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Singing in the rain 2





我慢が出来たのは一週間だけだった。
偶然でも会ってしまったら、もう抑えられなかった。
もう一度始めるために、動き出す。
幸い御幸の歓迎会は前日の木曜日に終わり、今日はフリーだ。
沢村に予定があるかも知れないし、残業で無駄足になるかも知れない。しかしそんなのはささいな問題だった。
何度でも足を運ぶつもりでいる。
御幸が本社に来てまだ一週間、仕事や環境に何も問題はないが女性社員からのアプローチだけが厄介だった。
有能で取締役候補と言われる独身社員、しかも眉目秀麗とくれば放っておかれる訳がない。
最初の金曜日にかけてるのか、様々な女性社員のグループから誘いを受けその全てを断っていた。

(鬱陶しい。今日に賭けてる想いは俺の方が上だって)

終業時刻を気にして何度も時計を見る自分が二年振りに訪れて、思わず口許が緩む。
御幸の柔らかい微笑みを見た女子社員達が小さく騒いでいるのも気付かないまま、早く終わらせるために集中した。


*****


沢村の本社が入っている高層ビルのロビー、待っている間に写真のパネル展示を見付けて眺めていた。
ちょっとしたコンテストのようで、一般から募集しているらしい写真の中には素人目に見ても秀逸なものがある。
空や海などの風景、可愛い犬や猫、赤い花が貼られた子供の笑顔の写真には「優秀賞」と書かれていた。
子供の笑顔が賞をとるなんてありきたりだと思いながらも、無邪気な笑顔があの頃の沢村を思い出させて目が離せない。
カフェでバイトをしていた時の休憩中に交わした笑顔、大学で、部屋で、記憶の中の沢村はいつも笑顔だった。
その笑顔を消したのはきっと、あの時間違えた自分。

もう一度あの笑顔が見れるなら。そしたら、今度こそ。

いくつもあるエレベーターホールのうち、沢村の会社が入っている階数が表示の中にある場所に目を遣る。
エスカレーターで上がって来た男が地下にあるコーヒーショップの袋を持ち、エレベーターの前に立つのをぼんやりと見ていた。
男が立っているエレベーターの扉が開き、そこに沢村の姿を確認して足が一歩前に出たが踏み止まる。
どうやら男は沢村の同僚だったようで、二言三言会話していた。それだけで仄暗い炎が胸の中で燻る事に苦笑する。

(……あ)

男が沢村の額に手を伸ばした。

(よせ)

眉間を解すように労るように触れている。

(触るな)

沢村が顔を避けて男の手を外した。焦がれた笑顔を男に向けながら。

(俺の、)

手を挙げて挨拶した男はエレベーターに乗り込み、沢村は出口に向かおうとする。

(俺の、ものだ)

「沢村」

声をかけると驚いたのかぴくりと肩を震わせた沢村がこちらを振り向きもせず立ち尽くしている。

「沢村………今の、誰?」
「………は?…今…?」

いきなり投げ掛けた質問に沢村は訝しげに振り返り首を傾げた。
そんな表情すら他人に見せたくないと思ったものの、それよりも先に確かめなければ渦巻く炎が消えない。

「今、沢村のここ触ってたの、誰?」

自分の眉間をトントンと叩きながら尋ねると沢村の体調を気遣かった同僚だと、予想通りの答。
炎が黒く大きく揺らめいた気がした。
同僚の男が消えたエレベーターの扉を睨みつけ、炎を無理矢理鎮静化させる。燻る熱はそのままに出来るだけ優しく微笑んだ。

沢村が帰りたがっているのは解っていたがこのまま帰すつもりも帰るつもりもない。少しでも長く見ていたい。一緒にいたい。
二人がバイトしていたカフェが近くにあると告げると沢村の瞳が揺らいだ。あの店のメニューが好きだと言うのはもちろん、思い出の店だ。
その店に反応して揺らいだ瞳、そして俯きながらもついて来る沢村を見て、まだ大丈夫だと思った。
まだ戻れると。


