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ヒーロー、どっちがヒロインなの?
驚いた。何を言うよりもまず先に、驚いた。シズちゃん宅の玄関で立ち尽くしながら、俺は思う。

――どうしてこうなった。










……話を少し前に巻き戻そう。
俺は元々、この日は自宅のパソコンを使ってのんびりと情報収集に勤しんでいた。優秀な秘書がいてくれるせいで、このところ仕事がぐっと楽なったのだ。だから俺は、面倒な書類の整理はその秘書に任せ、自分はパソコンを開いて趣味に没頭した。そんなときだ。珍しいメールが俺の元に届いたのは。

「……おや、シズちゃんだ」

俺のプライベート用携帯に連絡を寄越す人間は、かなり少ない。画面に表示された『平和島静雄』の文字を見ながら、俺はなんだか少しばかり嫌な予感に駆られていた。そして受け取ったメール画面を開いて内容を確認すれば、予感よりも先に疑問が頭を占領する。

『うちにこいいますぐこい』

うん、読みにくい。

多分「家に来い今すぐ来い」と言っているつもりなのだろうが、漢字の変換を一切していないせいで読みにくいことこの上ない。シズちゃんが馬鹿なのは知ってるけど、携帯の仮名変換機能くらい使って欲しいものだ。こっちの都合も考えてよね。二重の意味で。

『はやくこいたすけろ』

次いで届いた第二陣。どうやらシズちゃんは、今自宅で俺に助けて欲しい状況に陥っているらしい。それってどういう状況だよ? シズちゃんに勝てないなら俺が勝てる訳ないだろ。そもそもなぜ助けに呼ぶのが俺なのかが分からない。新羅でもセルティでも仕事仲間でも、呼ぼうと思えば他にもっと色々いるだろ。なのに何故に俺なんだ? これは俺行くべきなのか? なんかあんまり行きたくないんだがスル―するという手は有効だろうか?

「……波江、あのさ」
「何?」
「うん、君さ、今やってる作業終わったら、今日はもう帰っていいよ」

なにぶん突然のことだったので波江は不思議そうな顔をしたが、「そう」と頷いて後は何も聞いてこない。別に気を遣っているからでなく、単に興味がないからだろう。俺は重い息を吐かずにはいられなかった。淡白な秘書に対してではない、己の愚かさと甘さに対してだ。


そんでまあ、来ちゃったわけだ。わざわざ新宿から池袋まで、シズちゃんの家まで。わあお、俺の優しさプライスレス。別にシズちゃんがどんな危機に陥っているのか心配だとか、頼られたのが嬉しいだとか、そんなのでは断じてない。ただ単にシズちゃんが困っている様子を見て笑いたいだけだ。それだけであってそれ以上ではない。惚れた弱味では断じてない。わざわざ電車賃使って何してんの俺……。

とりあえず、ピンポーンと家のチャイムを鳴らしてみた。しかしいくら待っても応答はない。ためしにもう一度押してみた。しかしやはり応答はない。
おい、自分で呼んどいてどういうつもりだ。にわかにイラッとしたところで、再びシズちゃんからメールが来た。曰く、『かってにはいってこいはやく』らしい。だから、何度も繰り返すけど読みにくいんだってば。

「おーじゃまーしまーす」

とりあえず、本人から直々に許可も下りたことなので、玄関の扉を勝手に開けさせてもらった。すると、世にも奇妙な光景が俺の目に飛び込んで来て――冒頭に至るわけだ。
何度でも言おう、どうしてこうなった。

「あのー、シズちゃん?」
「臨也手前おせーんだよ俺がどんだけ待ったと思ってんだぶっ殺すぞ」

え、ええぇぇええー?
突然の呼び出しに文句一つ言わず答えてやったのにこの仕打ち。なんなのこいつ、一瞬殺意湧いちゃったよ。イケメンだからって何してもいいと思うなよ。
うん、でもまあ、いいや。シズちゃんがジャイアニズム100パーセントなのはいつものことだし、それより今は、それ以上に意味が分からない事態が起こってるから。この俺の情報解析能力を持ってしても理解できない事態が起こってるから。
えーっと、うん。あのさ、シズちゃん。

「……なんで君、テーブルの上に乗ってんの?」

そうなのだ。なぜだかシズちゃんは今、テーブルの上に四つん這いになって乗っているのだ。キッチンの方からぐつぐつ聞こえてくるのは、お湯かなんかでも沸かしてるのかな。いや、今はそれはどうでもいいか。とにかく問題なのは、平和島静雄がテーブルの上で四つん這いになって軽く涙目になってるってことだ。
どうなんだよこの状況。意味不明の極みだよ。その状況の何を俺は助ければいいんだよ。ちょっと無理難題過ぎるよシズちゃん、俺のこと買い被り過ぎじゃない?

