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君想う夏 1





御幸side


「………御幸さん…」

胸のなかから小さく遠慮がちに俺を呼ぶ声。
ほんの少しの身じろぎを感じた後、頬にそっと触れたのはやわらかな唇の感触。

「ん……起きてるよ」

一瞬で意識は引き上げられゆっくりと目を開くと、明け方の薄暗がりのなか、心配そうに俺の顔をじっと見つめる愛しい恋人の顔が間近にあった。

「…おはよう、沢村」
「おはようございます…御幸さん」
「ちゃんと眠れた?」
「はい、ぐっすりです」
「ん、よかった……えっと、まだ時間、余裕ある?」
「あ、はい……あの……ほんとにすみません」
「すみませんなんて言ってくれんな………寂しくて泣くぞ?」
「え……あ…あのっ……」
「駄目だな、土壇場でつい本音が出ちまうとか……悪い」
「……御幸さん…」

思わず出た苦笑いをごまかすように沢村の額に寄せた唇で、さわさわと前髪をかき分けるようにしてキスをする。
くすぐったがって肩をすくめる沢村を、しばしの別れに耐えうるよう、その愛しい匂いとやわらかさの記憶を体に残すためにぎゅっと抱きしめた。

「そろそろ準備しなきゃな…」
「……はい」

お互いの体を抱く腕をゆっくりと解きながら、胸に生まれる寂しさは同じ。
見つめられる視線に引き寄せられるように近づいてしまう唇を、もう一度だけそっと合わせた。










今日、沢村は故郷に帰省する。
こう見えても長野の由緒ある旧家の本家の長男という立場の沢村にとって、「盆は絶対に実家に帰って墓参りをする」という決まりごとは何があろうが守らなければならないらしく、大学進学で東京に出てきてからもそれは変わらないということだ。

俺たちの勤務先は盆を含めた8月半ばの1週間が会社としての定休となっていて、どこもかしこも混雑する時期ではあるが、暑い盛りの1週間の休暇はそれなりに有難くはあった。
紆余曲折の末ではあったけれど沢村の恋人という存在になれた俺は、そういう関係になって初めての夏の休暇を子供のようにわくわくと待ち遠しく思っていた。
沢村をどうやって楽しませてやろうかと、旅行先を吟味して、イベントを調べ上げて、あれこれ計画を立てて。
職種柄と笑われるだろうことも構わず、沢村にプレゼンするために資料も山ほど作った。

ところが、あまり先走りすぎて引かれるかもなどと思いながらも我慢できず、「夏の休暇、一緒に過ごそう」と話を出した春先のある日、沢村から返されたのは思いきり落胆の表情。
実家に帰らなければならない事情を一生懸命説明する沢村の話を聴いて、俺は沢村の予定や状況の確認など置き去りにしてしまうほど舞い上がっていた自分にようやく気づくという体たらくだった。

沢村としても俺が休暇を一緒に過ごそうと望んでいたのを嬉しく思ってくれたらしく「すみません」ばかりを繰り返し、最後は涙目になって「俺、御幸さんと一緒がよかったっす…」と呟かれたもんだから、理性が吹っ飛んで沢村を押し倒してそのまま愚行に走ってしまったのはなんとも痛い記憶だ。



しかしながら沢村の事情は如何ともし難くて、夏が近づいて会社でも野球同好会の集まりでも夏休暇の過ごし方の話題がしょっちゅう出るようになり、そのたび俺に気を遣って表情を曇らせる沢村を、「会える日に夏らしいこといっぱいしような」と言って慰めた。
沢村との約束はどんなことがあっても守ると決めていた俺は、なんとか必死に予定を合わせ、慌しい強行軍だったけれどふたりで海へ行ったし、俺の地元の夏祭りにも連れて行ってやることができた。

棚ボタのようにうれしい出来事もあった。
恒例の夏休暇前の社内納涼イベントには野球同好会のよしみという関係を行使して一緒に参加できたのだが、営業部は今年、全員浴衣を着用して参加というサプライズを用意していたらしく、濃紺の浴衣を着て恥ずかしそうに現れた沢村の凛々しさというか可愛さというか色気というかに、俺は口を開けた馬鹿面を思いきり晒してしまって、倉持に腹を抱えて笑い転げられてしまった。
ちょっと恥ずかしいけれど、とても大切な夏の思い出。

沢村を知るほどに「もっとそばにいたい」と思う気持はどんどん大きくなっていく。
こんなに人を好きになれるということが奇跡のように思える、胸が熱くてたまらない夏を俺は過ごしていた。



いよいよ夏休暇まであと数日になった頃。
沢村の実家では遠く離れて暮らすひとり息子の帰省を心待ちにしているらしく、沢村もそれがわかっているから、例年、夏休暇の前日の勤務が終わったその足で特急に飛び乗って帰省していると聞いていた俺は、きっと今年もそうするものだと思い、休暇前の打ち上げの誘いは全部スルーして沢村を駅まで見送るつもりでいた。
ところが沢村の部屋で列車の時間を尋ねた俺に、なぜか沢村は上目遣いで言いにくそうに言葉を濁した。

