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すべてを夏のせいにして





なぜ、と言われたら答えようもない。
そう例えば「暑かったから」とか「夏だから」とか、そんなふうにしか。
でも確かに熱かったのだ。夏も、俺たちも。


     



は、は、と浅く短い呼吸が部屋を満たしている。
エアコンが効いた涼しい部屋のはずなのに、それでも動くたびに額から顎へ首から背中へと汗が流れていく。       
ぽたりぽたりと沢村の体に落ちていっては、すぐにその体を流れる汗と同化してとけていった。
普段なら不快に感じるはずの汗も、互いの体がもたらす悦楽の前では興奮材料のひとつでしかない。たとえ溜まったものを吐き出すだけの行為だとしても、快楽は強ければ強いほどいい。
ぽたりと沢村の肩に落ちその肌に流れる汗にとけた雫、その場所に舌を這わせながら夢中で駆け昇った。
流れる汗が気持ちいいだなんて、野球をやってる時以外で感じた事はない。夏本番はまだこれからという熱の中で、もうすでに終わってしまった自分たちの夏を想った。
「アンタ、途中でなに考えてた?」
「うん?」
「一瞬、なにかに気ぃとられてたろ」
エアコンをつけていたとは言え、多少は淀む事後の空気を入れ換えようと窓に向かうと背中に声がかかった。 振り向くと沢村が寝転がりながらハーフパンツを穿こうとしている。
無精者、とあきれたような呟きに“よっ”と沢村の掛け声がかぶり腰を浮かせハーフパンツを上げた反動で起き上がっていた。そのまま無造作にTシャツを被っている。
「拭いた?」
床に置きっ放しのボディシート徳用三十枚入りを拾って降ると、ちらりとこちらを見遣った沢村が頷いた。言われてみれば少しシトラスの香りが漂っている。
終わったあとに毎回シャワーを浴びに行けるわけではない。苦肉の策で互いにゴムを使い、終わればボディシートで体を拭く。
でも、と。仄かに香るシトラスに、二人が同じ香りを纏う不自然さはないだろうかと今更ながら思う。もう一つ無香料を用意するべきかと考えながらまだ拭いていない自らの分を一枚取り出した。
「御幸、さっきの」
「ん?」
「なに考えてたのかって」
「ああ、うん」
ボディシートで体を拭きながら沢村を見ると、胡座をかいて真っ直ぐに見つめてくる。ああ、あの瞳だ。
「……夏休みの課題のプリント、今日解けなかったヤツ」
「は、なんで」
「だってホラ、すぐイっちゃったらお互い楽しめねえじゃん。頑張っちゃった、俺」
「た、楽しむって…! 別に、俺は!」
瞬時に耳まで赤くして勢いよく立ち上がった沢村に、そんな元気ならもっかいする?とからかった。すると酸欠の金魚のように口をパクパクと開けてうまい返しも見つからないようで踵を返す。
「もう部屋に戻る! おやすみ!」
ギクシャクと部屋を出て行く沢村がおかしくてつい声を出して笑った。
窓を開け放し生温い風が肌の上を滑ると、それでもひんやりとした心地をもたらす。クール感持続と謳っているのは嘘ではないらしい。
腕を揺らすと沢村と同じ、シトラスの香りが仄かに漂う。
最初はあの、真っ直ぐな瞳だった。投げることに対する純粋さと貪欲さに。
次に、折れるかと思うほどしなっても、また天を向く若竹のようなしなやかな強さ。
ほんの興味から入り込んだ。そして、なぜこうなったのかと考えても、この夏が――終わってしまったあの夏が――あまりにも暑くて。
そう、熱かったからとしか。
『なァ、俺としてみねえ?』
誘ったのは御幸で、乗ったのは沢村だった。高校生の有り余る性欲の解消だとか、ストレス解消だとか適当な事を告げて。
ひたすらに暑かった事を覚えている。
見つめあって、その瞳の中に自分がいるのを見て安堵の溜息が零れた。その理由をさほど重要だとは感じなかったから、知りたいとは思わないまま。
始まる夏と終わってしまった夏の狭間でがむしゃらに抱き合った。
なぜ沢村は受け入れているのだろうと考えても、この行為の意味を自分ですら見つけられないのにわかるわけがなかった。
ただ、ぽたりと落ちた汗が沢村の肌を滑り、その汗と交じり溶け合った瞬間を繰り返し思い出して頭から離れない。
部屋の空気はすっかり入れ換わっている。エアコンの意味がないほど、外気と変わらぬ温度と湿度になってから窓を閉めた。




