■短編
三千世界の、[木場榎]
「帰るのか?」
振り返れば朱い襦袢の男。白い肌に情事の余韻を色濃く滲ませながら気だるげに此方を視ている。その大きな飴色の瞳に視られているのが厭で木場は顔を背けた。
「てめえみてえな道楽探偵と違って俺ァ明日も仕事があんだよ」
「ふう、ん」
常ならば喧しく言い返してくる榎木津がやけに大人しい。不思議に思ってもう一度振り返るが榎木津は既に木場に背を向けて窓の外を見て居た。
「オイ、れ」
「三千世界の、」
「三千世界の鴉を殺して、」
謡うように呟く榎木津に刹那ゾクリとした。
それが闇に浮かび上がった白肌の所為なのか得体の知れない恐怖からなのかは解らない。
「ふふ、鴉を殺したら猿が泣くから駄目か。ウフフ」
「オイ、礼二郎!」
「何だ、未だ居たのか!早く帰れば善いじゃないか、この箱男!」
「ああん?わっけ解んねえことばかり言いやがって!てめえも早く寝てその附抜けた頭をどうにかしやがれ!」
言葉とは反対にその顔に僅か安堵を滲ませて木場は部屋を出て行った。
榎木津は愁いを乗せた睫をゆっくりと伏せた。
「鴉で無ければ何を殺そうか。何を殺せば善いだろう」
朝を呼ぶもの総てを消して、
「主と朝寝がしてみたい」
嗚呼、でも。朝が来なければ朝寝は出来ないか。
「上手くいかないものだなあ」
今日も極彩色の部屋で独り、眠る。
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