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君想う夏 3





御幸side


預かった鍵を取り出してドアをゆっくりと開けた。

「お邪魔します」

一応の礼儀としてそう呟いて、誰もいない部屋に入る。
今日帰って来る、この部屋の主を迎えるために。








『御幸さん、おはようございます!
俺、今日帰ります。いろんな幼馴染や同級生に会って、毎日が同窓会の連続で目が回りそうでしたけど、すごく楽しかったです。
こっちもかなり暑かったですから東京は大変だったんじゃないですか?御幸さん、体調崩してませんか?
俺の予定は変わりません。たぶん18時頃には部屋に着きます。
早く御幸さんに会いたいです。すみません。』


早朝に沢村から来たメールは、もう暗記できるほど何度も読み直した。
「会いたい」というその文字を眺めるだけで数日間の寂しさはすっかり癒されたけれど、それでも早く会いたくてじっとしていられなくて、沢村が帰るまではまだ随分時間があるにも関わらずここに来てしまった。

沢村と離れていたたったの数日間、俺は自分で笑ってしまうくらいどうにも落ち着かずに時を過ごした。
やるべきことも覚悟も決まっているのに動けないという、まさにお預けを食っているような状態だったからだ。
でも、こんな待ちきれないような、それでいてもう少しだけ焦らされていたいような気分も、じきすっきりするだろう。
いや、させる、と決めている。



主のいない部屋をぐるりと見回す。
週末ごとに訪れて沢村と一緒に過ごすこの部屋は、ひとりでいても所在無さを感じないほど、俺にとって過ごし慣れた場所になっていた。
愛しい人が暮らす、愛しい空間。
でも、ここが初めからそういう場所だったわけじゃない。
俺はこの部屋で沢村を無理やり抱いてしまったのだから。

沢村に向ける感情が恋だと認めるのには何の努力も必要としなかった俺だったけれど、自分も沢村も男だという曲げようもない事実には抗いようもなく、沢村に想いを伝えることも、沢村の心をもらうことも、最初から諦めていた。
なのに沢村が欲しくてたまらなくて、沢村が「同じ会社の先輩」として慕ってくれる素直な気持を利用して、嘘を吐いて、騙して、沢村を抱いた。何度もここで。
自分の心は全部隠したまま、沢村を混乱させるような抱き方しかできなかった。
抱かれる度に沢村が心の中で泣いているだろうことはわかっていたけれど、俺は沢村を恋うことも、体だけでもいいから俺の存在を感じて欲しいと願うことも止められなかった。
心からの言葉を伝えられないことに耐えきれず俺への想いをぶつけてくれたあの日までの数ヶ月、沢村は何度、この部屋で泣いたのだろう。

沢村の大切な安らぎの場に辛い記憶を塗り込めてしまったあの頃の日々は、開けたドアの向こうに立つ、必死で色を消そうとしていた沢村の表情とともに、思い出すたび今も胸に鋭い痛みを生む。
痛みなんて、そんなものを感じる資格など俺にはないのに。



けれど沢村は俺の全部を赦してくれた。
心を繋ぎあってお互いを真っ直ぐに見つめられるようになった今、この部屋のドアを開けた時に迎えてくれるのは、切なくなるほどに愛しい沢村の笑顔。

俺に見送ってほしい、俺のところへ帰ってきたい、と沢村が言ってくれた時、俺は正直、言葉が出ないくらいうれしかった。
そして帰省する日、階段を下りきるまで必死で手を振ってくれる沢村を見て、強く思った。


もっと、もっと一緒にいてやりたい。
離れることなどないほどの近くで。


それを俺が願うのはおこがましいだろうか。
心のどこかで少しだけ後ろめたさを感じながらも、ふたりで過ごす時の沢村の笑顔を思い出せば、そんな杞憂も打ち消されてしまう。