思っているよりも、近付いているのかもしれない。そう思っていた分、それは唐突だった。
沢村が離れていった。
この夏に半ば恒例化したように消灯前の部屋に誘っても「行かない」とキッパリと。
あと数日で夏休みが終わる、という日だったから課題でも終わってないのかとからかおうとしてやめた。
その瞳が“もう”行かないのだと告げていた。
息苦しくなるような熱く蒸れた空気と砂埃の中、誰もがさらなる高みに登ろうと必死に前を見ていた。
その合間になにかを確かめるように抱き合った、夏のことなど忘れたかのように唐突に。




「夏休み終わって二週間とか信じらんねぇ。だりぃ」
「つっても俺らはなにも変わんねえじゃん」
「まあ昼間の練習時間が減ったぐらいか。それはそれでデカイけどな」
夏休みが終わっても残暑は続き、きっちり着込んだ制服が暑苦しい。隣を歩く倉持もネクタイの結び目に指を入れ、少し余裕を持たせていた。
廊下も暑いが、エアコンが効いた教室がところどころ開け放してあり、そこから流れる冷気でなんとか過ごせる。
食堂に向かいながらもこの暑さでは食べたいものを探すのも億劫だ。
朝晩はいくらか涼しい風も吹くようになったが、まだまだ三十度超えの日が続き秋の気配を感じるには至らない。窓から見える空はまだ濃い青で、夏の始まりからなにも変わらない。
変わったことはと言えばただ、御幸のそばから仄かなシトラスの香りがなくなったことだけだ。
離れてしまえば、その香りはもう沢村のものになっていた。抱き合った時のカラダの熱さ、他愛ない会話、それらすべてと直結してしまう。
しかしなくなったからと言って、どうなるものでもなかったはずだ。
沢村とはこの二週間、練習でも日常でもごく普通に過ごしている。真剣に言葉を交わしまた軽口を叩き合い、まるで正しい先輩後輩の在り方を実践するように。
このまま過ごしていけば、ごく自然に元に戻るのだろう。
時折思い出す、シトラスの香りを除けば。
そもそもなぜ沢村だったのか。ここのところ何度か自分に問いかけてその度に答えが出ずに諦めているもの。
誰でもよかったのか、届かなかった夏への寂寥感を忘れるために利用したのか。
違う。あの強い瞳がよかった。利用なんて必要ない。自分を含め、もう誰もが前を向いていた。
もう少して辿り着く、そんな時だ。シトラスを思い出すのは。思考を掻き乱して邪魔をする。
その香りは短い夏の様々な記憶を呼び覚ますから。



沢村と初めてキスをしたときは、瞳をあけたままだった。近付いていく顔を探るように見つめ合いながら唇を重ねた。
少し潤んだ瞳にうつる自分に満ち足りた気分になったのを覚えている。
舌を挿し入れて絡め取ると、ようやく力を抜いたように瞳を閉じた。
『アンタの唇、意外に柔らかいな』
『お前もね』
長いキスが終わったあとの動じない様子から、慣れているのかと思ったら初めてだと言っていた。
キスもセックスも初めての相手が自分なのだと知ったときの、歓喜にも似た胸の高鳴り。その理由もきっと答えに辿り着くひとつなのだろう。
あの日、すでに使っていたボディシートを初めて一緒に使った。二つ目の封を開けたものはまだ少し残っている。



