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夢見る微笑み

折原臨也という女には、ほとんど友人という友人がいない。少なくとも校内で、それらしき存在を見たことがない。それは静雄自身にも言えることだったが、彼女は静雄のようにいつも一人でいる訳ではなかった。臨也の周りには、いつも彼女の取り巻きの男がいた。それは誰かの元カレであったり、意中の人だったり、ともすれば恋人であったりもした。彼女の美貌は様々な男を惹きつけて止まなかった。そして臨也自身もそんな自分のことを良く理解して、男を利用するということを少しも躊躇わなかった。
それだから当然、臨也に女友達なんてものは存在しない。男を寝取られただの、誑かされただの、臨也の周りにはいつも女の怨念が渦巻いている。それでも臨也は、それを少しも気にしていないように振る舞った。直接文句を言った所で、涙を流して震えるなんてそんな可愛げのある真似を、あの女がする訳もなかった。それどころか、相手を挑発するように唇の端をつり上げるのだ。静雄はそんな場面をもう幾度も目撃していた。

静雄は臨也と犬猿の仲だった。共通の友人である岸谷新羅から紹介されたのだが、第一印象からはっきり言って最悪だった。一目で関わりたくないと思った。これは人の心を喰う女だ。それなのに、向こうの方から絡んでくるのだから始末におえない。
静雄はうんざりだった。臨也の息のかかった男に喧嘩を吹っ掛けられるのも、「化物」と罵詈を浴びせられるのも、嘲るように笑われるのも、どれもこれもが苛立たしくて仕方なかった。女だということを差し引いても、一発ぶん殴ってやらないと気が済まなかった。


その日の朝、学校に登校して靴を履き替えていると、背中にわりと大きな衝撃がいきなり走った。丈夫な体なのでそれでどうというわけでもないのだが、ムカつくのには変わりない。

「……ッ、く」
「はは、すーきだーらけっ」
「手前……!」

よし殺すかと振り返ればそこにいるのはやはり臨也で、静雄は我も忘れてその女と校内で追いかけっこを開始した。肩の少し下あたりでバサバサ揺れる黒髪を目標に、自分が何処に向かっているのかも気にせず走る。
周囲の人間も慣れたもので、教師達さえ二人を咎めない。高らかな臨也の笑い声が不愉快だった。やーい、シズちゃんのノロマー。逃げる時くらいその口を閉じれないのか。

「あ、ドタチーン」
「ん? 臨也、と……静雄?」
「ドタチン助けてー、暴漢に襲われてるのー」
「誰が暴漢だ臨也ゴラァ!」

廊下で級友の門田京平に出くわすと、臨也は躊躇いもせずにその体に飛び付いた。背中に隠れて顔だけ出すと、腹立たしい以外の言葉が見つからないような表情で舌を出す。

「テメッ、殺す!」
「あーんドタチン助けてー。シズちゃんが虐めるー!」
「元はといえば手前のせいだろうがぁぁああ!」
「あー待て待て静雄! この体勢俺も死ぬ!」

我も忘れて臨也に殴りかかる。まさにそんな時だった。

「――あ、臨也!」

静雄が臨也に殴りかかろうとしたその瞬間、横から他に臨也を呼ぶ声がかかった。振り上げた拳を止めて声のした方を見れば、新羅が手を振りながらこっちに寄って来た。何か心当たりがあるらしく、臨也は新羅をみると「あ」と声を漏らして瞠目する。そして、そう言えば今日は新羅と日直だった、と続けた。

「忘れて貰っちゃ困るよ臨也。俺にだけ面倒を押し付けるなんて許さない」
「私が悪いんじゃないよ、シズちゃんに襲われてたんだから」

勝手なことを言って、臨也は新羅につれられて行ってしまった。怒りがおさまったわけではなかったが、「日直」という真っ当な理由を提示されては追うに追えない。新羅と臨也は同じクラスだった。

「……悪いなあ、静雄」

獲物を失くして立ち尽くすしかなくなっていると、なぜだか門田が申し訳なさそうに眉を下げる。門田は臨也の数少ない、取り巻きでもなければ信者でもない普通の友人だった。そのつながりで、静雄とも多少交流がある。あの臨也が普通に懐いているのも頷ける、真面目で誠実な男だった。臨也にはこの男と、後は新羅しか友人がいない。静雄も似たようなものだが、それは女子としてどうなのだろうと思ったりもする。

