みょうじ なまえ



※共通語「」日本語、ロシア語のみ『』



 みょうじなまえ──海外(英語圏)ではそれなりに有名な日本人小説家、そして、僕の幼馴染み。泣き虫で負けず嫌いな僕とは違って、現実主義でしっかり者。優ちゃんとはまた違うお姉さんみたいな。僕らの出会いはとても簡単だ。スケートリンクで転んだなまえを僕が助けたのがはじまり。それからずっと一緒だ。家族、と言っても過言ではない。僕がヴィクトルに憧れて、フィギュアスケーターになると決めたとき、なまえは小説家になると決めた。僕の姿を物語にするのだと、幼かったあの日、きらきらした瞳で笑い合ったのを覚えている。
 なまえの描く物語は、とても綺麗だ。モデルは僕のスケートらしいけれど、そんな風にはちっとも見えない。むしろヴィクトルのスケートを描いている気がする。なまえは昔から、寒いのに、僕の練習をベンチで眺めながら、原稿用紙の束を積み上げていく。本人曰わく、パソコンを使うよりも筆が進むらしい。僕にはよくわからない。『勇利が目の前で滑ってくれるからね』ふはっと笑いながら、よくそう漏らす。僕には解らない感覚を持ってるなまえを見るとやっぱり芸術家なんだと、ふと、思ったりする。
 僕らが恋人や、それ以上の関係なんじゃないか。ほうやって噂をするひとも居たけれど、なまえも僕も「ありえない」と笑い飛ばす。そんな関係になれる距離じゃなかった。僕らは近すぎたんだ。






バターと砂糖と小麦粉と、君で膨らむ





『…ごめん、勇利』
『いいよ、大丈夫?』

 うん、と眉を寄せて笑ったなまえは僕と同じで、褒められるのには慣れていないみたいだ。誰かを褒め上げることはとても上手ななまえからは想像出来ないだろう。
 突然、長谷津に現れて僕のコーチになる、と言ったヴィクトル・ニキフォロフ曰わく「まさかなまえにまで逢えるとは思わなかったよ!運命だね!俺は彼女の大ファンなんだ!!」となまえに飛びついたうえに褒めちぎり、気絶させてしまったとのこと。うん、僕だってなまえと同じになるだろう。

『そっか、勇利のコーチ…信じられんね』
『ん。僕も驚いてる』
『何するかわからないよね…流石ヴィクトル、ニキフォロフ』
『う〜どうしようなまえ〜』
『どうするもこうするも、わたしはいつだって勇利の選択した事を責めたりせんよ。だから、すきなように選びなよ』

 ふはり。雪解けを待つ野花みたいな、そんな笑い方をするのは、昔から変わらない。僕はこの表情がすきだ。居心地がいいって思ってるのは、僕もなまえも一緒だと思う。僕のベッドから起き上がって背伸びをしているなまえは、思い出した様に僕を見上げた。『パン、焼いたけど、冷めちゃった』ごめんね、と笑う。『美味しかったよ、いつも通り』なまえの焼くパンも昔から変わらない。なまえのお母さんが焼く味、そのまま。
 ヴィクトルに会って気絶したときに落とした作りたてのパンを、ヴィクトルは僕に渡した。恐らく僕宛だと言って。よくわかってるな、なんて思った。だってなまえは、僕が落ち込んだり考え事をしたりすると、素朴な優しい味のするパンを作ってきてくれるから。

「勇利!勇利いるの〜」

 びくり、和やかな雰囲気は自由気ままなロシア人の声で凍り付いた。今は二人とも彼に会いたくない。目線で会話して、お互いに頷いた僕らは沈黙を決め込む事にした。入ってこんよね?大丈夫、鍵掛けてるし。そうやって会話しながら息を殺す。

「なまえもいるのわかってるよ〜ね〜出ておいで〜」
『?!』

 びくびくしながらドアを見つめる。なまえは布団を被ってしまった。「ねぇ、勇利、寂しいな」ううっ、僕の痛いところを的確に突いてくる…流石ヴィクトルとしか言いようがない。このままじゃ、ヴィクトルの事だからドアを破りそうだ。『勇利…』布団から顔を覗かせたなまえが、小声で僕を呼んだ。『…行ってくるね』ぽんぽん、と布団を軽く叩いてドアに向かった。ドアを開けた瞬間だった。

「勇利!!!一緒に話そうよ!」
「び、ヴィクトル…!」
「聞きたいことがたくさんあるんだ。ね、ほら、なまえもいるんだろ?一緒に行こう」

 迷わず足を踏み入れて、膨らんだベッドに腰を下ろしたヴィクトル。布団にくるまるなまえに語り掛けるように、身を屈めるヴィクトルの髪がはらりと落ちる。「ね、なまえ、出ておいでよ」なんだ…この色気…!僕でもどきどきしてしまう…!『っ…!』布団の中でなまえが悶えているのがわかってしまった。わかるよ、うん。

「ぁ、あ、あとで…!」

 勇気を振り絞ったなまえが、布団の中から右手を出してぱたぱたと振っている。僕にはそれが白旗にしか見えない。「わかった」そう言ったヴィクトルは躊躇いもなくなまえの手を握り締めた。

「っ〜〜〜?!」
「待ってるよ、」
「?!ヴィクトルぅぅう?!!?」

 何を思ったのか、なまえの手のひらに口付けたヴィクトルは、にっこりと笑顔のままベッドから離れると、僕だけを引っ張って部屋を後にする。リビング・レジェンド、流石ヴィクトル、誰にも予想出来ない事をやってのける。高らかに笑うヴィクトルを余所に、僕は苦笑することしか出来なかった。




(ヴィクトル…心臓に悪いよ…)(え?普通じゃないのかい?)(うん、もう、いいや)(?早くなまえは来ないかな〜)
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ヴィクトルは化け物じゃ…美しい…

20161207 常陸


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