無くさないカギを 待ち合わせ場所に先に来ていたのは珍しく先生の方だった。 駅前広場の、いまだに何の形なのかよくわからないモニュメントに腰掛け、コートのポケットに手を突っ込んだまま宙に向かって白い息を吐き出して遊んでいる高校生、…にしか見えない二年目社会人。 出会った頃から変わらないその姿を見ていると、高校卒業まで半年を切った今、もしかしたらこの人の歳を追い越してしまえるんじゃないかとさえ思えてしまう。 声をかける前に俺に気づいた先生がぴょこんと立ち上がる。俺を見つけた瞬間にふわりと緩むこの表情がとても好きだ。 そのまま小走りに近づいてきた足があと一メートルほどのところでピタリと止まった、かと思ったら訝しげに俺を見上げた目がちょっと険しくなる。 「なにおまえ、もしかしてまた」 「伸びた? 自分じゃよくわからないけど」 高校前半で止まったかに見えた身長が、ここ半年ほどでまたするすると伸び出しているのに最初に気づいたのはこの人だった。 そんなに久しぶりなわけでもないのに、会うたびに同じ台詞を言われている気がして少し可笑しい。 「今で10センチ差くらい? もうちょっとあるかな」 「ったくニョキニョキと…」 「生徒の成長を喜ぶのが教師だろ?」 「そりゃそうだけども! …最初は俺の方が高かったのになあ」 「そうだっけ」 「そうだよ! 目線の高さが明らかに俺のほうが上だった!」 「そんなにムキにならなくても」 「なってねえし! ほんとさぁ、あの頃の可愛げはどこいったよ」 そんなに嫌なもんだろうか。 もし今から先生の背が15センチ伸びたとして、10センチ上から見下ろされたとして――ああ、うん。ちょっと悔しいかも。 そんな想像をしているうちにいつの間にか寄り添うように俺の前に立った先生が、眉間にしわを刻みながらおもむろに両手を伸ばしてきた。 「体だってもっと華奢っていうかこう、薄かったのにさ」 「そんなにモヤシだった覚えはないけど」 「いいや一回りは違う! このへんの厚みとかもだし、腹筋も!」 そんなことを胸や腹のあたりをペタペタ触りながら言うもんだから。 この人に限って誘ってるとか煽ってるとかじゃ無いのはわかってる。わかってるけど、ちょっと意地悪してやりたくなるのもしかたないよな? 「いつ見たわけ?」 「いつって、…そりゃ、」 「なにしてるとき?」 意識した低音で耳許でそう囁いたら、夜目にも赤くなった頬をふくらませて俺のマフラーを力いっぱい引っぱってきた。 ちなみにこれは二代目だ。最初の冬にもらったマフラーは、こんな風にこの人に頻繁に引っ張られるせいでよれよれになってしまって、今はクローゼットの中で安らかな眠りについている。生まれて初めての恋にやっと気づいた日にもらった、この人が俺にくれた最初のプレゼントだ。 マフラーにくすぐられたのか、飛び出した小さなくしゃみに、先生が「大丈夫か?」と慌ててポケットを探ってカイロを取り出して俺に押し付ける。 コートの右、そして左、さらには内ポケットからも。いったいいくつ出てくるんだろう。手品じゃないんだから。 「風邪引くなよ、大事な時期なんだから」 「平気」 「その『平気』はどっちだ? 『風邪じゃないから』? 『風邪引いたって受かるから』?」 「どちらでも」 「ったく、相変わらずの自信家め」 くふんと鼻を鳴らしたしかめっ面がすぐに笑顔に変わる。なんだかご機嫌だ。 「ま、いいや。行くか、なに食う?」 和食? 洋食? と指を折りながら踏み出した足どりも軽い。学校で何かいいことがあったんだろうか。 念願の教師になって二年目、今年初めてクラス担任になった先生は去年にもまして全力で仕事に打ち込んでいる。 この人にとって教師は長年の夢であり天職だ。だから俺ももちろんできる限りの応援をしたいと思ってる。 …けど、ときどき思うことがあるんだ。 例えば、久しぶりに会う日に生徒のトラブルで呼び出しがかかったとき。 学校行事の準備で半月以上会えなかったりしたとき。 授業の準備があるから、と早々に家に帰る背中を見送る夜に。 ――自由に飛び回るこの人が、一日の終わりに同じ場所に帰って来るのならどんなにいいかと。 「先生」 「ん?」 「合格したらお祝いをくれる?」 「…いつかどこかで聞いたセリフだな」 苦さを含んだ笑みを浮かべた横顔には気づかないふりをして、隣に並びながらそっと手をつなぐ。 