「どうした?なんか気になる?」
「……あの…」
「あ…もしかして見送りとかそういうの、鬱陶しいか…?」

いくら恋人とは言っても、お互い社会人でいい大人という立場だ。
そこまでする必要があるのかと引かれたのかもと不安になり焦って問えば、沢村はきょとんと目を大きく開く。

「え…?あっ…!ち、違いますよ!」

俺の考えていることがわかったのだろうか、沢村は焦った声を上げてからバタバタと顔の前で手を振る。

「えっと…違うの?」

俺の不審な視線を受けて今度は居心地悪そうに頭を掻いて、沢村はぼそりと言葉を継いだ。

「……俺、御幸さんにここで見送ってほしいなって……思ってて…」
「ここって……この部屋?」

こくんと小さく頷く沢村の顔はだんだん俯いていって、ちらりと見える頬と項はほんのりと紅く色づいていた。

「俺……大学ん時からずっとひとり暮らしで、でもそういうの、別に寂しいとかはあんまり思ったことなかったんです」
「…うん」
「でも御幸さんと会って、一緒にいられるようになって……その…普段の日にこの部屋にひとりでいると、ひとりって寂しいなって思うこと……すごく多くなって……」
「……沢村…」
「俺、御幸さんと一緒にいんの、すごく好きです……うれしいんです…」
「…そっか…」
「そんで、父さんと母さんとじいちゃんにはほんとにすっげぇ申し訳ないなって思うんですけど……俺、なんか今年……御幸さんと離れるの嫌だなって、そればっか考えてます…」
「……あー…えっと…」

突然の愛の告白のような状況に言葉に詰まったのは俺。

「なんていうか……この部屋で御幸さんに“行っといで”って見送ってもらって……えと……帰ったら御幸さんがまたここにいてくれて、そんで“おかえり”とか言ってくれたら……その……すげぇうれしいだろうなとか……そんなこと、考えて…」
「……沢村」
「あっ…そのっ…なんか、も、妄想とかってレベルですよねっ…」
「…そんなことないよ」
「で、でも…」

わかるよ沢村。
お前の言いたいこと、たぶん、ちゃんとわかってると思う。
俺も同じだよ。

「行っておいで」
「……え…?」
「それで、俺のとこへ帰ってきて」
「……御幸さん」
「それでいいか?」
「……あ…の…」

俺を見上げた沢村の顔はかわいそうなくらい赤くて、すごく困ってた。

「……俺って、めんどくさくないっすか…?」
「うれしいだけだって言ってもどうせ信じてくんないんだろ?」
「えっと……え?え?」
「…うれしい。ほんと、それしかないよ」
「……ほんと…っすか…」
「うん、ほんと……で、それでいい?」
「……は…はい?」
「ここでお前を見送って、ここで迎えるよ。それでいい?」
「はい…!」

沢村の望みを叶えてやれることが嬉しくて、きっと俺はどうしようもなく緩みきった顔をしていたことだろう。
それを隠すことなく引き寄せた腕のなか、沢村は体に回した腕で強く強く俺を強く抱きしめてくれた。










そして沢村が帰省する今日。
勤務が終わってからのひと晩を一緒に過ごして目覚めた先刻から、俺は身支度をする沢村を見守っていた。

「えっと……じゃあ、い……いってきます」
「ん、行っておいで。ゆっくりしてくるんだぞ?…気をつけて」

土産物の大半は先に宅配便で送ったそうだが、自分自身の着替えなど数日分が入ったそれなりに大きなバッグと幾つかの土産物の紙袋を持って玄関に立つ沢村は、にっこりと笑ってはいたけれど、たぶん俺も同じだろう、目には隠しきれない寂しげな色が浮かぶ。
ここで見送ってほしいという沢村の願い通りにすると決めてはいたが、本当は早朝の列車に乗る沢村を駅まで送ってやりたいところだった。
でも沢村は「ここで、がいいです!」と言って聞かず、俺は折れるしかなかった。

「帰りの列車の時間は控えてるから心配すんな。お前が帰ってくる日にはちゃんとここで待ってる」
「…あの…今更なんすけど、俺、御幸さんの予定とか都合とか全然聞かねくて……無理とか、してませんか…?」
「無理なんかしてねぇよ。そんなの気にしてしないで、ほら、時間だぞ時間!」
「はい…でも、あの…」
「心配すんなって。鍵の管理もちゃんとする」
「だ…誰もそんな心配してませんってば……じゃなくて、ですね…」
「いや、ほんとに時間ねぇって。早く行きな!」
「……あの…」
「……あーもう!」

いつまでもぐずぐずしている沢村を荷物ごと盛大に抱きしめて耳元で告げる。

「寂しいのは俺も同じだから……早く行って早く帰ってきて?」
「……あ…」
「…行っておいで」
「……はい…」

耳元から滑らせた唇で沢村の唇にそっと口付けてからゆっくり体を離すと、沢村はようやく観念したように素直にこくりと頷いた。

「………いってきます…」
「ん…行ってらっしゃい」
「ま…待っててください…ね?」
「……待ってる」




沢村の照れた笑顔と大きく振られる手が階段の下に消えていくのを見つめながら、俺の心にはひとつの決意がはっきりと生まれていた。













あきゅろす。
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