「出たんだよ……」
「は?」
「奴が出たんだ……」

奴って誰だよ。

シズちゃんは実に真剣な瞳で俺を見た。そんな目で見られても、俺には「奴」が誰なのかさっぱり分からない。この部屋にはどう見ても、俺とシズちゃん以外誰もいない。だからシズちゃん、そんな目で見られたって言葉で説明してくれないと分からないよシズちゃん。
ちょ、止めろそんな目で俺を見るな。そんな必死そうな目で見られたって困るだろ。別にほんの少し涙ぐんでるのが可愛いとか思ってないんだからな。絶対に思ってないんだからね!

「や、奴が……」
「シズちゃん落ち着きなよ。奴って誰? 俺にはこの状況が全然分からない」
「奴だよ、小さくて黒い……例のアイツが出たんだよ!」
「――はあ!?」

小さくて黒い、例のアイツ……だと……?

ちょ、まさか。まさかそれはアレのことじゃないだろうな。黒くて小さくて、光沢があってたまに飛んだりする、どこからともなく現れてはカサカサと家中を動き回る、例のアレのことじゃないだろうな。まさかこの男、それを退治させるためにわざわざこの俺をここまで呼んだんじゃないだろうな。
まさか。……まさかな?

「……ねえシズちゃん。一応確認しときたいんだけどさ……」
「あーもー早くしろ! いいから早くアイツをどうにかしろ! アイツがいる限り俺の安息はやって来ない!」
「だからさシズちゃん、一旦落ち着いて。まさかとは思うけど、アイツってもしや」
「ぁぁあああ出たぁぁぁあああ!」

俺の疑問は、シズちゃんの大絶叫によって掻き消された。大の男がテーブルの上に四つん這いになって涙目になりながら絶叫するって、中々お目にかかれない状況だ。これだから人間は面白い。おっと、シズちゃんは人間にカテゴライズしたら駄目か。
あまりの大音量に、思わず耳を塞ぐ。もういっそこのまま帰ろうかなとも思ったのだが、シズちゃんがあまりにも情けない声で「臨也、臨也」と俺を呼ぶものだから、根がお優しい俺は帰る足を止めてしまった。もうやだホント、俺のこの優しさ何なの。

「い、いいい臨也! 頼む! どうにかしてくれ!」
「どうにかって言われても……」
「頼む本当にこんなことを頼めるのはお前しかいない!」

……うん、まあ、そうだよね。だってまさか、あの池袋最強の男が、こんな情けない体たらくになってる姿なんて誰にも見せられないもんね。幽君にもトムさんにも見せたくないんだよね? シズちゃん、君は俺のことをなんだと思ってるのさ。俺は情報屋さんであって便利屋ではないんだよ?

馬鹿馬鹿しいことこの上なかったが、シズちゃんがあまりに必死だったので俺も一応床の上に視線を滑らせた。やれやれ、一体なんなんだこの状況。ボランティアにしたって些か度を超えてるよ。後で絶対大トロ奢らせてやる。

「……げ、いた」

“いる”という覚悟でいても、実際に視界に入れるとそれなりに引いてしまうものだ。シズちゃんが乗っかってるテーブルの3メートル先あたりに、果たして小さくて黒いアイツがいた。
うっわあ、実際見ちゃうとドン引きだよ。っていうか俺マジでこれのために新宿から池袋まで呼び出されたのかよ。しかももしかすると、シズちゃんって俺がここに来るまでの間ずっとテーブルに乗ってたわけ? なんなのもう、甲斐性がないとかそういうレベルを通り越して、ひたすら情けないよ。誰だよこれを池袋最強って言い出した奴。