「なんでお前が謝んだよ」
「いや、まあそうなんだけどな」
「お前もよくあんな女と付き合えるな」
「はは。でもそれは、お互い様だろう?」

どこが、と静雄は吐き捨てた。横を生徒たちが通り抜けて行く。門田はまだ何か言いたそうにしていたが、そこでチャイムが鳴った。静雄は舌打ちして背を向けた。





校内には、様々な臨也についての噂が飛び交っている。小学生の時から援交してるとか、中一で子供をおろしたとか、金を払えば誰とでも寝るとか、それはおおよそ品が良いとは言えないものばかりで、更に言えばとても信じるには値しないようなものばかりだったが、「折原臨也」という一人の女が持つ不思議な空気と、そして女たちの嫉妬が、その噂を肥大させていった。
臨也はいつだって他の女達から後ろ指を指されていたが、それに一々傷付くような素振りを見せるような、可愛げのある女ではなかった。

そんな風だったから、ある日の放課後、擦れ違った女たちが笑いながら臨也の悪口を言っているのを聞いた時も、静雄は少しもそれを不思議に思わなかった。それはいつものことだった。そしてある種、臨也の普段の立ち振る舞いを見れば当然の結果でもあった。
女たちはクスクス笑いながら階段を下りる。手入れされた髪に、程よく化粧された顔。短いスカート。長い睫毛。静雄の姿に気付くと、怯えたような顔になって一様に俯く。女とは残酷なものだなと静雄は思った。日の落ちかけた、夕日が校舎を照らす時だった。教室に弁当箱を忘れたことを、これほど悔いたことはなかった。

「……あ?」
「は、え!?」

自身の教室へ行く途中、なんとなしに他の教室を覗いてみると臨也を見つけた。臨也は一人で机に座っていた。静雄が思わず声を漏らすとこちらに気付いて、静雄より更に驚いたような顔をした。後ろに夕日を背負っていた。もの悲しい色だった。そんなこともあった。





臨也は奔放で自分勝手な女だったが、不思議と門田の言うことはよく聞いた。ドタチン、ドタチン、と妙な渾名で呼んで、後をついて回る。まるで父親とその子供だねぇと、新羅はよく笑っていた。確かにその通りにも見えた。門田のほうもそんな臨也の相手をしてやって、それは恋人同士というよりはまるで親子のようだった。

「シズちゃんがもう少し賢かったら、私の彼氏にしてあげてもよかったんだけどね」
「……あ?」

昼休みになると、静雄は大概新羅と一緒に昼食を食べる。そこに臨也が交ざろうとするのも、まあ珍しいことではなかった。臨也は女の友達が皆無だから、新羅か門田か、それ以外なら取り巻きの男としか一緒にいない。
そこにたまたま静雄も居合わせるというだけのことだ。初めの頃は追い返そうとしていたのだが、結局諦めて止めてしまった。今は三人で屋上にいる。

「あー、静雄の顔は臨也のタイプかもねえ」
「そうなんだよねえ。でもまあ、私は基本人間が好きだから? 化物のシズちゃんは論外っていうか? まあ頭の方も幼稚だし、知的な私には釣り合わないよねえ」
「クソノミ蟲。滅びろ」
「ほら、語彙力不足ー」

きゃはは、と甲高い声で笑う。それはこっちの台詞だった。静雄だって、臨也がこんな性格でなければ顔は嫌いでないのだ。

「っていうか臨也、なんでまだジャージ着てるの? 体育は終わっただろ?」
「ああそうなの、聞いてよ新羅。どっかのブスが私の制服取ったみたいでさあ、今日は一日この格好だよ。やんなっちゃう」
「臨也は恨みを買い過ぎだよね」
「違うよ。男がどうのこうのって言うけどさ、自分がブスで馬鹿なのがいけないんじゃん? 私悪くないし」

聞いているだけで苛々する会話だった。臨也は本気で自分が悪くないと主張するし、新羅はそんな臨也を軽く笑い飛ばしている。臨也はいつも静雄を苛々させた。そしてそれさえもが多分、この女の計算だった。

人をイラつかせる天才なのだこの女は。静雄が人から恐れられるのがこの「力」のせいなら、臨也はその歪んだ「性格」故だろう。仕方がなかった。静雄も臨也も、人から嫌われて避けられて、そうなって仕方のない生き方をしてきたのだ。
だからといって、臨也に同情だとか親近感だとか、そういった感情は一切抱かない。静雄と臨也は“土台”が違う。静雄は臨也が大嫌いだった。本当に、できることならいっそ、出会いたくさえなかった。

