



「まぁ、だから来たんだけどさ」



榛名が少しスピードを落として言う。



「あの後お前がいれば、うちの勝利祝いに飯でも奢ってやろうと思ったのによ」



なんだそれ。胸中でそう思った。普通逆だろ。
しかし榛名が奢りとは、想像がつかない。



「だから代わりに、今日は隆也にジュースでも奢ってやろうと思ってさ」



再び理由を付け加えて榛名はペダルを漕ぐ。
こいつの提案はよく分からない。前から少しズレてる所が多々あったけど、変わらねぇな。



「俺この辺よく知らねぇから、自販機かコンビニあったら言えよ」



どうやら榛名は本気で俺に何かを奢ろうとしているらしい。
天変地異の前触れだろうか。
シニアの頃ではそんな事、ありえない榛名元希の行動5本の指にでも入りそうなものなのに。



今日の榛名はおかしい。
いや、昨日からおかしかったかもしれない。いやもっと前からだろうか。
何せ比較検討が2年前だから、いまいちうまく掴めなかった。



「あ、自販機みっけ」



すいっと方向転換して、榛名は数台の自販機が陳列する屋根とベンチ付きのバス停に向かった。

キキィッと耳障りな音を立てて自転車が停止する。
俺はふらついて危うく荷台から転げ落ちそうになった。

榛名がそんな俺を見て笑う。
榛名の、共に過ごした1年程の期間でも珍しかった、屈託のない無邪気な笑顔。
それを見ると、急に熱く痺れる感覚が心臓の内側から染み出るように生まれた。
あの時と変わらぬ妙な感情が、目を覚ました。



「あ、あの…」



「あ?…んだよ」



「何で、来たんですか…」



会話をやり取りしながら、相手の顔色を伺っている事に嫌気が差した。
どうして榛名の反応が気になるんだろう。言葉を選んでいるんだろう。

2年前まで自然に紡がれていた言葉が今はひどく困難で、正解を探している。
思わず泣き出したくなる程にぎこちなかった。



「来ちゃ…悪いかよ」



「………」



「言いたい事山程あったから、会いに来たんだよ」



ぶっきらぼうにそう告げて、榛名は一人自販機に向かった。
財布を開けて小銭を入れ、当然の如く清涼飲料水のボタンを2度押した。
俺達は夏、いつもそれを自転車の篭に入れ、強い日光の照りつける広い歩道を並んで走った。



「この間奢れなかったし。ちょっとは先輩に良いとこ見せよーとさせんのが後輩だろ」



そう言って榛名はボトルを俺に投げつけて、日陰になっているベンチに腰掛けた。
一人自転車の横に突っ立っている俺と、ベンチでボトルのキャップを開けている榛名。
史上最強のマイペース人間。
相変わらずのその姿に、笑みが溢れた。



「あちぃからこっち来いよ、隆也」



榛名が手招きする。
吸い寄せられるように身体が動く。
相変わらずの服従っぷり。変わらぬ俺達の関係。



「元希さん、」



「あぁ?」



「……いや…ジュース、ありがとうございます」



「……ん」





飲みかけのペットボトル2本が篭の中で転がっていた。
やっぱり外は暑いってんで、先程ファミレスで話を続ける事に決めたのだった。

彼の熱い背中に額を寄せる。
後ろから抱き締めて、ずっと溜め込んでいた思いを込めた。

これほど近くにいれば、伝わってしまうだろうか。



すると彼の微かな笑い声が聞こえたので、俺は照れ臭くなって身を起こした。





ずっと待っていた。
貴方が迎えに来てくれるのを、ずっと待っていたんだ。







あきゅろす。
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