[携帯モード] [URL送信]


ここを出てもらう、と言うと臨也は素直に目を見開いたが、静雄は少し睫毛を動かしただけだった。臨也がここから出たがっていないという態度を取るのは少し予想外だったが、それは良い変化なのかもしれない。診療所から少し離れた小さなアパートに静雄と二人で暮らしてほしいと言うと、二人でというのに安心したのか拒絶はしなかった。
大丈夫だよ、と言う、それを素直に信じたのかは分からない。ただ臨也は静雄と一緒というのに安心したらしく、静雄は固より何処にいたって同じといった具合だった。

簡単な家事を教える為に、一週間の猶予を設けていた。臨也が積極的に興味を示すのに対して、静雄はまるでやる気がない。静雄の中では明日には世界は滅びるのだから、その先の生活のための努力なんて無駄なのだ。先生役のセルティが叱っても聞く耳持たずといった風だった。呆れた風にセルティが溜息を吐くと、臨也が「俺がやるから大丈夫だよ」と原因の解決になっていないことを言う。二人でやることが大切なのだが、これはまあ仕方のないことなのかもしれない。静雄がいるから臨也は安心しているし、臨也がいるなら静雄もなんとか生活していけるだろう。

「料理って面倒臭いね」

臨也は存外に不器用で、静雄は存外に器用だ。包丁を持つたび臨也は指を切りそうになる。実際に何度か切った。だがそれが逆に良かったらしく、これまで静観を決め込んでいた静雄が漸く自ら包丁を握った。初めてにしてはこなれた手つきで野菜を切っていって、臨也とセルティを驚嘆させたほどだった。
昔は家事の手伝いでもよくしていたのかもしれない。危なっかしいからと、セルティも臨也より静雄にばかり包丁を持たせるようになった。そうすると臨也は何もせず静雄が料理するのを黙って見ているようになる。不思議と上機嫌そうに見ている。だから料理だけは静雄の仕事だ。

そうこうしている内にあっという間に一週間は過ぎる。さあ診療所を出ようかという朝になって、不安の色を見せたのはセルティだった。一通りのことがこなせるようになったとはいっても、それは所詮家の中のことだけだ。社会は広い。海より広い。そして二人は、これからその中で生きていかなくてはならない。
セルティはまだ早いと言った、それは必ず間違いではなかった。二人はまだあまりに幼い。だがその幼さを許容するなら、いつまでも二人はそこから脱け出せない。

「不安な気持ちは分かるよ。でもさ、君がそんな顔しちゃうのは頂けないなあ」
「分かってる」
「大丈夫だよ。毎日様子は見に行くし、いきなり外で働けなんて言わない」

それでもセルティは不安そうな顔を崩さなかった。そうだな、と言いながらウロウロ視線を彷徨わせて、二人の様子をそわそわ見る。当の臨也は呑気に荷物をリュックに詰めているし、静雄はそんな臨也の様子をぼうっと見ている。臨也も全く図太くなったものだった。知らない人間を見ればまだ怯えるだろう、世界はまだ宇宙人であふれているのだろう、それでもそれは進歩だ。

「臨也、大丈夫か? 忘れ物はないか?」
「セルティは心配性だよね」
「静雄は? お前は何も持っていかないのか?」
「……いらねえ」

見ているとすぐに気付いた。臨也がいつも以上に上機嫌なのだ。この診療所を出て静雄と二人で暮らせるから、という訳でもなさそうだった。臨也は新羅に何度も「ちゃんとこっちにも来てね。毎日来てね」と念を押している。単なる気分の問題だろうか。どういうことなのかと考えていると、とうとう診療所を出ることになったその時になってやっとその理由が分かった。まるで内緒話でもするかのように、臨也が新羅の耳元で言ったのだ。

「シズちゃんがさ、明日まではまだ大丈夫なんだって。世界が終わるのは明後日に延期なんだってさ」





二人をアパートまで送って、新羅はセルティとまた診療所へ戻る。セルティはまだそわそわしていた。新羅は「そんなに心配することないよ」と声をかける。適当である。あの二人が大丈夫なのかどうかなんて分かる筈がない。ただ現状維持が良くないことだけは確かだった。それだけだ。

「会いに行こうよ、毎日、ちゃんと、それできっと安心するよ。臨也も静雄も、それからセルティも」

新羅はセルティの肩を抱いて、彼女が安心してくれるような言葉を探した。雲が美しい空だった。抜けるように澄んだ空に、浮かぶ雲が光って白い。

「あの二人はもう一人じゃない。臨也には静雄がいて、静雄には臨也がいる。勿論俺達だってついてる」
「そうだな。分かってる」
「一人じゃないんだ。悲しいことがあっても慰めてくれる、嬉しいことがあったら話を聞いてもらえる。一人ぼっちなんかじゃない。幸せってなんだろう。そういうことを考える時間もたっぷりあって、俺達はそれをずっと見届ければいい」
「……優しいんだな、新羅。やっぱり」

そんなことないという言葉を押し込んだ。代わりにそっと微笑んで、ありがとうと小さく呟く。

臨也と静雄のことなんて二の次なのだと言ったら、彼女はどんな顔をするのだろう。優しい自分なんて存在しないことを新羅はよく知っている。たとえどんなに打算や欲にまみれていても、たとえ他人を利用することになったとしても、それでも彼女がそう言うのならそういう自分でありたいと思う。過程なんてどうでもいい、結果として優しい自分が現出できるならそれが最善だ。

臨也が悲しいと言うから、静雄だってそれに応えた。応えようとした意識そのものを尊いと思いたい。人は言葉で傷付けられるが、救済されもするのだ。
どんな言葉も少しずつ心に蓄積する。意識的に、もしくは無意識に、優しい言葉には縋って突き放す言葉には耳を塞ぐ。そうしたくなる。

言葉は魔法で、言葉は呪いだ。
大好きな人が言うなら、何より自分を縛り付ける、それが絶対で真実になる。たとえどんな手段を使っても、君が望むならいつだって優しい自分でありたいと強く願う。一番大好きな人。君がそう言うなら。













--------------------
わたしのかみさま
(どうか、あなたののぞむわたしでありますように)


あきゅろす。
無料HPエムペ!