静寂と星と缶コーヒー
目が離せなかった。
ゴクリ、と沢村がスポーツドリンクを飲み下すその喉の動きから。
汗が流れ、嚥下のたびに規則正しく動くそれを綺麗だと思ったが同時にひどく扇情的に映った。
沢村は潤ったのか、ようやく口をペットボトルから離し袖で拭った。汚れた練習着で横に立ちまた袖で汗を拭う。
ふぅ、と息をつくその唇の形にすら目を奪われる。
沢村が視線を感じたのかこちらを向いた。
「なんスか?」
「いや、飲み過ぎんなよ」
「っス」
ごまかして自分もキャップを開ける。そしてこの醜悪な欲望とともに喉の奥へ流し込んだ。
(やってらんねーよ)
沢村に欲情するなんて。しかもこんな泥だらけの。
いつからなんて覚えていない。ただ気付いたら目が求めていた。視界に沢村を捉えていなければ気が済まない程に。
この想いは何だろうと思う。どの言葉を当てはめてもしっくりこない。
欲情までしているのだ。好きには違いない。しかし好きだとか恋しているとかそんなキレイな想いでもない。
もっとドロドロしていて渇望して焦がれている。
その沢村の喉に唇を寄せて思うままに舌を這わせてみたい。朱い花を散らしたらどんな気分だろうか。
御幸は思い切り飲み干してペットボトルを握り潰し、この想いの代わりにゴミ箱にたたき付けるように捨てた。
タイミングよく練習が再開し皆が散って行く。投球練習は降谷の相手だ。
今はこれ以上考えずに済むと安堵の溜息をついた。
練習後の部員で賑わうロッカールームですら休まる時間ではない。なるべく沢村と顔を合わさずにすむように早々に着替えて出る。
唯一安らぐのは寝る前に一人自販機のベンチで星を見ながらの缶コーヒー。
こうして静寂の中で夜空を見ていると自分が少しだけ浄化されるような気がした。
ふと気配がして振り向いた。
「…沢村?」
「っス」
「何、パシリ?」
「いや自分のを…」
「ふーん」
沢村はそのまま自販機に向き直りクーのオレンジを買った。
「となり、いいスか」
「あぁ」
沢村がかすかに会釈して座って来た。
「何だお前、ガキみてーなの飲んでんな」
「ガキじゃなくてもブームは去ってもウマイってこれは!まさか飲んだ事ねーのかよ!?…っスか」
「日本語おかしいから。誰もいねーし、いいよ」
「そうっスか?じゃあいいか!」
沢村がニカッと笑いクーを飲んだ。また、喉が動く。慌てて目を逸らした。
「なぁ、御幸」
「ん?」
「明日、練習終わったら少しでいいから受けてくんない?」
「それはなぁ…」
「いいじゃん。最近全然受けてもらってない!」
当たり前だ、二人になるのを避けてるんだから。そう思いながらも必死な目を見ると拒否出来なかった。
「じゃあ、少しだけな」
「マジで!?やったサンキュー!」
沢村が満足気に立ち上がり御幸を見る。
「明日になってやっぱやめたとかナシだかんな!」
「わかったわかった」
「じゃあ俺戻る。おやすみ」
「あぁ。ジュースこぼすなよ」
「ガキじゃねぇ!」
笑いながら沢村を見送る。姿が見えなくなってから溜息をつき、残りのコーヒーを飲んだ。
(沢村、お前はどうするだろうな)
もし自分のこの想いを知ったら。
考えても無駄な事なのは解っている。伝えるつもりなど毛頭ないのだ。
もう今夜は星を見ても駄目だろう。浄化失敗、そう呟いて缶をゴミ箱に投げ捨てた。
やけに空虚な音が響いた。
翌日の練習後、片付けを終えた沢村が嬉しそうに走ってきた。
「しやす!!」
「少しな」
「はいっ!」
釘を刺しても尚嬉しそうで苦笑する。確かに随分と久しぶりだった。
沢村の球が小気味よい音をたててミットに収まる。流れる汗をまた袖で拭った。
繰り返し繰り返し御幸のミットに投げ込んでくる。その姿を目に焼き付けた。
「ラスト一球!」
沢村が頷いた。もっと投げさせろとか文句を言うと思っていたので意外だった。
最後の球がミットに収まる。今日一番のボールだった。
「っした!!」
「おう。まあまあいいじゃん」
「ホントっスか!?」
あまりにも嬉しそうに笑うので思わず手が伸びてしまった。沢村の頭をクシャッと撫でてつられて笑った。
一瞬沢村が固まったような気がして我に帰る。今までにも頭を撫でる事はあったので、おかしくはない筈だと思いつつも警戒する。
万が一にも悟られてはならない。
「俺あがるけどお前は?」
「あ、俺は後片付けしたら少し流すんで」
「了解。程々にな」
「っス。お疲れっした!」
「お疲れさん、お先」
努めて自然に振る舞ったつもりだがおかしくはなかったか。着替えながらそんな事が頭をよぎる。
この程度の事で動揺したらこの先やっていけない。
野球にだけは持ち込まない。自分達にとって一番大事な物なのだ。
つらつらと考えながら部屋に戻り、しばらくして気付いた。
(カバンがない…ってマジかよ…)
どうやらロッカーに忘れて来たようだ。自分にしては信じられないミスだと思った。
また溜息をつき部室に戻るため部屋を出た。
沢村はもうあがったのだろうかと思いながら見ると、部室に電気がついている。
鉢合わせだが仕方ない。
入ろうとドアノブに手をかけたら僅かに開いた隙間から沢村が見えた。
着替えも終わった沢村が御幸のロッカーの前にいる。
(…なんだ?)