*****


あれから、半ば無理矢理に交換したアドレスと番号をフルに活用し、あまり間を空けずに沢村を誘っている。
残業だったり先約だったり、毎回ではないが沢村は断る理由が他に見出だせないように見えた。
月に二、三度週末にあのカフェで会うのも自然になってきており、気付けばもう晩秋。コートを来ている人もちらほら見掛けるようになった。

「沢村」
「あ、…お疲れ」
「お疲れ様。行こうか」

定番になった沢村の会社が入っているビルのロビーでの待ち合わせ。
こうしていると、錯覚しそうになる。
もう一度、受け入れられたのではないか、隣にいる事を許されたのではないか、と。
解りきっている、そうではない事実が胸を締め付けるけれど。

ビルから出るとすぐ目の前の信号が変わりそうでいつになく焦る。
大通りを横切るその信号は赤が長くなかなか渡れない為に、二人の時間を奪われるような気分に陥ってしまった。
点滅を始めた信号に慌てて振り向いた。

「沢村、信号変わる!渡っちまお……う?」

御幸が振り向いた先にいたのは見知らぬサラリーマン。

「え、あ…スミマセン…」

半ば叫ぶように声を掛けた為に誤魔化しようがなく、小さく謝ると会釈を返された。
今度は沢村を見失った事に焦り、辺りを見回そうとしたら隣から声を掛けられた。

「御幸、こっち」
「隣にいたのか、よかった。てっきり後ろにいるものだと…」
「悪い、出てから隣に移動したんだ。でも、」
「ん?」
「御幸らしからぬミスと、慌てっぷりが……っ」

ふわりとした笑顔のあと、耐え切れなくなったのか噴き出した。

沢村が、笑っている。
肩を震わせて、楽しそうに。

二年間、そして帰国してからも、焦がれた笑顔がここにある。
穏やかな笑顔と、無邪気な笑顔と。失くしたと思っていたものが。
微動だに出来なかった。ただひたすらに見入っていた。抱き締めたくてたまらなかった。腕の中に閉じ込めて二度と離したくない。

だめだ、やはり。沢村じゃないと。

いつの間にか信号は青に変わっていた。押し出される人の波に飲み込まれそうになり、先に気付いた沢村が御幸を促して歩き始める。
平静を装い歩いていても、胸の内に生まれた狂おしいまでに沢村を求める熱が消えない。
信号を渡りきった所で沢村に一つ提案した。

「沢村、」
「何?」
「今日、俺んちに来ない?」
「…………え…?」
「この前言ってたろ。昨日あの店のまかない飯のレシピでハヤシライス作ったんだ。ちゃんとデミグラスで煮込む奴」
「………ハヤシライス…」
「好きだったろ?食いに来ない?」

沢村は少し目を泳がせて逡巡しているようだった。
あの店のまかない飯で、沢村が気に入っていたものは大概作れるようになったが、辛い物が苦手な沢村が特に気に入っていたのがハヤシライスだった。
御幸はどちらかと言えばグリーンカレーなどの日が嬉しかったが、沢村は殊更ハヤシライスの日を楽しみにしていた。

「…………お邪魔する」

小さく呟いた声に顔を見れば少し俯いて頬が赤くなっている。

(うわ、かわい………)

二人の間にあった事や、今までの頑なな態度からハヤシライスに釣られる事がいたたまれないのだろう。
御幸にしてみれば距離を縮める為に会っているのだから釣られてくれて嬉しい事この上ない。

方向を変え、駅に向かう人の流れに乗り少し足早に歩く。

「最寄り駅、ここから二つ目の…多分沢村と同じ」
「あ、そうなんだ……近いな」
「うん。同じスーパー使うくらいに」

(近い所にしたんだけどね)

「今日は傘持ってきた?」
「一応、折り畳みを」
「帰宅時間には降るって言ってたけど、星が出てる。今日は降らないかもな」
「……珍しい」
「な?俺達が会う時は雨が多いから」

電車に乗り込み、沢村はドアにもたれて静かに外を眺めている。表情からは何も読み取れない。
その沢村が映り込んだ窓を御幸もまた静かに眺めていた。





to be continued







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