「辛気臭え顔しやがって」
「ん?」
「しかもざる蕎麦ってジジイか」
ふと我に返るといつの間にやら食堂の席に座ってざる蕎麦を眺めていた。暑いときはツルツルいけるもの、と考えながら列に並んでいたから無意識に頼んだのか。
「暑いからってよ、そんなんじゃ午後練までもたねえぞ」
「あーやっぱり? だよなあ。午後の授業も怪しいよな」
スタミナ定食をもりもり食べている倉持は論外として、これでは部活にも影響すると観念してカツ丼を足すことにした。
延びる前にと蕎麦だけ平らげて、また列に並ぶ。幸い休み時間も後半で数人しか並んでいない。
何気なく食堂の後ろの扉に目を遣ると、沢村がクラスメイトなのか友人達と出て行くところだった。屈託なく笑う、あの顔を見せながら。離れた御幸のところまで笑い声が聞こえた気がした。
その時、唐突に思った。
(たとえば、俺だけが知ってるかわいいこえを)
他の誰かが聞いたとしたら。
(俺だけが知ってる、水の膜が揺らめく瞳のとろけたかおを)
ほかの誰かが見つめたとしたら。
ぎゅうっと胸が引き絞られるように痛んだ。
今、この手から放れようとしてるものは、本当に手放していいものなのか。
ああもう、辿り着く。





あまり味もわからないカツ丼を、午後練のためにそれでも平らげて食堂をあとにした。
「こんにちは。御幸先輩、倉持先輩」
二人が振り向くと春市が食堂から出て来ていた。
「珍しいな小湊ひとり?」
「はい、先生に用事があったから遅くなっちゃって。皆には先に行ってもらいました」
そう言えば先ほど見かけた沢村の集団にはいなかったかな、と思い至る。
会釈して春市が御幸の横を通り過ぎて行く、その時に鼻腔をくすぐったのは。
忘れもしない、仄かに香るシトラス。
その瞬間、咄嗟に呼び止めていた。
「小湊!」
「なんですか? 御幸先輩」
「あー……なんか、つけてる? シトラスっぽいの」
「特になにも……あ! 栄純くんに貰ったボディシートが確かシトラス系でした」
「……沢村に?」
「はい、体育で汗かいて。合同で一緒だった栄純くんが使ってたのを一枚貰ったんです」
沢村が。この、シトラスの香りを。
倉持が横でアイツなに洒落っ気出してんの、と笑っている。
「あの沢村が! 体育のあとにボディシートとかまじウケる!」
「四時間目だったし、そんなに香りが残らないと思ったんですけど。御幸先輩よくわかりましたね」
「ああ、俺も同じの持ってて」
「そういやテメェも体育のあととかよく拭いてたよな。なんか柑橘系の」
「だからシトラスな」
「テメェは夏休み終わってから使ってなくね?」
シトラスはわからないくせに、そういうことはわかるのが倉持だと思う。じゃあ、なぜ夏休みが終わってから使ってないのかわかるだろうか。
自分は今、気付いてしまった。
「今頃遅えよ」
「なにが」
会釈して去って行く小湊の後ろ姿を見ていた。あの方向には一年の教室がある。
沢村があのボディシートを使った理由は、自分が使わない理由と同じだろうか。気付いたばかりの、理由と。
もし、同じなら。
「倉持、昼休みあと何分?」
「あ? っと、十五分くらい。なに? どっか行くのかよ」
「ちょっと用事」
「戻って来れんのか」
「余裕」
余裕。その言葉とは裏腹に心臓がやたら早く脈打ち始めた。走るわけにはいかないから、風を切るほどのスピードの早歩きで。その歩調と鼓動がシンクロしていて笑いそうになった。
早く会いたい。伝えたい。沢村からシトラスが消えてしまう前に。



沢村の教室に行くと、ドアのところにいた生徒に呼んで来てくれるよう頼んだ。
肩を叩かれ振り向いて、その生徒がドアを指差す。つられて振り向いた沢村が御幸の姿を見て一瞬驚いたあと、ぐ、と表情を引き締めた。そんな顔をさせてしまう自分に腹が立つ。
「なんスか」
「悪い、ちょっと付き合って」
近付いて来た沢村に背中を見せて着いて来るように促した。
「昼休み終わっちまうから、手短かに話すな」
「はい」
沢村の教室を出て、端にある階段の踊り場まで連れて来た。あまり人目につかない場所。たいした話ではなくても教室では誰が聞いているかわからない。
引き締めた表情のままの沢村に手を伸ばしそうになる。笑ってほしいと、思った。
「今日の夜、部屋に来てくんねえ?前と同じ時間でいいから」
「……前って…あの俺、」
「悪い、話があんだわ」
「……話、スか」
「そう。どうしても話したいことがあってさ」
「…………」
「頼む」
「……わかりました、行きます」
「サンキュ、待ってる」
心底ホッとした。話、を強調して卑怯だったかもしれない。けれど話す機会も与えてもらえなければ、どうしようもない。
自然と詰めていた息を吐き出した。沢村が挨拶して横を通り過ぎて行き、その残り香は仄かなシトラス。
追いかけて抱きしめたくなった。もう答えは見つけている。
沢村は今、どんな想いでシトラスを纏っている?