「臨也! 早く!」
「……はいはい」

もはや母親気分だ。仕方なく俺は靴を脱いで玄関から漸く室内に入り、適当に辺りを見回した。シズちゃんは新聞だなんて気の利いたものはとっていないし、かと言って定番のスリッパも持っていない。殺虫剤もない。とすれば、俺は一体何を持ってこの状況に対処すればいいのだろう。

「ぁぁあああ動いた! 臨也手前早くしろっつってんだろうが!」
「あのねえシズちゃん、虫叩きの一つでもあれば俺もどうにかしてあげるけど」

さすがの俺だって、アレに素手で触るのはご遠慮したい。

さてどうしたものか。俺は思案に暮れると、キッチンの方からピーッというよく聞きなれた音が聞こえてきた。どうやらお湯が沸騰したらしい。本来は家主であるシズちゃんが火を止めに行かなければならないわけだが、この状況ではまあ無理だろう。仕方がない、俺が止めに行ってやるか。うるさいし。

「臨也……?」

居間から離れた俺に、シズちゃんが不安げな声をかけた。まるで雨の日に飼い主に捨てられて置いて行かれる子犬のごとき頼りない声だ。クソ、なんだこいつ、マジ可愛いな。言ってることとやってることは全然可愛くないのにマジ可愛いな。なんだこいつ。これが池袋最強ってことなのか。

煩悩と闘いながら、俺は小うるさい音の原因となっている火を止めた。コンロの上には、ぐつぐつと煮え滾った熱湯が入っているのだろう。それを想像して、俺はとあることを思い付いた。

うん、コレかけよう。

思い立ったら即行動だ。やかんを持って再び居間に現れた俺を見て、シズちゃんはほっとしたような顔をした。畜生可愛い。いやいかん、今の俺にはやらねばならないことがある。

「ねえシズちゃん、君の家って雑巾とかある?」
「……雑巾? いや、要らねぇタオルとかならあるけど」
「うん、それでいいよ」

会話もそこそこに、ターゲットをロックオン。黒くて小さい例のアイツは、さっきと変らない場所に陣取っていた。それにできるだけそっと近付いて、だけどできるだけ近付き過ぎないようにして――やかんのお湯を、思いっ切り、かけた。


「ギャァァァアアアアアア!」


そしてお湯は見事に標的に命中。“奴”は熱湯の責め苦に悶え苦しみながら最期の断末魔をあげました、って、違うよ。これシズちゃんの叫び声だよ。うわぁお思わず俺も吃驚してやかん落とすところだったよ。なんで君が叫ぶわけ?

「いいい臨也手前! なんつーことすんだ!」
「え? 何って、ゴキブリ殺してあげてんだけど? ――よいしょ」
「ヒィイ!」

まあ、ちょっと熱湯かけられたごときで即死してくれるような奴ではない。それでも確実にダメージは与えられたらしく、動きが鈍ったところで、まだお湯の入った熱くて重いやかんの底でプレスさせてもらった。さすがにここまですれば奴も息絶える。

「お、おおおお前は鬼か!」
「心外だなあ。だったらどうすれば良かったんだよ。……あ、さすがにこのやかんは新しいの買ってあげるよ」

やかんを持ち上げると、息を引き取った奴の姿があった。それ見て、シズちゃんがまた「ヒィッ」と悲鳴をあげた。

「さて、シズちゃん。その要らないタオルとやらはどこにあるの? 床を拭いて、コレも捨てなきゃ」

シズちゃんが叫ぶだけあって、床の上は惨事といって良かった。辺りに飛び散ったお湯と、その中に潰れた虫の死骸。欠片まで飛散している。さすがにこれは気持ち悪い。俺も引くわ。っていうか、うわ、マジで気持ち悪いなこれ。なんつーことしてんの俺。これはねーよ、ないな。

「……ってことでシズちゃん、後片付けはよろしく」
「はああ!? 手前マジでふざけんなよ! 手前がやったんだから手前でどうにかしろ!」
「うん、でもさあ……ぶっちゃけ、これキモくない?」
「だから、お前がやったんだろうが!」
「そうだけどさあ――」


その後、俺たちはこの惨劇を誰が処理するのかで30分揉めた。揉めた末に俺がやることになった。その間もずっと、シズちゃんはテーブルの上から下りようとしなかった。わけわかんないよね、死ねばいいのに。













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ヒーロー、どっちがヒロインなの?
(情けない貴方も好きだけど、たまには格好いいところも見せてよね)


あきゅろす。
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