あの頃のことが話に出ると、この人はいつもこんな顔をする。見ないふりをしていた虫歯を不用意に舌先でつついてしまったような。 違う。そんな顔をさせたいわけじゃなくて。 「山田さんがさ、俺の卒業と同時に引退すんの。お孫さんが生まれたから家でのんびり子守をするらしくて」 「え、…あ、そうなのか? そりゃめでたいけど寂しくなるな」 「今、料理の基礎から教えてもらってる」 「へぇ、米の研ぎ方も知らなかったおまえがなあ」 「…その話はもういいから」 「はは、悪ぃ。でもすげぇじゃん、山田さんの味を習得すればもういつでもお婿に行けるな!」 言うと思った。 そうくればいいな、と思っていた台詞をそのまま口にした素直な恋人に内心ほくそ笑みつつ、改めてその手を強く握った。 逃げられないように。 「春までにはちゃんと食べられるものを作れるようになってるから、」 「…うん?」 「そうしたら、一緒に暮らそう」 瞬間、先生のすべての動きが止まった。 「……。俺?」 言ってから自分でもあんまりだと思ったらしく、「俺以外誰がいるんだっつの」とセルフ突っ込みを入れつつ目を泳がせる。 わかりやすい動揺がこの人らしくて、それがさっきからうるさい鼓動に拍車をかける。 頭の中で何度もなぞった台詞だった。間違えないよう、つっかえないよう、学芸会前の子供みたいに何度も。 なのに少しだけ震えてしまった語尾に、この人はやっぱり気づいただろうか。 「まだ完全に自立できるわけじゃない。生活費はともかく学費は親がかりだし未成年なのは変わりないし、迷惑をかけることもあるかもしれない。だけど」 「御幸、」 「もう三年、待った」 月も空気も、時間さえもすべてが凍り付いてしまったような寒い夜の中、動くのはお互いが吐きだしては消えていく白い息と心臓だけだ。 やがてゆるりと動いた手が、再び俺のマフラーを掴んだ。うつむきがちに伏せた目は縁のフリンジを親の仇のように凝視している。 それが断る理由を探しているように見えるのは被害妄想、であって欲しいけれど。 「…俺、まだ安月給なんだ」 静かに俺を見上げた先生が口にしたのは、想定内の台詞だった。 だからすぐに反論しようと開きかけた俺の口を、先生の手のひらが問答無用で塞ぐ。「ちゃんと聞け」と。 こういうところは今でも『先生』で、俺はそれに逆らう術を持たない。 「だから、その、だな?」 「その、」 「ええと、」 「…あんまお高いとこは無理だからな?」 その意味を脳が理解するまで何秒もかかった。 その間に俺の顔の下半分をマフラーでぐるぐる巻きにした先生は、「なにか言えよ」と唇を尖らせ、赤い頬をごまかすように目を逸らす。 「――それって、」 「ほら帰んぞ! 風邪引いちまうだろ受験生!」 「先生!」 人をあらゆる意味で呼吸困難に陥らせておきながら、一人でさっさと歩き出してしまった薄情な恋人。 その背中を追いかけたいのに動けないのは、重装備のマフラーがやたら眼鏡を曇らせ視界を奪うせいだ。もしかして計画的犯行か? 体勢を立て直すために一度眼鏡を外したら、絶対それを狙っていたタイミングで先生が振り向いた。 輪郭のぼやけた仁王立ちのシルエットからまっすぐに飛んできた、からかい交じりの明るい声。 「…待ったのが自分だけだと思うなよ!」 ほら、だからこの人には敵わない。 「lluvia」まるり様よりいただきましたv まるりさんのサイトの「stand by me」シリーズのその後ですv 社会人と高校生になった二人…うう…素敵。 あの頃みたいに御幸がまた受験生なんですよ!! 初代のマフラーとか、二人をずっと見守ってきた身としては、もう切ないぐらいの愛しさが…。 この二人はこうしてずっと一緒にいるんだなと思うと、泣けるほど幸せです。 こんな素敵なお話を誕生日プレゼントとしていただいちゃいましたvあああ幸せ…。 この御幸は中学生の時からイケメンで!! イケメンなのに、年相応の子どもっぽさが覗いたりしてノックアウトくらったんですが。 高校3年になってますますイケメンなのに、やはり年下っぽさがあって、またノックアウトくらいました…。 もう、まるりさんたらツボを外さない。 本当にありがとうございました!!大好きですv これからもよろしくお願い致しますv |