「御幸さんと一緒にいんの、すごく好きです。うれしいんです。」

沢村がくれた言葉と笑顔が心の中を巡って熱を生む。



先走ってるかも知れないし、空回っているかも知れないし、ただのひとりよがりかも知れない。
でも、沢村が俺を望んでくれるなら。



だから伝えよう。


「一緒に暮らさないか」


そのひとことを、沢村に。







もともと夏休暇の一週間のほとんどは沢村の帰省で一緒に過ごせないとわかっていたから、気を紛らわすためにもと結構早い時点で自分なりの予定や約束をそれなりに幾つか入れてあったのだけれど、もしかしたら大きく変わるかも知れない沢村との距離やつき合い方への新たな期待が胸を覆いつくしてからは、俺はそれ以外のすべてがなんだかもうどうでもいいことのように思えるようになって、約束のほとんどをキャンセルしてしまった。

そしてひとり、沢村との「これから」について考えに耽っていた
恭しく手にキスでもしながら申し込もうかとか、俺の荷物まで入ったらもうここは手狭になってしまうだろうかとか、でも愛着のある部屋だから引っ越そうとは言い出しにくいし俺もこの部屋が好きだなとか、やるべきことの分担はどうするべきだろうかとか、洗濯や掃除は野球部の寮生活の経験からこなせる自信はあるけど料理はこれから覚えなきゃなとか。
最初のOKさえもらっていない状況でいったい何をやってんだと思わなくもなかったけれど、ふたりの距離が近くなることに想いを馳せるとどこまでも幸せな気持が胸に満ちて、どうにもそんなバカな妄想をしてしまうことを止められなかった。
中学生も真っ青なそんな浮かれっぱなしの自分自身に「まるでガキだな」と突っ込みを入れたのは一度や二度じゃない。

ただ、じわじわと高まる胸の熱さを自覚しながらも、俺は解決すべき難題を忘れてはいなかった。
「一緒に暮らす」という俺の申し出を、あの沢村が素直に受け入れてくれるとは到底思えない。
人に気を遣う、人のことをまず考えるっていうのが基本的な性格の沢村は、きっと目を丸くして驚いて焦って、「なに言ってるんすか!そんなことできる訳ないっすよ!」とか言って、とんでもなく抵抗するだろう。
「うれしい」と感じてくれたとしても、まずは「御幸さんに迷惑がかかります」とか、「御幸さんにそんな無理させられません」とか、なんでそんなに一生懸命曲がっていこうとするんだ?ってことになるに決まってる。
でもそんな可愛くて不器用なところが、もう今となっては愛しくてたまらなくもある。

だからどんなにジタバタしてもいい。最後には頷いてほしい。
俺の大好きな満面の笑顔で、小さな声で「はい」と言って。





沢村に伝えるべき言葉を胸の内でもう何度呟いただろう。
その度に沢村への愛しさが際限なく溢れてきて、早くその体を腕の中に抱きしめたくてたまらなくなる。
沢村からどうやってイエスを貰おうかを考え続けてずっと忙しく頭を動かしているところで、ローテーブルの上の携帯が軽やかな音を立てて震えた。
食いつくようにそれを手に取る。


『御幸さん、今、列車に乗りました。
父さんも母さんもじいちゃんも、“元気で頑張るんだよ”って笑って送ってくれました。
じいちゃんはもうだいぶいい歳なんですけど、この夏も元気でほんとによかったって思います。
もうすぐ帰ります。待っててくださいね。しつこくてほんとにすみません。
御幸さんに会いたいです。すごく会いたいです。今すぐ会いたいです。』


俺の心臓を止める気か!って突っ込まずにはいられない「会いたい」の連続攻撃に、思わず手のひらで口元を覆う。

「………ったく……どうしろっての……」

今の俺の顔は誰にも見せられたもんじゃないほど崩れてるはずだ。

お返しに「会いたい」を100回ほど書き連ねて返信してやろうかなどと考えてしまう俺に、「そばにいてやりたい」なんて上からな思考などありえるわけもない。
離れることのない距離を望んでいるのは誰でもない、俺自身だ。
どうしようもなく途方もなく沢村に会いたくて、このたった数日間をどれだけ長く感じたことか。

100回は勘弁してやったけれど、とりあえず「会いたい」を画面いっぱいに貼り付けまくって、自分でも照れるくらいの甘く高揚した気分で送信する。
画面を確認する沢村のうろうろと困って泳ぐ目や赤くなる頬を想像してまた緩む口元を今度は隠すことなく。








もうすぐ沢村は帰ってきてくれる。
俺の腕の中に。





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