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フラッグフラッグ





何時間ぶりかに開かれた沢村の目はまず蛍光灯の光を眩しそうに見つめて、そのあとベッド脇のパイプ椅子に座る俺の存在に気づくとあからさまに困惑の色を浸透させた。視界に写る設備と、消毒液とリネンが混ざり合った匂いのせいで此処が保健室であることはすぐに気がついたらしい。沢村の視線が泳ぐ。その場しのぎの言い訳を紡ぐ時間は与えずに、俺は言った。


「貧血だってな」


体育の授業のあと、着替え中に倒れたことは覚えていても眩暈の原因までは解らなかったらしい。貧血と聞いてやっと状況がつかめたのか、沢村の顔からサアッと血の気が引いた。意識を失っている時から顔色は悪かったのだがそれよりも一層酷くという意味で、だ。きっと今頃、沢村の脳内でイヤというほど反響しまくっているであろう言葉をあえて俺は口にする。できるだけゆっくり、確実に沢村の傷を深く抉っていくように。嘲笑ってやる。


「今は調整期だってあんだけ言われてんのに、勝手に練習量増やして無茶して挙句に体壊してぶっ倒れて。お前、何がしたいんだ」

「……、すいません」

「自分の器も知らねえで、うぬぼれてるからこうなるんだ。自業自得、だろ?」


沢村が「すいま、せ、」と消え入るような声で言い、俯いた。黒眼がちの大きな目から大粒の涙がぼたぼたと零れ、頬に留まりきらなかったそれが首元まで伝っていく。瞬く間にシーツに小さな染みが色づいた。


それでも沢村は、言い訳もしなければ文句も吐かなかった。ただ言葉にならない言葉で「ごめんなさい」を繰り返す。考えるよりも早く、俺は沢村の胸ぐらを掴み上げていた。もちろん相手は病人だから手加減はする。シャツの襟元を掴んで上を向かせて、これ以上不愉快な涙が流れないようにしただけだった。あまり力を入れたつもりはなかったのだが、襟元が締まったのか沢村は苦しそうに眉を寄せた。


「お前、本当は俺に受けてほしいんだろ」


ハッ、と鼻で嗤ってやると沢村は俺を睨んだ。図星に決まってる。多量の水分に視界を滲ませながらも、鋭い光を孕んだそれはただ投げることにどこまでも貪欲で。ピッチャーの目だった。その目が捉え続けているのは、厳密に言えば俺じゃない。こういう目をしたピッチャーは頭でいくら考えていたとしても結局のところは、ただ優秀なキャッチャーのみを求めているのだ。


わざわざ言葉にしなくても、本能は嘘をつかない。本当は知っている。沢村が自分の体力の限界を越えてでも練習量を増やした意味も、報われない辛さに押し潰されかけて飯を食えなくなってしまったことも、全部。俺に受けてもらいたいからだ。ああ、くそ。面白くない。


「俺はやだよ。チームの事情そっちのけで、独り善がりな練習するピッチャーなんてさ。そんなやつに割く時間が勿体ねえから」


なるべく沢村が嫌がる言葉を選び、たっぷりと時間をかけて吐き捨てる。俺の腕を掴む力が、キュ、と強くなった。痛い程に静まりかえる保健室の外から、だんだんと近づいてくる足音が聞こえた。俺は襟元を掴む手を離し、パイプ椅子から立ち上がる。沢村は俯いたままだったから、自然と俺が沢村を見下ろす形になる。保健室には押し殺した嗚咽の音が空しく響いていた。


ああ、ほんと、まじで、可哀相な沢村。俺なんかに関わんなきゃよかったんだ。心の内で毒づいてみるものの、そんな現実など今更どこに転がるわけもない。すぐそこまで近づいた足音が止んで、引き戸が開いた。会議から戻った保険医と擦れ違いになるように、俺は沢村のベッドルームから退出した。


「じゃ、俺、部活行くんで。こいつのことよろしくお願いします」


どれだけ耳を澄ませても背中越しに聞こえたのは、「どうもありがとね、御幸くん」という保健医の穏やかな声だけだった。きっとまだ沢村は泣きじゃくっている。俺だって泣けるもんなら泣きてえんだけどな。ここ数年泣いたことねえから、涙の出し方すら忘れてんのかもしんないけど。ああ、くそ。面白くない。








次の日の朝練に、沢村の姿は見当らなかった。ランニング中に倉持に尋ねてみれば、まだ体調が優れないため寮で休んでいる、と答えた。倉持はランニングの最初の二周を流して、ラスト三周で誰もついてこれないくらいに一気に飛ばすため(アップだからそんな全力疾走をする必要は無いのに、本人はそれが気持ち良いと言う)、走りながら話ができるのは二周400Mの間だけだった。ランニング中の雑談を嫌う倉持が、今日はめずらしく俺に付き合ってくれた。


「お前さー、あんま後輩いじめんじゃねえぞ」

「倉持に言われたかねえよ」

「……詳しくは知らねえけどよ。いくら気に入らねえからって、自分に惚れてるやつによくそこまでできるよな」

「惚れてる?誰が?誰に?」

「沢村が、お前に」

「んなアホな」

「アホほざいてんのはどっちだよ」


ランニングは三周目に差し掛かり、倉持が徐々にスピードを上げ始めた。まだ会話は終わってないので、仕方なく俺も倉持についていく。言いたくなさそうに倉持が眉を寄せ、それまで走る動きに合わせて規則正しく続いていた呼吸を一旦崩すと倉持はハアと大袈裟に溜息をついた。


「あいつ、寝言でお前の名前呼んでんだよ。すっげえ泣きそうな声で。お前、どんだけ追い詰めたわけ」


嫌悪感と少しの軽蔑を露にしながら呟かれたその台詞を聞いたあとしばらくは、ザッザッザッと土を蹴るスパイクの音以外は耳に入らなかった。沢村が、俺を好き?そんな、ばかな。でも、だって、俺は、ずっと――…。俺があまりにも無反応だったので聞いてんのかよ、と倉持が脇腹を小突いてきた頃俺はくるりと踵を返していた。


「ごめん。すぐ戻るから」

「は?すぐって……ちょ、お前、あと5分で練習始まんぞ?」

「寝坊したっつっといて」

「知らねーぞ。遅刻したら外周走らされんだからな」

「外周?」

「ああ。5分遅刻するごとに10周だと」


謝るには5分じゃ足りない。仕返しにぶん殴られるなら10分でも足りない。先のことを躊躇している暇など無いから、とにかく、あいつのところへ。


「いくらでも走ってやるよ」


50周でも100周でも、と言うと倉持は呆れたように乾いた笑みを浮かべた。あいつがあんまりにも酷い笑い方をしていたから、俺はもっと心底嬉しそうに笑っていたのだと思う。



フラッグフラッグ







「優等生」竹本様よりいただきました。
キリ番6000を踏ませていただき2種類のリクのうちお任せを頂きましたv
もうホント素晴らしいですvハッピーエンドが泣く程嬉しくてv
御幸も倉持もカッコよくてクラクラです!本当にありがとうございましたv








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