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遊びに行かないか?

(ああ、まただ)

ふと、視界に入った姿に廊下を歩く足を止める。
視線の先には1人の少女の姿。

教師に呼び止められ、きっと何か用件を頼まれたのだろう。
にこやかな笑顔で快く引き受ける彼女に、教師はそれを当然のように頷いて背を向ける。

しかし彼女は大人の視界から外れたとたん、投げやりに溜め息をついた。
間を置かずクラスメイトに話しかけられた彼女は、先程の様子が嘘のようににこやかに応じる。

いつも『良い子』の仮面をかぶり続ける彼女、坂本千紀。

いつも穏やかに微笑む、クラスのみんなに頼りにされているクラス委員長。
誰に彼女の印象を聞いても『良い人』であるとの返答が返ってくる。
それほど隙のない態度が、実は仮面であると気付く者は少ない。

その、数少ない人物から視線が向けられていることに
千紀は気付きながらも、そのまま何事もないかのように振る舞っていた。






また1つ、冊子を閉じて千紀は息をつく。

担任に頼まれた資料作成。その量は多くて、印刷を終えるだけでも時間がかかった。
今はやっと1冊目が出来上がったところ。
まだまだ先の見えない長い道行きに重い息が漏れる。
窓の外は既に日が傾き赤く染まっていて、時計を見ずとももう遅い時間だということがわかる。

そんなとき、不意にカタリとドアの付近で音が鳴った。

「まだ残ってたんだ」

そうして教室に入ってくるのは、クラスメイトの河村だった。

部活も終わったのだろう。制服に着替え荷物を抱えたまま、穏やかな雰囲気をまとって近付いてくる。
目の前に立つと、並べられたプリントの束を眺めた。

「これをまとめるのかい?」

そうしてプリントを1枚ずつ取って、あっという間に1束にまとめた物を差し出してきた。
おもわず受け取ってしまってからハッとする。

「ちょ、いいよ。部活で疲れてるでしょう。
自分でやる。私が頼まれた仕事なんだし」

慌てて制止するが、河村は手を止めることはなかった。

「でもこの量を1人でやるんじゃいつまでかかるかわからないよ。
2人でやれば、それだけ早く終わるだろう?」

そうしてまた差し出される1束。

河村の言うことは的を射ている。
だからこそ反論などできようはずもなく、突っぱねるなど尚更できずに受け取ることになる。
その表情は複雑な心境をそのまま表していた。


本当に、調子が狂う。

ただ手伝いを申し出ただけなら有り難く受け入れるのだが
自分の『良い子』の仮面に感づいているだろう相手であることが躊躇いを生んだ。
そのことを直接指摘されたわけではないが、千紀は普段からずっと人の目を気にして生活していたのだ。
彼と接する短い中で、彼の自分への対応から、自分の『良い子』の演技に気付いていることが感じ取れる。

自分が『良い子』でないことを知っているのに、なんでこの人は自分を構うのだろう。
そんな戸惑いから、千紀は河村のことが苦手だった。


「そんなに気になるなら、明日一緒に遊びに行かないか?」

そして、河村によるその誘い文句も幾度となく繰り返されたもの。
千紀は今まで幾度か、遊びに行こうと河村に誘われたことがある。

平日に遊びに誘われるということは、放課後に寄り道をしようという誘いだ。
寄り道なんてできるわけがないと、今までなら間髪なく断る台詞が口から飛び出していた。
それに、そうやって遊んでいる時間があるなら、少しでも勉強がしたいというのが正直なところだ。

けれど、

「…考えさせて下さい」

そのとき口から零れ出たのは、返事を保留するもので。

返事を受け取った途端、河村の表情は穏やかにほころんだ。
なんとなく気まずいような身の置き所のない感覚に、千紀は作業する手を止めることなく顔をうつむかせる。
それなのに不快ではなく、胸の辺りが暖かく感じた。

千紀は、そんな自分に戸惑いつつ
この手伝ってもらっている状況では断りにくいのだから仕方ないと、自分に言い聞かせていたのだった。






次の日。

いつもと変わらない1日のはずなのに、なんとなく落ち着かない感覚を持て余す中で
ふと教師に呼び止められて、千紀は足を止めた。

「はい、なんでしょうか。先生」

「いや…昨日も頼んでいて悪いんだが、今日も頼みたい仕事があってな。放課後、大丈夫か?」

教師の申し出に、ツキンと胸に痛みを感じる。

いつもの千紀なら、迷うことなく答えの出ていた答えだった。
誰かとの約束があっても、それが急用ではない場合は教師の頼み事を優先する。
約束をした相手も、千紀がいつも教師に頼み事をされていることを知っているはずだし
教師が相手ならば仕方ないと、埋め合わせの約束の上で承知してくれるはずだからだ。

しかも昨日、河村と交わしたものは約束とも言えない曖昧なもの。
急用とはとても言えないし、約束を保留した形でキャンセルなど容易い。

いつもなら、ここで教師の頼み事を引き受けるはずなのに。

「…すみません、今日はどうしても外せない用事があるんです」

口から零れ出た言葉は、教師の頼みを断るもの。

対する教師は、優等生の鏡のような千紀の言葉をあっさりと信じて
いくつかの言葉を残して去って行ってしまった。



「…うそ、ついちゃった」

常にはない行動に、ドキドキと高鳴る胸を押さえて息をつく。

こうなってしまえば、河村からの誘いを受けないわけにはいかないか。
勉強が好きでやっていたけれど、たまには勉強しない日があってもいいかもしれない。
寄り道なんてと、自分が実際にすることなんて考えたこともなかったけれど
今から放課後を楽しみにしている自分がいる。

そうと決まれば、保留にしたままだった約束を取り付けに行かなければ。

ちょっとしたイタズラをしたときのように浮き立つ気持ちを胸に、千紀は河村がいるだろう教室へと急いだのだった。










→アトガキ

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