君想う夏 2 沢村side 「んー…」 障子を通して差す日の光はさすがに真夏だからだろう、もうかなり明るいけれど、開けにくい目をこらして確認した壁の時計はまだ5時を少し回ったところだった。 車の音で目が覚める東京の自分の部屋とは違って、逆に静けさで目が覚めるというのがぴったりな実家で迎える朝ももう三日目。 見慣れた天井の木目をぼんやり眺めながら腹に引っかかってるだけって感じの肌布団を捲って、寝転んだまま大きく体を伸ばした。 18歳の時に離れてしまった故郷で過ごすのは正直うれしいし感慨深い。 故郷には俺を待ってくれている人がたくさんいる。 こっちに帰ってきてから、地元に根づいて生活している幼馴染たちや同級生たち、小さな頃から気心知れている従兄弟たちがかわるがわる俺を訪ねてきてくれて、毎日が同窓会のように賑やかだった。 実家で過ごす数日間、俺は澄んだ空気に満ちた緑がいっぱいの小さな町で、ひたすらこうして昔に戻って、忙しいながらものんびり楽しく時を過ごす。 大学時代から続く東京での暮らしはもうすっかり体に馴染んではいるけれど、なんの遠慮もなくゆったりできる故郷での時間は心と体の隅々にまで癒しをくれる。 それはいつだって変わらない。 けれど今年は今までとは少し、いや、大きくだろうか、違うことがある。 実家に帰ってきてからも俺の頭と心にずっと浮かぶ、東京の小さな部屋から俺を送り出して、そして帰りを待ってると言ってくれた御幸さんの笑顔。 俺をやさしく見つめてそっと触れてくれた御幸さんの唇のやわらかな感触が、まだ唇に残っているような気がしてた。 「行っておいで」 「寂しいのは俺も同じ」 「待ってる」 そんな言葉を頭のなかで何度も反芻しては緩む頬をぎゅっと押さえるなんて、まるで初めて誰かとおつき合いした中学生のガキみたいだ。 けど考えてみれば、御幸さんと一緒にいるようになってから、俺はいつもこんな感じでドキドキしっぱなしだってことに思い至る。 「……俺ってほんと、めんどくせぇよなー…」 御幸さんに見送られてうれしかったのは隠しようもないけれど、こうして今、冷静に状況を思い返してみると、そんな呟きとともに、つい溜息が出てしまう。 休暇前の勤務が終わった日、御幸さんは俺の願いを叶えるために部屋に来てくれた。 でも、あの日、きっと御幸さんにはたくさん飲み会やら食事会やらのお誘いがかかってたはずだ。企画部の若きエースで、そして類まれなイケメンで、なおかつ人格的にも申し分ないってとんでもない人物だ。 いろんな意味で引く手数多だろう御幸さんの予定を自分の都合で縛ってしまったことを、俺は今更だけど申し訳なく感じてる。 とはいえ、自分のわがままだってわかっていても俺はどうしても御幸さんに見送ってほしくて、御幸さんに迎えてほしくて、自分でも信じられないくらい図々しくあんなことを口走ってしまった訳なんだけど―――。 恋人、と言っていいだろうか、そういう関係になってから、御幸さんは週末の金曜日の勤務の後、俺と過ごすために部屋に来て、そのまま日曜日の夜まで一緒にいてくれる。 かなり無理をさせてるんじゃないかって思ってしまうこともある。いろんなつき合いがある御幸さんの足を引っ張ってるんじゃないかって不安になったりもする。 でも俺はあの小さな部屋で御幸さんと過ごす時間が大好きだ。 適当なつまみや食事を広げてふたりでビールを飲みながら、仕事のことや野球のことやとりとめのない世間話なんかをして夜を過ごす。 御幸さんの目はいつもやさしくて、俺はずっとドキドキしてて、だから夜が更けて御幸さんの手が俺を引き寄せる頃には、もう心臓がもたないってくらいになってしまう。 時にはふたりでそのまま酔いつぶれて寝ちまったりもするけど。 少しでも長く御幸さんと一緒にいたいって思う。 そんな自分がめんどくさいヤツだって自覚はじゅうじゅうあるんだけど、最近はそんな気持を抑えられなくてほんとに困ってる。 だって故郷にいるのに、実家に帰ってきてるのに、俺、御幸さんのことばかり考えてる。 家族も友達もみんな、俺が帰ってきてうれしいってあんなに喜んでくれてるから、なんとなく故郷に不義理をしているような後ろめたい気分になったりもするけれど、俺の頭の中は日を追うごとに御幸さんのことでいっぱいになって、「会いたい」って何度だって思ってしまう。 