入ろうとしたが動けない。
沢村がロッカーのネームプレートの“御幸“の文字をゆっくりと指でなぞった。
そして額をコツンとあてた。少し見えた横顔は苦しげに歪んでいる。
(何だ……?今のは)
鼓動が早鐘のようだ。ドアノブを持つ手に力が入りキッ、とドアが鳴った。
途端に沢村が振り返り、驚愕で目を見開いた。
「御幸、帰ったんじゃ…」
「忘れ物して戻った。沢村、今…」
反射的に沢村が走った。部室を出るため御幸の横をすり抜けようとする。すんでの所で右腕を掴み捕らえた。
「離せっ」
「待て、沢村」
「見んな…っ」
「お前今、何を」
「見んじゃねぇよっ」
凄い力でもがくのを離すまいと両腕を掴んだ。沢村は掴まれた両腕の間に頭を入れうなだれて顔を見せようとしない。
「いいから、落ち着けって」
「何だよ!アンタ気付いてたんだろ!?だから避けてたんだろ!?」
「沢村、何に気付いてたって…」
「俺の気持ちにだよ!」
「え…」
「安心しろよ、アンタに迷惑かけるつもりはねぇよっ!いい加減離せっ」
「待てって!」
(まさか、沢村…)
本当にそうなのか。己の早鐘のような鼓動は期待によるものだった。
まだ解らない。解らないがとにかく今は。もどかしげに両腕をといて衝動のままに抱きしめた。
沢村の目がまた驚きで見開かれた。御幸を押しやろうとするが構わず抱きしめ続けると手が諦めたようにダラリと両脇に降りた。
「…沢村、俺は何も気付いちゃいねぇよ」
沢村の肩がピクリと動いた。
「離れてたのは…俺もお前に気付かれたくない事があったからだ」
「……」
「俺はずっと、お前が欲しかったから」
沢村が顔を上げた。まだ驚愕の表情のままで御幸を見上げている。
「それこそ泥だらけのお前に欲情する程にな」
自分の台詞を鼻で笑い、沢村を見つめ返した。固まったまま動かない。
「沢村、言っとくけど俺の気持ちは重いよ。すっげえ好きだから」
「……」
「重くてドロドロしてる上に欲望にまみれてる。お前平気?」
しばらくの沈黙ののち、沢村の手がゆっくりと御幸の背中にまわってキュ、と力を込めた。
一言も発してはいないがそれを了承と受け止めた。
抱きしめた腕の中で沢村が微かに震えていた。泣いているのかと思ったが問わなかった。
たとえそうでもどうせ認めないのだ。この意地っ張りは。
(お互い様か)
御幸は小さく笑いさらに抱き寄せた。
寝る前の僅かな時間、ベンチで缶コーヒーを飲む。今も続く習慣に沢村が加わった。
取り留めのない話しをして一日の終わりを過ごす。
「今日授業でさ、百人一首の歌の意味をやってて、先生の好きな歌に脱線したんだ」
「ん?」
沢村は歌は忘れたと言うが意味はかろうじて覚えていた。
−こんなにも焦がれているとそれだけでも伝えたいのにとても言えない さしも草のように火がついて私は熱く燃える でもあなたにはこの火は見えない−
「まるでアンタと俺の事みたいだろ」
「…そうだな」
「アンタも俺も相手には言えないと思ってた」
「うん」
「おかげで今日の授業は寝なかった。初めて最後まで起きてたぜ」
沢村が心底楽しそうに笑った。クシャクシャになって大きな目が糸のようになるほどの笑顔だった。
不意に鼻の奥がツンとした。
そんなバカな。なんてこった。人は愛しさで泣けるのか。
「わっ」
沢村の腕を引っ張って胸に引き寄せ顔を見られないようにした。かろうじて流れなかった涙が瞳の表面を覆っているかも知れない。
髪に手を入れ、さらに引き寄せ抱きしめた。成すがままになっていた沢村が口を開いた。
「もう少し、こうしていよう」
御幸は腕に力を込める事で応えた。
(馬鹿野郎、俺の台詞だ)
もう静寂の中一人で星を見ながら缶コーヒーで浄化する必要はない。それよりも数百倍の浄化作用を持つ沢村が隣にいる。
あの頃より格段に美味く感じるコーヒーを今はゆっくりと味わって飲む。
隣から漂う甘ったるいオレンジの香りを楽しみながら。
end
2500hit 賢城さんへ リクエスト:御→沢から御沢(沢村への想いが溢れて苦悩する御幸)
ご本人様のみご自由になさって下さいv リクエストありがとうございましたv
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