そんなことを考えていると、臨也がおもむろに静雄の弁当に手を伸ばした。

「よっしゃあ、シズちゃんの卵焼きゲットー!」
「……テメッ、いざやぁぁぁああああ!」
「きゃーこわーい!」

一気に怒りが爆発して、食いかけの弁当をおいて臨也を追った。新羅は諦めたように自分の食事を続けていた。追う背中からふざけた笑い声が響いていた。いつものことだった。





「――静雄、君はさ、不思議だよね」
「……あ?」

放課後だった。また臨也のけしかけた男達と喧嘩をして、鞄を教室に置いたままにしていたことに気付いて取りに戻ると新羅と会った。鞄だけ取ってさっさと帰ろうと思っていた静雄は、新羅の呟きに足を止める。

「俺の何が変だって?」
「変とまでは言わないさ。ただ、不思議だなと思って。君は臨也が嫌いなんだろ?」

臨也、と名前を聞いただけでピクリと顔が引き攣った。グラウンドからは部活の喧騒が響いて、人のほとんどいない校内と妙な具合に調和している。新羅はいつもの顔で笑っていた。

「嫌いならさ、無視しちゃえばいいのに。そしたら多分、さすがの臨也だって君に絡むの諦めると思うよ?」

鞄を持ち直しながら、静雄はなんとはなしに窓の外の景色を眺めた。多分新羅は、何の含みも嫌味もなく思ったままを口にしているのだろう。だから静雄もキレない。窓の外を、下校途中の生徒たちがまばらに歩いて行く。

「……俺は、難しいことを考えんのは、好きじゃねえ」
「うん」
「だから別に、アイツの相手をするのに、色々考えてるわけじゃない。ただムカつくから追いかけるし、殺したいと思うだけだ。……アイツはいつだって一人だな」

日が落ちていく。“あの日”と同じように、淡く、柔らかく。オレンジの光が世界を包んでいく。これは優しい色だろうか、それとも、悲しい色だろうか。
それを決めるのは誰だろう。

「俺はこんなんだから、もう今更、一人でいるのを一々気にしたりはしねえ。でも、アイツは、女だから」

一人は孤独だ。世界中からおいてけぼりを食らったような、疎外感や寂しさ。静雄だってそれを、悲しいと思わないわけではなかった。だが慣れてしまったのだ。本当に完璧な孤独なら堪えきれなかったのかもしれないが、静雄には一応、家族とほんの少しの友人がいる。
静雄はそれだけで良かった。それだけで、一人のときの孤独も堪えきれた。それは臨也も同じなのかもしれないが、それでも“彼女”は“女”なのだ。

「泣いてたんだよ」

ふわふわのロングヘアー。膝上のミニスカート。先生に怒られない程度の薄化粧。無邪気な笑い声、無邪気なまでの残酷さ。あの時彼女たちは言っていた。いい気味だよね、ちやほやされていい気になってたんじゃないの? そう言って顔を見合せながら笑っていた。まるで好きな人のことをお互い話し合っているかのような、無邪気な顔で笑い合っていた。

女の子は残酷。いつだって無邪気に残酷。

窓から見下ろした先に、ちょうど帰宅途中らしい臨也の姿が見えた。足元を見れば、今朝のローファーとは違う白いスニーカーを履いている。歩くたびに黒髪が揺れて頬を撫でる。彼女は絶対に、下を向いて歩かない。

あの日の放課後に見た彼女は、淡い光を背にして綺麗だった。彼女の頬は濡れていなかった。落ちかけた日の光を、けれど彼女は目尻で弾いたのだ。
何をやっていたのかなんて静雄は知らないし、何をされたのかなんて聞きたくもない。彼女は静雄に一瞬だけ驚いた表情を見せて、その後すぐに挑発的に笑った。それでも静雄は、あの時彼女の目尻が光ったのを忘れない。

「俺は多分、そういう弱虫をほっとけねえんだ」

ふと、突然臨也が走り出した。その視線の先を辿れば門田がいて、臨也は足を止めるとその服の袖を引っ張る。二人はそうして暫く会話をしていたようだった。何かの拍子に臨也が一際大きく笑うと、門田の手が彼女の頭をくしゃくしゃと撫でる。すると今度は、それを振り払おうともせずに目を細めて、彼女は照れたようにはにかんだ。穏やかな光景だった。

あの日の教室で静雄が見たのとは違う、きっと何よりも温かな、それは幸せな眺めだった。













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夢見る微笑み
(それがたとえ、僕が与えたものでなくとも)


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