最後に御幸さんが触れた唇に触れると、その感触を思い出すだけで体の奥がずきずきと痛むように御幸さんへの想いが溢れてくる。 じわじわと体全体を包む熱は自分でも戸惑うくらいに高くて、俺は思わず拳をぎゅっと強く握って、熱を逃がすように大きく息を吐き出した。 「………御幸…さん…」 呟くその名前にさえ、熱が移っていく気がした。 「……起きよ」 数分後、俺は夏のだるさとは別のだるさの余韻が残る体をむくりと起こした。 手の中にある丸めたティッシュをぽんと部屋の隅にあるゴミ箱に狙いを定めて放ると、一応投手歴数年のコントロールはまだ生きていて、我慢できなかった生理現象の後始末の結果の産物はゴミ箱の中にぽそりと落ちた。 ゴミ箱を見るとはなく見て、はぁ、と溜息を吐く。 「あー…もう……ほんと、俺って…」 こっちに帰ってきてから俺は朝晩の布団のなかでもう何回目だよって感じでこの処理行動をしてて、溜息が出てしまうのも仕方ない。 今朝の俺の頭の中で御幸さんは「おかえり」って俺を抱きしめて、泣きそうに切なそうな顔で「すげぇ寂しかった…死ぬかと思った」って耳元で囁いて玄関でコトを始めてしまって、えええ?と焦る俺にすごく激しいキスを繰り返しながら焦れるように必死に触れてきて、だから俺も煽られてどうしようもなくなってふたりでもう狭い玄関でくんずほぐれつみたいになって立ったまま―――という、なんていうか……うん……えっと…… いくら俺と御幸さんが同じ会社に勤めてると言っても、平日はお互いに仕事が忙しくて、社内で顔を合わせたとしてもプライベートで会えることはそうそうない。 だから、その、セックスだって週末にまとめてってのが当たり前だし、お互いに20代中盤の元気で若い男とは言っても、それくらいの我慢もできないほどにぎらついてる訳じゃなかった。 それに物理的に離れるなんてことも、御幸さんは出張も多いポジションだからよくある。長い時は十日間くらい会えないことだってあった。 さすがにそんな時は寂しくてついつい…ってことはあったとしても、確かにこう連日ではなかった気がする。 でも、困るような照れくさいような気持を抱えながらのこの行為も、不思議と自然なものだと思えた。 だって、好きでたまらないから仕方ないじゃんか。 御幸さんに抱かれるのはとても好きだ。 キスする時も体に触れる時も、御幸さんはいつだってやさしい。 でも心を繋いでからしばらくの間、御幸さんは俺が戸惑うくらいに、そっと、まるで壊れものを扱うように触れてきた。 俺は御幸さんが何かを気にしてるのかとすごく不安になって、思わず「どうして?」って聞いたことがある。 御幸さんは困ったように俺を見つめてた。 「俺は沢村を何より誰より大切にしたかった。ずっとこうしたかったのに……ごめんな」 そう言った御幸さんの顔は少しだけ辛そうだったけど、触れる手と同じくらい、やさしく笑ってくれてた。 ―――ああ、この人はこんな風に触れたいって思うくらい、本当に俺のことを好きでいてくれたんだ。 御幸さんの想いがうれしかった。 御幸さんの腕の中で御幸さんの想いと言葉を全部真っ直ぐに感じてもいいんだってことが奇跡みたいに幸せに思えた。 最近はそんな気持がどこまでも大きくなって、飽和状態どころか収拾がつかないくらい溢れてきて困ってるってのが実情。 「ほんと俺って…………御幸さんが大好きだ…」 口に出した言葉に苦笑いが出るけれど、どうしようもないくらい御幸さんを好きだってことも、だから我慢できずに何回も出しちまったことも、なんか全部ひっくるめてうれしくて可笑しくて、俺は伸びをしながらへへへっと声を出して笑ってしまった。 明日。 御幸さんのところへ、俺は帰る。 「栄純起きた?ご飯できてるよ!今日は野球部のみんなとでかけるんでしょ?」 廊下から響いた母さんの元気な声。 つい今まで御幸さんに会えると浮かれていた自分が少しだけ申し訳なかった。 俺が東京に帰ったら、母さんも父さんもじいちゃんも、また少しの間、寂しい思いをするんだろう。 今日は野球部のみんなと学校で野球をしてから川で泳ぐことになってる。 帰るのは夕方になっちまうけど、母さんと父さんといっぱい喋ろう。じいちゃんと畑を散歩しよう。 メシの準備も手伝って、いっぱい「美味い!」って言って食べよう。俺にできること、何でもしよう。 「起きてるよー!腹減ったから朝メシ山ほど食うからね!」 そう大きく声をかけて、俺は廊下へ飛び出した。 |