やわらかく、そっと
苦しくて目が醒めた。
暑いのか寒いのか寝てたのかもよくわからない。
熱くてたまらない気がするのにさっきまでガタガタ震えてた。体中が、関節が痛い。
カーテンもひいたままの薄暗い部屋の中で、自分の呼吸音だけが響いている。
猛威を振るうインフルエンザにまんまとやられた。部員はみんな予防摂取、したのに。何で俺はかかるんだ。
隔離された部屋は空き部屋で、俺みたいな奴が入れられるらしい。
初めて入る部屋は造りはまったく同じなのに、まるで馴染みがなくて変な感じだった。
明らかに俺の居場所じゃない違和感。
まるで世界から切り離されて俺しか存在しないみたい。俺すら存在しないみたい。
部屋のドアの向こうには本当に日常が在るのだろうか。
浮かんでは消える他愛もない思考の中で、静かにドアが開く気配がしたけど瞼を持ち上げるのさえ億劫で放置した。
続けて、誰かが俺のいる下段に近付き覗き込む気配。
反応しようとしたところで、額に少しひんやりとした手が置かれた。
そのまま額にかかる髪を払い撫でるように滑っていく。
この、手は。
この、触れ方は。
「…みゆ、先ぱ…」
何とか口に出すと撫でる手が一瞬止まった。
そのまま梳くように撫でていく。
「起こしたか、悪い」
「…や、起きたり、眠ったりで…」
「ああ熱が高いからな。眠りが浅い」
「ん……」
「何か食ったか?」
「…お粥、少し」
「そうか。欲しいモンあるか?」
「……気持ち悪ぃ」
「マジでかっ、吐きそう?」
途端に慌てる御幸が可笑しくて笑ったつもりだったけど吐息しか吐き出せなかった。
「違う…、アンタが」
「ん?」
「アンタが優しくて気持ち悪ぃ」
「この、人が心配して見に来りゃ失礼な事言いやがって」
「……来んなよ」
「何で」
「…うつったらどうすんだよ。自覚しろよ」
「んー恋人としての自覚はあんだけど」
「バカヤロ」
重い瞼をようやく持ち上げて横を見ると、暗い部屋の中で柔らかく微笑う御幸が見えた。
瞬間に泣けてきそうな安心感に包まれる。
そしてここは俺しか存在しない異世界から俺が元気になる為のただの空部屋に戻った。
「……マジでうつるからもう行けよ」
「わかった。また来る」
「来んな」
「んなヤワじゃねえから。予防摂取舐めんなよ」
「……俺だって打ったし」
「はっは!拗ねんなよ」
「…マジで、部屋出たら手洗いとうがい…」
「わかってる。サンキュ」
御幸はまた柔らかく微笑いクシャリと頭を撫でて立ち上がった。
目で追おうとしたけど、動かすと眼球の奥が痛くて諦めた。経験上、まだ熱が高いんだなとわかる。
するとドアに向かっていた御幸が立ち止まる気配がした。
「さっきさあ、」
「……ん?」
「俺来た時寝てた、つか目ェ閉じてたじゃん?」
「……ああ」
「なのに何で俺ってわかったの」
何でわかったんだっけ。
ああ、そうだ。
俺の大好きな。
「…手が…」
「手?」
「手と、それから…触れ方が、アンタだった」
「………」
御幸は何も言わなかった。
でも、きっとまた柔らかく微笑んでる。そんな気配が、する。
「寝込んでるのに邪魔して悪かったな」
「……いや、」
「顔見れてよかった。早くよくなれよ」
「ん……」
「具合悪ぃの解ってても我慢出来ねえで来ちまうからさ」
「……え…」
「じゃあな。ゆっくり休め」
廊下の灯が部屋を照らし、ゆっくりと暗くなる。
元の薄暗い部屋に戻ったけれどさっきまでとは全然違う。
澱んだ空気が浄化されて居心地がよくなって、すぐにでも治りそうだ。
目を閉じて、全てを変えた手を想う。
優しく、慈しむように触れた手。
想いが伝わってくるような触れ方で。
重い腕を動かして自分の髪に触れ、真似てみる。
先程の感触を追うように、寝ている為に少しもつれた髪を梳くように。
あんなふうに触れる事が出来たらいいと思う。
いつか、自分も。あの色素の薄い髪にあんなふうに。
やわらかく、そっと。
end
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