風呂やら夕食やらを終えて部屋で待ちながらずっと、落ちつかなかった。
夏の間中、この部屋でよっぽど凄いことをしてきたのに一番緊張している。
遠慮がちなノックの音が聞こえたときは心臓が痛いほどに跳ね上がった。
「お邪魔しやす」
「おう」
「あの、話って……」
「おまえ、さっさと終わらせて帰る気満々じゃねえか」
思わず笑ってしまったら、少し顔を赤くして拗ねたようにそっぽを向いた。こういう沢村からのサインもすべて見逃していたのだろうか。なんて、もったいない。
部屋の中で正座してる沢村の向かいに腰を下ろした。足を崩すように言うまで、肩をいからせて全身から緊張が伝わってきていた。
「あのさ、俺、最近ずっと考えてて」
「はあ…?」
「なんで俺沢村誘ったのかなとか、沢村はなんで受け入れてくれたのかなとか」
「………今さら、スか」
「そう、今さら。遅くて申し訳ないけど。うん、かなり」
「…………」
「あと、沢村がなんで来なくなったのか、とか」
チラリと沢村を見るとあぐらの中で、手持ち無沙汰なのかいたたまれないのか、俯いたまま人差し指同士をずっと弾いている。
風呂に入ったせいか沢村からシトラスの香りはしない。
「……沢村、昼休みシトラスの香りがした。あれ、使ってんの?」
「………!」
沢村の肩がぴくりと跳ねた。
「俺は今、使ってねえの。……なんか、使えなくなっちまって」
「……使えないって……何で」
沢村が顔をあげて御幸を見た。少し頼りなげな表情で、相変わらず人差し指を弾いている。
まるで叱られている子どものようなその顔に胸が痛んで、不安をすべて取り除いてやりたくなる。その不安を与えているのもきっと自分なのだろうけど。
「それ使うと、おまえを思い出しちまう」
「……俺?」
「そう、夏休み前は体育のあととか普通に使ってた。でもこの夏ずっと、おまえとセックスしたあとに使ってたから」
「………あ、」
「俺にとってこれはもうおまえの香りになっちまってて……だから使えねえの」
沢村が夜の誘いに来なくなってから、なにかで一度ボディシートを使った。軽く汗を拭き取るつもりで。
動く度に肌から香るシトラスが、沢村の様々な表情を思い出させた。なんとなくそれが苦しくて使えなかったが今はわかる。
二度とあんな夜はないのだと、この腕の中には戻らないのだと、思い知らされるから。だから苦しいのだと。
懸命に伝えた。今までの分も、きっと傷つけた分も。
「誰でもよかったわけじゃない。沢村じゃなきゃダメなんだ。おまえじゃなきゃ意味がない」
「…………」
「今さら本当、ゴメンな」
途中でまた俯いてしまった沢村が、弾いていた指を節が白くなるほど握りしめている。
その手を優しく包み込んでほどいてやりたいと思った。
「………俺は……俺も、同じで…」
「ん?」
「あのシトラスはアンタの香りになっちまってて……」
「そっか」
なにかを伝えようとしてくれている沢村を邪魔しないように、柔らかく慎重に言葉を返す。
握りしめていた手はとかれ、またゆっくりと指先を弾きはじめた。
「苦しくなって離れたのに、時間が経つともっと苦しくなって……」
「沢村……」
「コンビニであれ見たら、つい買っちまってた」
「うん…」
「でも! 使ったのは今日が初めてで!……なのに」
「なのに?」
「アンタが昼休みに来るなんて……体育は四時間目で、まだ香りが残ってるかもって……ヤバいって焦って」
教室に行ったときの沢村を思い出した。ぐ、と表情を引き締めた、あれは。
御幸の香りのシトラスを纏っているのを気付かれたくなくて。
眩暈がした。
本人は熱烈な告白と同じだと気付いているだろうか。
自分は最初からすべてを伝える、そのつもりだが、沢村は。
もう、我慢なんて出来なかった。気付いたら抱きしめていた。
あぐらをかいた沢村を囲うように、そうして後頭部と背中を抱え込んだ。
「今まで、ありがとな」
そう言うと、一瞬の躊躇のあと少し傷ついた顔で離れようとした。違う、そうじゃねえと焦って呟いて慌てて抱きしめる腕を強くした。
「自分の気持ちにも気付かねえ、言葉も足りねえこんなバカに付き合ってくれて」
「バカって」
「バカだろ。ゴメンなんて何回言っても足りねえ。んで、聞いて」
「……なに、」
「ねえ、俺さ、おまえのことが好きみたい。すげえすげえ好きみたい」
ぎゅうぎゅうに抱きしめて、互いの頬骨があたるくらいに。ちょうど口許にある、いつの間にか赤く染まっていたその耳に囁いた。
「頼むから俺から離れていかないで」
沢村の手が胸元まで上がり、御幸のシャツをキュ、と握りしめた。
「……じゃあアンタも離れていくな」
「頼まれても離れてやらねえよ」
よく今まで気付かなかったと思うほどの愛しさがこみ上げる。
触れ合う頬が熱をはらんで体中に運んでいく。確かにある、腕の中の熱い体にまた眩暈がした。
「なァ、沢村……」
「……ん?」
「悪い、もう我慢できねえ……なァ…しよう?」
抱え込んでいた後頭部から腕を離し、顔を覗き込んだ。伏せた目のその睫毛の影が見えるほど近い。
「……ダメ?」
問いかけると沢村の伏せた目がゆっくりと上がり御幸の姿を捉えた。
その目がス、と細くなりかすかに笑んだように見える。少し、挑発的な笑みで。
「アンタだけが欲しがってるとでも思ってんの」
「……え、」
「バーカ」
俺だって、そう呟いた唇に噛み付くようにくちづけた。



