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ハピネス






カチ、と鍵を回して扉を開ける。沢村の部屋は無人だ。
お互いの部屋の鍵をお互いが持つ。
大学生の沢村とプロの世界にいる自分が少しでも一緒にいる時間を増やす為の鍵だ。
一緒に暮らそうと言っても御幸に迷惑がかかるからと沢村は首を縦には振らない。
彼がなかなかの頑固者なのは知っている。だからこうして時間が空くと自らが努力して会いに来る。
意外に片付いてる部屋に上がり、定位置の小さなソファに座った。
沢村らしからぬ部屋の綺麗さはいつ御幸が来てもいいようにとの配慮であり、一人ならどんどん散らかっていくだろう。
勝手にコーヒーを入れて寛ぐ。この1DKの部屋にいるのは実はとても居心地がいい。
部屋自体がそこかしこに沢村の存在を主張している。今は自分の部屋も似たようなものだ。
置いていった部屋着だとかいつも使うカップだとかは持ち主がいない時こそ存在を主張する。

(早く帰らねーかな)

時計は午後2時を指している。今日は大学は休みで午前中に軽く自主練があるだけと言っていた。
無性に会いたい。抱きしめたい。
しばらくするとカチ、と鍵の開く音が聞こえた。お、などと声を上げている。

「よお、来てたんだ」
「おう。夕方からの取材が先方の都合で延期になって午後丸々空いた」
「そっか。…なんだ」
「ん?何か予定あるのか」
「うん、皆も今日夕方空いてて。春っちとか降谷とかとメシ食いに行こうって」
「そうか、タイミング悪かったな。じゃ今日は帰るわ」

コーヒー飲んだらな、とカップを持ち上げ笑って沢村を見ると真っ直ぐな黒い瞳が自分を射抜いていた。
何だと尋ねる前に沢村が携帯を取り出しボタンを押した。

「あ、春っち?俺。ゴメン悪いんだけど今日行けなくなった」

少し驚いて自分の顔とドアを交互に指さし、帰るとジェスチャーした。
沢村は目線だけ寄越して掌をこちらに向けて制する。

「うん、大事な用が出来ちまって。ゴメンまた来週な」

電話を切った沢村を確認してから言う。

「いいのかよ、嘘までついて」
「嘘じゃねぇ」
「………」
「俺が、一緒にいたいんだ。アンタと」

真っ直ぐこちらを見ていたが、そこまで言ってクシャッと笑った。

「大事な用だろ?」

真っ直ぐな瞳で迷いのない笑顔で淀みもせずに言い放つ。簡単な言葉で、的確に心臓を射抜く。強い瞳はこころを射抜く。
そしてそこからジワジワとあたたかいものが満ち足りていく。知っているこの感じ、沢村からしか得る事が出来ない。

…ああ、今日はこれを求めてたのか。あの無性に会いたかった感情が満たされて穏やかなものに変わってゆく。

「御幸、明日は?」
「午後から」
「なら結構ゆっくり出来るじゃん。今日はのんびりしようぜ」

冷蔵庫を開け、何もねぇと呟きながらこちらを見た。

「それとも何か希望ある?」
「取り敢えず、抱きしめたい」

ソファから立ち上がり両手を広げた。沢村がウッ、となったのが見るからにわかる。
目が泳いで拗ねたように尖った唇が、何だよ、と動いた。
少し赤くなりながら目の前まで来て止まる。

「…ここ限界」
「いいぜ、上出来」

笑って引き寄せ抱きしめた。腕の中で文句を言っている。

「こういうのは全部、アンタから来いよ」
「たまにはいいじゃねーか」
「だから、来ただろ」

確かに、普段なら絶対来ない。何も考えてなさそうなのに。何も考えてないからこそか。
野性の獣のような勘で嗅ぎ分け、無意識にやってのける。
そして後から気付かされるのだ。自分が弱っていた事に。

「なあ、腹減った」
「お前昼飯は?」
「軽くしか食ってない」
「じゃあ食うか」

抱き合ったままの会話には到底思えないがいつもの事だ。

「御幸は何がいい?どっか食いに行く?」
「いや、何かとろうぜ。今日はずっとくっついてたい」

そこで沢村が顔を上げて目が合った。一瞬真顔で見つめてきたかと思うとニヤリと笑った。

「いいぜ。そのかわり、寿司な」
「はっはっは!了解。特上な」

極上の癒しをくれる存在をさらに抱きしめた。
きっと今日はもう何も言わなくとも傍にいてくれるのだろう。
小さなソファに並んで座り、時折唇を触れ合わせ指を絡ませて。

それもまた日常のひとつ。ごく普通の当たり前の事。

でもそこに沢村がいる。

それこそが。



end

2010 4.1〜5.4




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