[携帯モード] [URL送信]
2

“仕事”はいつも家の中でやるわけではない。必要に応じて、勿論外に出ることも多い。
臨也の持つ情報は表から裏まで様々だった。失踪した恋人の行方が知りたいとか、詐欺にあったのだが犯人の素性を知らないかとか、そういう真っ当なものもあれば、チャカを手に入れるためのルートを知りたいだの、どこぞの企業の機密を教えろだの、黒い目的のものもあった。
臨也は人間が好きだ。昔は精神医学を志していた。それも随分昔のことだ。父親に借金の肩代わりとして売られたその時から、そういうまともな職業はどだい無謀だったのだ。生きているだけマシというものだろう。もし女として生まれていたら、“口減らし”で殺されていたかも知れない。

「……あなたがレイさん?」

今日の依頼人は“表”だ。待ち合わせ場所に喫茶店だなんて所を指定してくるあたりに、それが表れている。臨也が声をかけると、綺麗に肩で切り揃えられた赤みがかった髪を揺らして顔を上げた。まあまずまずの美人だ。
正面の席に座って、無愛想なウェイターにコーヒーを二つ頼んだ。女は終始暗い顔をしている。

「……人を探してるんですよね?」

黙りこくって埒が明かないので、仕方なく臨也から口を開いた。女は肩をピクリと揺らして、意を決したように臨也を見た。獰猛な瞳だ。

「そうです」

女の目は堅固で、先程までの気弱そうな雰囲気はガラリと変わった。こういうことがあるから人間は面白い。臨也は女が探している人間が誰なのか知っていた。そうしてそれは興味をひいた。だから臨也もわざわざ足を運んだのだ。

「アイツ……アイツを私は許せません。絶対……絶対、私が殺してやる」
「穏やかじゃないですね」
「当たり前です! アイツは、アイツは私の姉を殺したんですよ! 私のたった一人の家族を……。なのに自分はのうのうと生きて、罰も受けないで」

女の目がギラついた。殺意に満ちた目とはこういうことだ。臨也の背が、ゾクリと粟立った。興奮しているのが自分でも分かった。
臨也は人を「観察」する。人の内面を人に見る。感情の吐露されていく様を見るのは悦びだった。特に今日のこの女は、ここ最近では最も臨也の興味をひいた。期待通りに女は憎しみを吐き出していく。そうして貪欲に、臨也に情報を求める。

「教えて下さい」

女の声が震えた。人は憎しみに震えることができる。人は人を憎むことができる。
女は呪いの言葉を吐いた。

「平和島静雄はどこにいるんですか」





喫茶店を出る帰り道、臨也は中年の男が黒いビニール袋を担いで歩いているのを見付けた。その袋は不自然な脹らみ方をして重量感を感じさせ、俯く男の顔は暗い。
ああ、口減らしか、と臨也はすぐに分かった。道行く誰もが男のあからさまに不自然な様子に気付いている筈なのに、誰も何も言わない。ただ黙って目を逸らす。

口減らしは合法だ。長男を除いて、親は十八歳以下の全ての自分の子供を殺す権利がある。全く馬鹿馬鹿しい話だが、それほどこの国は貧しい。心が貧しい。
澱んだ空気が停滞して腐敗する。腐った空気を吸って肺が腐る。こんな国にいるから、人心も荒む。
親に売られる前、かつて臨也の家にはキリスト教の新約聖書が置いてあった。汝、隣人を愛せよ。全く笑えないジョークだった。臨也は愛された記憶など持っていない。

結局あの女には、「平和島静雄は少なくともこの街に潜伏していて間違いない」という情報だけ売ってやった。当然嘘ではないのだから、非難される謂れはない。むしろ臨也は善良なほうだ。世間には、嘘の情報を売って金儲けする自称情報屋も大勢いる。
どうせあの女とはもう会わない。用が済めば、興味も失せた。あの憎しみにギラついた瞳ばかりが、残像として焼き付いている。その程度の話だった。





静雄の髪は金に染まっている。元の色は臨也と同じ黒だ。そこそこの拘りがあるらしく、外には出れないくせに髪だけは染めたがるので、仕方なく臨也が染髪剤を買ってやっていた。すると今度は染め方が分からない。一度手本を見せてやってあとは自分でやらせようとしたのだが、味をしめたらしい静雄はいつも臨也にさせるようになってしまった。
全く手間のかかる男だ。文句や注文ばかりして、拾ってやった恩義などハナから持ち合わせていない。

「お前、染めるの上手いよな」

臨也が染めてやった後は、静雄はいつもこう言った。感謝はしないで感想が口を出るのだ。これだから犯罪者というものは常識を知らない。

「そう思うんなら、今日のご飯はシズちゃんが作ってよ」
「やだね。面倒臭ぇ」

料理は静雄の唯一といって良い取り柄だった。
何を使っても、何を作っても、その節だった手からは想像もつかないほど繊細な料理を作る。味も絶品だった。
だから臨也は度々静雄に料理をせがむのだが、静雄はいつも面倒の一言でそれを跳ね除ける。作ってくれるとしたら、それはすこぶる機嫌の良い時か――それでなければ、臨也に何かをせびろうという下心がある時だけだ。
料理くらいでしか使い処のない癖に、飛んだ役立たずだ。

