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アドレス(HA)


冬の訪れを朝のニュースが告げた週、携帯電話を片手に、俺は悩んでいた。



【アドレス】



「えっ隆也、元希のアドレス知んないの?」

先週、ある要件についての連絡を取りたかったため、先輩と携帯のアドレス交換をしたのが事の発端だった。

「はぁ…知りませんよ」

「えっなんで?隆也、今じゃ元希の専属捕手なのに」

携帯のアドレスを交換する際、先輩が「俺のアドレス元希が知ってるから、送ってもらって」と言ったのに対し、俺が「あ、俺元希さんのアドレス知らないっす」と返したので、先輩はきょとんとした顔をした。
俺の携帯に、戸田北シニアメンバーのアドレスは結構登録されている。俺はメール無沙汰ではあったけど、チームメイトとは練習の真剣な話、時に日常の他愛もない話などをメールでやり取りした。


では何故俺がよりによってバッテリーを組んでいる元希さんのアドレスを知らないのかと言うと…答えは簡単だ。

「特に必要性がないからです」

「いやいやいやあるだろ!なんかこう、打ち合わせ的な…」

「あー…元希さん、人の提案聞かないし、わざわざメールで話す事もないんですよねぇ」

あぁ…まぁな…と先輩は半分納得して半分脱力した。変な事だろうか、と首を傾げてみる。大体、あの榛名と今更文面で何を語らえば良いんだ。まともに会話すんのだって、他のチームメイトや先輩と比べたら10倍くらい気遣うって言うのに。
俺は練習外にまで奴の為に使ってやる労力など、生憎持ち合わせてはいない。

「…でも、知ってた方が良いぜ。お前らちょっとバッテリーのわりに距離置きすぎだから」

「…はぁ」

「そっからちっとでも仲良くなれるかもだろ。んじゃ聞いとけよー」

そう無責任に告げて、先輩は着替えを済ませて出ていった。
そんな事言われたら強制的に元希さんのアドレスを聞く決定じゃねぇか。
釈然としない思いを抱えたまま、俺は早々に身支度を済ませて帰路についた。



それから5日経った今現在、俺はロッカールームにて携帯を片手に悩んでいた。
練習開始時間より早く来てしまった為、他の皆は各々休憩を取っている。元希さんはまだ来ていない。
俺は暫く石像の様に固まったまま悩んでいた。元希さんに何と言ってアドレスを聞き出すかという直前に迫り来る事態に対しての悩みから、元希さんのアドレスはどんなので、メールに絵文字は使うのか(多分使わない)とかいう下らない事、そしてやっぱり文章でやり取りしたって喧嘩になるのかという真剣な内容まで一通り悩んだ。
しかし結局いずれにせよ答えなど出ず、奴はやって来てしまったのである。

「ちす」

ぶっきらぼうな挨拶と態度を振り撒きながら、奴はやって来た。

「も、元希さん…ちわ」

「…お前、どうしたんだよ」

へ、と元希さんを見つめる。彼は眉間にシワを寄せながら、方眉を吊り上げた。

「シャツとベルト全開で携帯握り締めやがって」

その言葉にはっとして、俺は自分の身なりに目をやった。着替え途中に携帯を扱っていたため、元希さんの言う通り、俺の格好は制服のボタンは全開でベルトはゆるみっぱなしという、なんともだらしのないものだった。
恥ずかしさでたちまち顔が赤くなる。それを見て、元希さんはぶはっと吹き出した。

「隆也まぬけ!」

「うぅっうっさいな!」

あっはははと大声を挙げて笑う元希さんに、部員達の目線は集まる。俺はとりあえずベルトを締めながら、どうしようもなく下を向いた。
恥ずかしくて堪らない、けど、どんな形であろうと元希さんが笑ってくれるのは、何だか少し嬉しい。

「んな携帯に夢中になりやがって、くそがき!」

「いって!」

俯いたまま思いっきりデコピンされて、俺は額を押さえながら元希さんを見上げた。
いたずらが成功した子供のような笑顔は、元希さんによく似合う、と思う。

ムカつくし悔しいけど、俺は元希さんとのこういうやり取りは好きだ。喧嘩したり無視されたりするよりずっと、からかわれて笑われる方がましだ。
先輩が昨日言ったように、俺達はバッテリーなのにお互いの距離なんてちっとも近くなんてない。
俺はホームベースの定位置からプレートを踏む元希さんを見る時、ピッチャーとキャッチャーってこんなに離れてたんだっけ、と思う。
それまで組んできたピッチャーとは感じなかった、果てしなく遠いような距離感。そしてその間に何か大きな壁があるように感じていた。

喧嘩したり馬鹿にしたり、そんなのじゃなくて。
俺は普通に、元希さんと笑っていたいのに。

「あの、元希さん」

「あ?」

「俺、…えぇと」

携帯をぎゅっと握り締めて言葉を探す。
本当はこんなものに頼りたくないし、頼ったってこの関係が変わるとも思い難いけど。

「俺、元希さんのアドレス知らないんで…教えてもらえませんか」

元希さんが少し目を丸くして驚いた顔になった。そして数秒間を置いて、「聞いてどうすんだよ」とか言いながら携帯を取り出した。

「元希さんとメールするんです」

「は、なにそれ」

真剣に言うと元希さんはまたふっと笑った。あ、普通に笑った、と思った。



勝手に登録しとけよ、と携帯をぽんと渡されて、俺は自分の携帯にちまちまと元希さんのアドレスを打った。よく分からない文字列のそれは案外短く、打ち終わるのにそう時間は掛からなかった。

「じゃあ俺のアドレス送ったんで…返して下さいよ」

「あーハイハイ、めんどくせーな」

返された携帯を開きながら、元希さんは自分のロッカーの所へ歩いていった。
俺は一仕事終えた気分でふぅと息をつき、ようやく着替えの続きに取り掛かった。
これで少しは距離が縮まれば良いと仄かな期待を胸に、手にした携帯をロッカーに置いた、途端。

突然携帯が震動し、ロッカーを震わせてバイブ音を鳴らした。
慌ててそれを取り出し開くと、新着メールが一件。開くと、先程登録したばかりの人の名前。
さっき俺が送った、メールの返信だった。



from:榛名元希

sub:RE:今日はよろしくお願いします。

おう。



短くて淡白な一言。
すぐ近くにいる人からの、言葉にしたら本当に軽いただの返事。

ただそれだけの。
白さが際立つその画面を、俺はしばらく見つめていた。







あきゅろす。
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