久しぶりに味わう沢村の唇と舌に夢中になった。
唇を食み舌を挿しこみ、咥内を余すところなく舐めまわす。舌をからめ取り強く吸うと、んん、と苦しそうなそれでいて甘ったるい声が零れた。
Tシャツの裾から手を潜らせると、うっすら割れた腹筋を楽しむ。そのまま胸までそっと撫で上げると、小さな突起に触れた。指の腹で転がすように弄るとすぐに固く尖り、沢村の体が何度も小さく跳ねて唇を放してしまう。
耐え切れずにTシャツを捲り上げてその突起にキスをした。時折強く吸いながら舌で弾くように、もう片方は指で捏ねるように。
「……あ、あ…っ」
キュ、と強く摘まんだら甘い声をあげて仰け反った。背中を支えてそのままゆっくりと押し倒す。
邪魔な服を剥ぎ取って、自らも脱いだ。
覆い被さって、唇、首、鎖骨そしてまた胸まで何度も何度もキスをした。まだ足りない。体中すべてにキスしたい。
すでに勃ちあがったそれを軽く握り、形を確かめるようにゆっくりとなぞる。指先と掌を滑らせながら。
「……ふ、う…」
段々と濡れてくるそれに興奮も増してくる。沢村は焦れったいのか、時折腰が揺れそうになっては押し留めている。
意地悪をしたいわけじゃない。欲しいものは全部あげたい。
唇と舌で触れながら体をずらし、根元から舐め上げた。
「あァ……っ」
すぐに咥えて頭を上下に動かして高みへと導く。吸い上げながら、尖がらせた舌先で先端をグリグリと刺激すると、ああ、ああ、と切なげな声が混じった吐息を吐き出していた。もっと、もっと感じさせてやりたい。
「ああ……御幸、みゆ…ダメだ、出ちまう」
「いいよ」
「嫌だ、はなし……っ! あ、あっ」
何とか離そうと髪の毛を引っ張っていたが、無視をして指と唇で扱きながら強く吸い上げた。
「……あ、もっ、あァっ!」
体をビクビクと波打たせながら達している沢村のを、さらに残滓まで吸い取る。
起き上がり沢村を見ると、目の周りを赤く染め潤んだ瞳からは今にも雫が零れそうで。
また胸がぎゅうっと引き絞られるような痛みを感じた。
手放さなくてよかった。失う前になくせないものだと気付いてよかった。
抑えられない愛しさに、たまらくなって頬に口づけた。
「久しぶりだから、少し念入りに解すから」
「……っ、いちいち、言わなくていいし」
潤滑剤を多めに纏わせた指で開かせた足の間をなぞる。沢村が息を飲んだのがわかった。
何度か行き来して柔らかくなってから一本差し込んだ。
「……はっ、あ」
ナカで小刻みに揺らしたりぐるりと回したり、沢村が順応していく度に動きを大胆にしていく。
そして指を一旦抜いて、もう一本を添えて挿れる。抜くときにナカが指を引き留めるかのような動きをして、理性が吹っ飛びそうになった。
必死に抑えて慣らしていく。沢村を傷つけないように。
ようやく解れてきた頃に、慣れた仕草でナカで指を曲げそこを刺激した。
「あっ! ああァ…っ」
「気持ちいい?沢村……」
「……は…っ、ああっ」
「もっと、気持ちよくしてやるから」
自分と沢村に手早くゴムをつけて大きく開かせた足の間に入り込む。もうとろとろに蕩けたそこはあまりにも美味そうで、待っているようにしか見えない。
何度か擦り付けて挿れていく。絡みつく肉のナカを割り挿るその感覚が気持ちよすぎて、歯を食いしばった。
「う…、あァ、あ」
「はあ……気持ちいいよ、沢村……動いていい?」
目を固く閉じたまま小刻みに頷く沢村の、その目元に口づけた。
沢村の足を持ち、ゆるやかに律動を始める。絡み付いて引き留めて次には奥に誘う、その動きはおかしくなりそうなほどの悦楽で根元まで引き抜いてはまたすべて突き挿れてを繰り返した。
「……あァ、もう、御幸…っ」
沢村の感じる場所ばかりを狙って突いていると、頭を左右に降ってその度に汗か涙かが舞った。その雫を、綺麗だと思った。
まだ足りない。
もっと、もっと深く入り込みたい。奥の奥まで。
そして一滴残らず注ぎ込んだら少しは満足できるだろうか。
「みゆ、き…っおれ、も…無理、また、またイく…っ」
「……は、いいよ……俺も最高によくて、出ちまう…っ」
そしてそこを狙って、一際強く突き上げた。沢村が達したときにぎゅうと引き絞られる感覚に逆らわずに御幸も達した。
「あっ、ああっ……!」
「……くっ…」
すべて出し切ってもしばらくは抱き合ったまま離れられずに。荒い息遣いだけが部屋を満たしていた。










