しなやかな腕の祈り 遠雷の音に重なってチャイムが聞こえた。 全く予定の入っていない休日など本当に久しぶりで、午前中で家事その他やりつくした後、午後は手持無沙汰に悩んだあげくどこか体を動かしに出掛けるかと思いきや部屋にいても暗くなるのが分かるほどの酷い夕立がやってこようとしていた。 寝室の窓から空模様を見ていたところだったので、部屋を横切ってドアを開けた。 玄関に向かう前に驚きで硬直する。 「鍵開いてたぞ。相変わらず不用心だなあ。」 という言葉とともに御幸がこちらに歩いて来ていた。 「ぎりぎり降られずに済んだな。」 「な……」 言葉に詰まる沢村を寝室に押し戻すとそのドアを閉めた。 「なに…してんのあんた。」 「ご挨拶だな。会いに来たに決まってるじゃん。」 そう言って笑うといまだ固まったままの沢村の体を包み込むように抱きしめた。 「ひさしぶり。」 「なんで俺が休みだって……」 「言ってるだろお前に関しちゃ俺はストーカーと同じ。スケジュールなんて全部把握してるよ。」 などと笑う。 それはそう簡単なことではないはずだ。 FAで同じ球団に所属するようになったとはいえ今現在はかたや一軍の先発ローテーションに組み込まれている投手。そして…… 「ちょ……やめ……!」 腰にまわされていた手が慣れた手つきで自分の肌の上を滑り始めるのを感じて身を捩る。 なんとか押しのけようと胸板に手をついて後ろに下がろうとするとその力を利用されて抱え込まれたまま後退する。 どさりとベッドに押し倒される。 その勢いと軋む音にぎくりと体が強張り、思わず御幸の表情を見るが御幸は普段と変わらぬ笑みを浮かべている。 「この……いい歳して昼間っからサカってんじゃねえよ!」 「だって本当に久しぶりだろ?いくら若くなくても溜まってるって。」 「へっ。」 自嘲のような嘲笑が漏れる。 若くないどころではない。もうすぐお互い四十の声を聞く。御幸の方がいくぶん早いが。 この男は今のこの自分の何に欲情するというのか――少年の頃の幻影を追っているだけではないのか。 そんな思いがよぎるのも年をとったせいなのか、それとも心にわだかまるものがあるからか。 「あんたなら今でも女なんかよりどりみどりだろうが。こんなおっさん好き好んで襲うなよ。」 「冗談きついぜ沢村。」 御幸の眉がはねる。笑みが心底楽しそうなものに変わった。 「俺がお前以外に勃つわけないだろ。」 手の動きがますます遠慮のないものに変わる。 噛み殺しきれなかった喘ぎが沢村の喉から漏れた。 それにくすりと笑いが零れる。 「お前も……だろ?」 「御幸っ……!!」 言いたいことも訊きたいことも山ほどあった。 それを口に上らせることが出来ないままただ必死で御幸の瞳を覗き込んだ。 だがそこにあるのは遠い昔にも見た覚えのある光で―― (なんだ) 迷っていたのは己だけか―― そう腑に落ちると体から力が抜けた。 「沢村?」 それに気づいた御幸が何か言いかけるがその前に腕を伸ばしてその首に絡めた。 「みゆき。」 柔らかく名を呼ぶ。 「御幸、好きだ。」 そう言うと今度は御幸が息をつめた。 しばらくしてから長く吐き出す。 「ホント、お前普段はまったく空気読めねえくせにさ。」 抱きしめ返す手が強い。 「こういうときだけ……かなわねえよ。」 肩口に顎が当たる。 その感触が今も愛しいと思えるのが幸せというものなのかもしれなかった。 首に触れた唇が己のそれにたどり着いた時、巻きつけた腕の力を少しだけ強めた。 意識を浸食してくる疲労と睡魔に抗いながら利き手をそっと隣の御幸の体に伸ばした。 手指で探り当てた彼の膝は形も皮膚も以前と変わらぬ若さを保っているように思えた。 それを愛でるように撫でると 「おつかれさま。」 と小さく呟いた。 御幸は一瞬目を見開いたあと、面映ゆそうな笑みを浮かべた。 「お先に。」 「ああ、そうだよなあ。」 「お前はもうちょっと頑張れよ。」 「うん。俺はもうちょっと頑張るよ。」 そう言うと二人同時に小さく笑った。 「愛してる。」 「今、言うなよ。」 「今言わなくていつ言うんだよ。」 頬に触れてくる節ばった指が優しい。 それにわずかな照れくささを感じながらも小さく囁いた。 「俺も…愛してる。」 翌日プロ野球選手御幸一也の現役引退のニュースをテレビが報じた。 終 「月の満ち欠け」萱野のはら様より、フリー小説を頂いて参りましたv ずっと攫おうと思っていて、ようやくv 何というかもう、たまらないですよね。胸に来る思いとか読後感とか。 幸せだけど切なくて、切ないけどやっぱり幸せなんですよ。 これまでも一緒にいて、きっとこれからも一緒なんだなとも。 引退というテーマをさらりと書かれているのに、でも胸の奥深くまで打たれました。 本当、凄い。大好きです!ありがとうございましたv |