創作・短編小説
紺の春
「ねぇ、ほら!裕実花、カッコイイでしょう」
母親の黄色の声なんて耳に心地よいものではない。裕実花は母の背中を見つめながらしみじみとそう思った。
ソファに座って液晶画面に映る韓国人アイドルは、愛の言葉を韓国女性女優に吐いていた。
今正にこの韓流ドラマに出ているアイドルが、母の意中の人である。
「きゃー!!やだっ、やだわっ」
輝かしい顔がドアップに映り母は一層甲高い声をあげた。裕実花はげんなりとした表情で夕飯を食していた。
せめて自分のいない時間に見てほしい、録画なのだから、という言葉はお味噌汁で流し込んだ。母の気分を害さないなんて、偉いぞ、自分。
「ねーぇ、母さん、何でその人好きなの」
コロッケをさくさく音をたてながら口に含むと同時に問いかける。すると母は私に背中を向けたまま手を後ろに差し出し私を制した。
「あと五分で終わるから待ってて!!」
なんじゃそりゃ、きゃぁきゃぁ叫ぶのは良くて私の問いかけには答えないと言うのか。
じとり、と母を見るも母は気付きもしない。
五分経ち、裕実花はごちそうさまの合図に手を合わせ、母は更にエンディング、予告編を甲高い声をあげたりうっとりした吐息を溢しながらきっちり観ると、ようやくこちらに顔を向けた。
「それで何だっけ?」
「いや…そんな改まる質問でもないんだけど…何でそんなにお熱なのよ」
「やあねぇ、あんたこの顔を見てもなんも思わないの?」
思わんわ、とは口にせずに苦笑を溢す。笑顔が上手に作れない程度には呆れているのだ。
お勝手に食器を洗い戻しに立ち上がると丁度よく二人分の「ただいまー」という声と玄関の開閉音、母はソファから立ち上がり玄関へと向かった。
兄の声に混じって聞こえた老けた男性の声は出張多き父親だった。そうか帰ってきたのか。
久しい父親を出迎えに行くと母の小言が聞こえてきた。
「お父さん!もうっ、服をごちゃごちゃに閉まって帰って来ないでってばっ」
さっきまでの甲高い声はどこにしまわれたのだ、とまたもや口にはせず二人を迎えた。父親は母にぐちぐち言われていて、その横を兄が通りすぎた。
父母はおとりこみ中らしいと裕実花も兄に続きお勝手に戻った。冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出す兄に裕実花は今しがたの話をした。
「お母さんの変貌ぶりったら。あの人、父さんより韓流アイドルのが好きなのかねぇ、愛は家族になると冷めゆくものってね」
「中学生、夢を見ろよ」
「家族見てると、そーも行かないわよ」
「そうかな、母さんは父さんのことまだ愛してるよ」
兄の口から父母の愛云々の話を聞くのは少しぞわりとするものがある。
しかしあんな小言ばかりの母が父を愛してるのだろうか
「好きなら文句言わないわよ」
「そりゃお前がガキだからだな。母さんが父さんを嫌う時は小言を言わなくなった時だろ」
そう言われるとそんな気もしてくると、食器を泡だらけにさせていると、洗剤使いすぎ、と叱る母の姿が想像が出来て手早く洗い流した。
「あ、味噌汁温めてくれよ。っつかお前飯食うの早いな」
「遅くなるって言うから先に食べちゃった。お母さんは韓流ドラマ観てたから一緒に食べなかったけどね」
水に濡れた手を手拭いで拭きながら味噌汁の入ったお鍋に火をかけて、温め始める。
「いやいや、母さんの場合は父さんを待ってたんだろ。帰ってくる日だから」
兄が自分の食べる白米を盛り付けながらそう告げた。玄関からは未だ母の小言、愛してると言うならば早くご飯食べさせてあげたらいいのに。
「でも韓流アイドルに浮気よ」
思わず呟くと、兄は少しだけ気色悪そうに苦笑して自分の指定席へ腰かけた。
そして声を潜めて告げた。
「その韓流アイドル、眉毛と目が、父さんに似ているんだとよ」
思わず噴き出した。似ているなんて有り得ない、と思ったからである。
「汚ねぇな!」
叫ぶ兄に噴き出しは笑いに変わる。げらげら笑い、それから大きな声で裕実花は言った。
「そりゃあ、愛だわ!」
玄関の小言がやんだ。笑いつられてやってくる父母の姿。
白髪の増えた父に小太りの母の姿、韓流アイドルに父を重ねてはきゃぁきゃぁ言う姿、そんな風に慕われる父。舞台が学校で、役者が少女少年ならそれは青春。
青い春とは言えないけど、紺色くらいの春ではあるかもしれない。熟年した色合いの春。
fin
2011.10.10
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