夏休み以来、使っていなかったボディシートを引き出しから取り出した。
言葉はないままに二人してなんとなくおかしくなって、笑いながら拭いた。
シトラスが二人を包む。互いのものになってしまった、その香りが。
求めていたのは快楽だけじゃなくて熱を高め合って分かち合うその行為の、互いを慈しみ合い大切に思う、その部分。
その、証を。
きっと色んな事を置いてきぼりにしてきた。もっと、二人で少しずつ進んできたならなにかが違ったのかもしれないけれど。
とても、暑かったから。すぐにでも抱き合って汗に濡れた肌の温度を感じなければ、夏が終わってしまうから。
あの焦燥感はなんだったのか。今逃したら、まるで抱き合う機会を永遠に失ってしまうかのような。
あの喉を掻きむしるような飢餓感がきっと答えだったのに。
答えをずっと探していた。最初から、きっとずっと在ったのに見落としてしまっていたのだろう。
ハーフパンツを穿いてTシャツを被った沢村が、動く度に香るシトラス。
ここにいる、そう思うだけですべてが満たされる。
すべて今まで通りなのに、すべてが今までと違う。
見つめ合うだけで、キスをするだけでなにかの化学反応を起こしたみたいに、溢れ出してとまらない。
この両手にも収まらずにどんどん溢れてこぼれるほどに。
この想いをなくさなくてよかった。






