俺が阿部と榛名さんの関係を知ったのは、高校2年の時だった。
帰り道の途中で別れたはずの阿部とばったり会ってしまって声をかけると、曲がり角から出てきたデカイ影が俺を見下ろした。
その人物と阿部が一緒にいるのにまず驚いた俺が呆然としていると、影は勝手に自己紹介して、阿部の肩をぐいと引き寄せた。
「こういう関係」
阿部がその人を突き飛ばすのは、3秒くらい遅かった。
俺は生まれて初めて、同性愛というものにぶち当たった。
【彼の行く先】
「俺はあの時もう一回、アイツの事をサイテーだと思ったよ」
阿部が頼んだハンバーグにグサリとフォークを突き刺した。
俺の知ってる阿部は、3割方くらい怒っている。
高校を卒業し、お互い就職まで果たした所なのに、阿部は未だに三橋か水谷か、それから榛名さんに対していつも怒っている。
「言うか!?フツー。異常だろ!シネ!と思ったよ。全力で殴り飛ばしてやろうかと思った」
ハンバーグを大口を開けて頬張りながら、阿部は険悪な顔つきで言った。
そこで全力で殴りきれないのが、阿部という男だと思う。
「そうだ花井、田島のメアド知ってる?」
「あーうん、どうかしたか?」
「元希さんが知りたいって。俺こないだ間違って消したみたいでさ」
「け…消したってお前…」
さらっと平気でそんな事を言ってしまう所も、阿部だと思う。
神経質で几帳面な性格かと思えば、こういう所は案外テキトウだ。
俺は携帯を開いて、阿部に田島のアドレスを載せたメールを送った。
阿部は最近、俺達の前でも榛名さんの事を「元希さん」と呼ぶようになった。
そこから二人関係が現在も順調であると伺える。
部内ではかなり常識人な方だと思っていた阿部が、まさか榛名さんとそういう関係だったなんて知った時、俺は軽く人間不信になった。今思えば酷い話だ。
こんなに長い間連れ添っているなら、どちらに取っても、その人しかいないんだなあって思う。
当人達が良いと思っているのなら、他人が介入する余地なんてないんだ。
「三橋は、元気なの?」
「うん、元気だよ。この前なんか知らねーけど、元希さんと一緒に遊園地行ってた」
「なんだそりゃ」
想像して、思わず吹き出した。
三橋と榛名さんは阿部を通していつの間にか仲良くなったらしくて、阿部からも三橋からも話を聞くんだけど、何回聞いても可笑しな図に思える。
榛名さんは三橋を可愛がってて、三橋は榛名さんを大層慕っているそうだ。そっちの方は、結構想像がつく。
「今度は三橋を通じて、田島とも仲良くなりたいんだってさ」
「あれ、まだ話してないのあの二人。同じプロ野球選手なのにな」
「チーム違うし、何かと話す機会ないんだってさ」
三橋と田島と元希さんって、面白い集まりになりそうなんだけどなって保護者みたいな顔して阿部が言う。
でも確かに面白そうなトリオだ。
俺達二人は高校もなんだかんだで3年間おんなじクラスで、部活の立場からも自然と仲良くなっていった。
今でもこうして定期的に仕事の休みを合わせて食事をしたりなんかして、お互いや部の奴らの近況を報告し合ったりしている。
高校時代なんてそう遠いモンでもないんだけど、過ぎてしまった過去というのはなんでも懐かしいものだ。
皆元気にやってるんだと思うと嬉しかったし、元気も出た。
「ずっと気にしてたんだけどさ」
「ん?」
「阿部は、ずっと榛名さんといるのか?」
阿部は口に運ぼうとしていたサラダのトマトを口の前で止めて、それから視線を泳がせてからトマトを頬張った。
もぐ、もぐ、とゆっくりそれを噛んで、ごくりと飲み込んでから返事をした。
「シラネー」
「…なんじゃそら」
「これからの事に、確信なんてねーよ」
まぁ、ね…と思ってまたガツガツ食い始めた阿部を眺めた。
やっぱりあっさりしてるな、コイツ。そういうもんかな。
「でも」
「ん」
「一緒に暮らそうって言われた」
「ッ…ハアァ!?」
突然の告白に驚いて大声を上げてしまい、俺は慌てて周囲を見渡した。
何人かと目があって、すぐに視線を逸らされた。
「なっ…なん…っそ、それってあれか?プロポー…」
「ちげーよ結婚じゃないんだから」
ピシャリと言葉を遮られて、一瞬脳裏を過った想像に顔を赤くした。
阿部は平然とした様子だった。
「え…するの?同居」
「多分」
「…マジで?」
「まぁ…あっちが完全その気だしな」
「は…はぁ…」
阿部があまりにも平然としているので、こんなにもドキドキしている自分が馬鹿みたいだ。
同居って…それすごい事じゃねーか?
いやでもこんだけ長く付き合って?るんだからそんな話にもなるか普通。…普通?
「阿部すげぇな。てか、オープンになったなお前」
「榛名や田島のおかげさまで」
「…はは。慣れの問題か」
「自分が気にしてる程に、他の奴は自分を気にかけちゃいないって事が分かったんだよ」
いや、いやいやいやと思ったが、阿部がそれで納得出来て一回り大きくなれたのであればと、言葉は冷めた白米と共に飲み込んだ。
阿部が窓の外を眺めて、グラスの中の氷をかき混ぜた。
カラカラと音がする。
いつの間にか頼んだランチは完食されていた。
「こういう時思うんだけどさ」
「…何を?」
「俺の回りは、田島や三橋みたいなバカと、花井や栄口みたいなバカお人好しばっかで、良かったなーって」
「それってどういう…」
言いながら気がついた。
ああそっか、て気がついて、それからたちまち息苦しい気持ちになった。
阿部は外を見ている。
乳母車を引く若い女の人を目で追ってるのかななんて、その時は思った。
阿部に何かを言おうとして、でも喉元でつっかえてる溢れ出る気持ちを表す言葉が見つからなくて、俺はただ深く深呼吸をした。
突然、阿部の肩を叩いて熱く励ましてやりたいというよく分からない衝動が沸き起こった。
お前の選択肢は間違ってないって、
たとえこれから先、間違いだったと後悔したとしても、
お前は今、自分の思う方に進んで行けば良いんだ、と言ってやりたくなった。
こちらの視線に気づいてか、阿部がふいに俺の方を見て、じんわり笑った。
同時に色んな思いが込み上げてきて、今なら人の代わりに泣く事が出来ると思った。
「阿部は…」
「阿部は、きっとそれでいいんだよ」
だって俺は、まだ高校生だった頃、
こんな表情をする阿部は、知らなかったんだから。