静雄は学はない癖に馬鹿みたいに力は強いから、臨也も強い態度に出れないでいた。それで益々増長するのだろう。家にいたって酒を呑むか煙草を吸うか、そうでなければセックスするか食事するかのどれかしかない有り様だ。臨也も人の事は言えないが、大概なロクデナシだ。

「ねえ、たまには俺の役に立とうって思わない?」
「思わねえ。それより酒買って来いよ」

こんな体たらくだ。堕落的と言える生活はそこそこ長く続き、臨也も諦観を得ていた。静雄が吐き出す煙の臭いを空で思い出せる程度には、長く暮らしている。
だから、静雄の行動パターンも大体掴めていた。動物的な男だから、平気で粗野なことをする。

「……わーお、大惨事」

帰ったら部屋が滅茶苦茶に荒らされていた、なんてのも、そう珍しいことではない。
静雄はやることが一々でかい。置物系は全て床に叩き付けられ、カーテンも引き裂かれ、嵐にでも通り過ぎられたかのような状態だ。静雄は部屋の隅に頭を抱えて蹲って、臨也に気付くと低く唸った。

「臨也……酒がない……」
「シズちゃん、これ片すのちゃんと手伝ってよ」
「頭が痛い。酒はどこだよ」
「まあ、もう高価なのは置いてないから、そこだけは安心だけど」

静雄は頭を抱えたまま、視線だけ臨也に寄越した。正気も理性も失った野蛮な目で、これはキッチンの方はもっと手酷くやられているに違いない。静雄は立ち上がると臨也の胸ぐらを掴んだ。その手は震えている。

「酒はどこだよ」
「知らないよ。君が全部呑んじゃったんだろ」
「じゃあ買って来い」

滅茶苦茶だ。静雄は切羽詰まった顔で、手も震えて、既に禁断症状を呈していた。無様な男だ。これだからアル中になんてなるものではない。

「酒がないと眠れない」
「薬をあげただろ」
「効かねえんだよ。口答えすんじゃねえ、いいから早く買って来いよ!」

どうせ、一応隠しておいた臨也のコレクションも全て空けてしまったに違いない。ふと見れば、床に臨也のやった薬が散らばっていた。なるほど、呑みもせずに効かないと言っている訳ではないらしい。そう考えていると、突然静雄が臨也を床に叩き付けた。
堪らず呻き声が漏れる。キレた静雄は何をするか分からない。静雄の足が持ち上げられるのが見えて、蹴られる前に臨也は口を開いた。

「分かった、分かったから……買ってくればいいんだろ」
「……早くしろよ」

臨也が咳き込むのを静雄は気にしない。悪態を胸に押し込んで、臨也は財布だけ持って家を出た。全くとんでもない男を拾ってしまったものだ。

近くの店まで暫く歩くと、門田に会った。門田は数少ない臨也の友人の内の一人だ。裏で生きているという訳でもなく、真面目に実直に暮らしている。だから門田は臨也にとって貴重だった。狂人とばかり一緒にいると、何が普通で何がおかしいのかわからなくなってくる。

「よお」

気さくに片手を挙げて臨也に声をかける。臨也も手を挙げてこたえた。

「こんなとこで会うなんてな。仕事か?」
「いや……ちょっと、餌を買いにね」
「餌? お前なんか飼ってたか?」
「最近拾ったんだ」
「へえ。珍しいな、お前が人間以外に興味を持つのは」

臨也は薄く笑んだ。飼うのは人間以外の動物とは限らない。別れる時まで門田はそのことに気付かなかった。だからこそ、門田は臨也にとって貴重足り得る。





臨也は人間が好きだ。人間の感情が好きだ。剥き出しの人間の感情が好きだ。それが正であれ負であれ、本心に近く激しい方が好ましい。
その意味では、静雄は臨也の理想かも知れない。静雄は偽ることを知らない。

「なあ、お前、なんで俺を拾ったんだ?」
「さて、なんでだろうね。君こそ、なんで大人しく拾われたんだい?」
「お前の顔が好きだから」

静雄は煙草をふかす。その煙を吸っていると、臨也はなんだか静雄から殴られた怪我が痛み出すような心地がする。

「臨也、髪染めろ」
「この前やってあげたばっかりだろ」
「いいから」

早くしろ、と言って静雄は煙草を灰皿に押し付けた。歪な形に押し潰される。それは誰の末路に似るだろうか。














--------------------
逃亡者
(何に脅えて何に震え、)


あきゅろす。
無料HPエムペ!