翌日の昼休み、沢村に呼び出された。
指定された部室の裏に来ると、沢村がすでに待っていた。
地面は土で木や緑が多いせいか、グラウンドや校庭よりは少し涼しく感じる。緑が鮮やかでここもまだ夏なのだと思った。
「沢村、体、キツくねえ?」
「あ……大丈夫」
ならよかったと笑うと、少し赤くなって頷いた。
「今日は、なに?」
沢村は一瞬躊躇して、でも強い瞳でもう一度頷いて御幸を見た。
「アンタからは昨日聞いたけど、俺はちゃんと言ってないって思って」
「……なにを?」
「今までの」
今日は少し風があるのか、木々の鮮やかな緑の葉が揺れている。無風ならここにいるのも辛いだろう。
「夏の間、アンタがどういうつもりなのかとか、気にならないと言えば嘘になったろうけど」
「………うん」
「俺はさ、あんなコト、好きな奴とじゃなきゃ出来ねェよ」
「沢村……、ゴメン」
「いいよもう。アンタだって同じだったんだろ?夕べ、わかったし」
「………ああ」
「好きだった? 好きになった? 好きだったことに気づいた?」
沢村は少し悪戯っ子のような顔をして覗き込んできた。わかっているけど、言わせたいかのような。
そんな顔をされたら望む事はなんでも言ってあげたくなる。全てを伝えたくなる。
「全部」
「全部! まじで!」
「うん。きっと好きだった。もっと好きになった。その事にようやく気づいた」
「そっか」
「そう。どれがよかった?」
沢村はチラリと御幸を見て、そして空を見上げた。つられて見上げると立体的な入道雲と流れるような薄い雲が混在している。そのどちらも、まだ夏を思わせる濃い青に似合っていた。
「本当はどれだっていい」
「マジ漢前だな、沢村」
「知ってる」
堪えきれずに噴き出して沢村を見ると、眩しげにかざした手で目を隠した。
「……どれだっていいんだ。アンタが、そう思ってくれてたんだったら……」
口許は笑みを形作っていた。でも誰よりも似合うはずの太陽の光を遮ったその手。
沢村の、その指先が震えている。
それを見た途端に心臓が跳ね上がり息が荒くなって、最も無意識に行っていた自然な呼吸の仕方がわからなくなった。
呼吸音とはこんなに響くものだったろうかとか、こんなに大きく深く吸い込んでいただろうかとか、音がしないようにこんなに慎重に吐いていただろうかとか。
呼吸音を消そうとしたら、今度は心臓がやかましい程に騒音をたて始めて、意識するともうだめだ。
きっと泣きそうな情けない顔を晒しているから、目元に手をかざしたままの沢村には見られずに済んで安心した。
泣いていいのなんて、沢村だけだ。
それでも。
平静を装うと必死な呼吸で、震えそうな指先を精一杯のばして沢村のあの瞳を覆う手を外した。
現れた瞳は、水の膜が張っていても真っ直ぐに御幸をうつす。
少し揺らめいて、でも透き通るように。
ああ、今ならわかる。
こんなにも慈愛に満ちたこの瞳が、他の誰でもない自分をうつしている。あの日の安堵の由来が。
こうしてこのまま、この瞳に自分をうつし続けて欲しい。
この夏の空と一緒に。
鮮やかな緑の葉が揺れる音は爽やかで、まるであの香りのようで。
震えのおさまった指先でそっと沢村の頬に触れ、こみ上げる愛しさのまま瞳に互いを閉じ込めて。
キスをした。

あの日初めて触れ合った時よりも、少しぎこちなくて、臆病なキスを。




end





2013.9.22発行「すべてを夏のせいにして」より再録。
7年前の今頃に発行したんですね。かなり懐かしく感じますが。
同じ本に掲載していた歯科医パロを2月に再録したので、こちらも載せました。
やはり体から始まるのも好きなんだなあと再確認です。
読んでくださってありがとうございました。



















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