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恋は涙を惜しまない


とても穏やかな休日だった。特に何をするでもなく、ただまったりと椅子に座って、自分で淹れた紅茶を飲みながら、チャットのログや掲示板で街の情報を掻い摘んで集めて行く。オフだから波江もいない。一人という時間を穏やかに過ごしていく。それだけで、俺には十分至福の時だった。ところがだ。

「臨也ぁぁああぁああああ!」

周囲の迷惑を全く鑑みない咆哮と、何をどうしたのか考えたくもない破壊音。そうして目の前に颯爽と現れる、金髪長身バーテン男。

――ああ、嫌な予感しかしない。


最近の自分は、何かまずいことでもやらかしてしまっただろうか? シズちゃんの声を聞いたその瞬間から俺の脳味噌はフル稼働を始めているが、どう考えてもシズちゃんが乗り込んでくるようなことをしてしまった記憶はない。いや、新羅曰く「反吐が出る」といった類のことなら相も変わらず首を突っ込むし引っ掻き回してやったりはしているのだが、シズちゃんが「この状態」でやって来るようなことは何もしていない筈だ。
大体、最近は女と会話すらしていないのだ。うかうかと近寄ることさえできないのだ。そんな俺に何ができる?

「臨也ぁ、手前」

ゆらり、とシズちゃんがこちらに一歩寄って来る。あああ本当に嫌な予感しかしない。字面だけならいつも通り俺に因縁をつける平和島静雄そのものなのだが、シズちゃんの「臨也」には色々と種類があるのだ。普段は憎悪やら嫌悪やら苛立ちやら諸々の負の感情をギュッと詰め込んだバラティパック仕様でこれが通常運転なのだが、たまにこうやって、こう、何て言うんだろう。切羽詰まった、みたいな。そういう感じの声で俺を呼ぶのだこの男は。
そしてこういう時、大抵ろくなことは起こらない。ろくな事が起こったためしがない。ああお願いシズちゃんそんなマジで泣きだす五秒前見たいな顔しないでお願いちょっと俺の話も聞いてよ俺まだ何も言ってないじゃん誤解かもしんないじゃん!

「臨也、お前、この前新羅んちに泊ってっただろう」
「え、あ、うん。よく知ってるね」
「……う、浮気だぁぁああぁぁあああ!」

しまったぁぁあああああ!





――シズちゃんは、俺のことになると色々とおかしい。

って言うのは、今更言っておく必要もない暗黙の了解事項だ。なんかやたらとキレるし、臭うとか言ってどこにいても追っかけてくるし、だけどそういったことはいいのだ。慣れたし。むしろそれよりも深刻な問題は、この男は俺のことになるとやたらナイーブになることにある。

始めはね、面白かったんだよ。ちょと女子と話してるだけで嫉妬したりしてさ。来神時代はわざと焼きもち焼かせたりすることもあったし。でも、なんだろう、俺がそういうことを繰り返していたせいなのか、それとも時の流れとともにシズちゃんと俺の仲が深まってしまったせいなのか、あるときシズちゃんは、キレた。
キレた、といっても、いつもの静雄無双的な意味でキレた訳ではない。あれは、高校卒業間際のことだった。時期的なこともあって俺は告白ラッシュにあっていて、その日も放課後にそこそこ可愛い後輩の女の子から愛を告げられて、ごめんタイプじゃないから無理ってはっきりと断って、さて帰るか、となったときだ。靴に履き替えようとした俺の腕をシズちゃんが無理やり掴み、無人のトイレに連れ込み、おやおやまた嫉妬かい今からここで強姦プレイでもするの? と思っていたところに、なんと奴は泣きだしたのだ。臨也の馬鹿ぁ、とか何とか言いながら。


そっからが散々だよ。一旦箍が外れると止まらないのか、泣く、泣く、とにかく泣く。ちょっと女の子と話しただけで、ちょっと女の子と目があっただけで、もうとにかく泣きじゃくるのだ。浮気だーとか、俺を捨てるのかーとか、やっぱり女の方がいいのかーとか何とか言いながら。
もうね、はっきり言って勘弁して欲しいよね。浮気じゃないから。俺が好きなのはシズちゃんだから。性別とか今更の問題だから。

だけど、この男にそういった議論は通用しない。一度泣きだせば中々止まらない。その間俺は何をすべきなのかと言えば、ただひたすらシズちゃんを慰めるのに徹するのみだ。

「シ、シシシズちゃん落ち着いて。新羅だよ? 俺と君の共通の友人岸谷新羅だよ? どうしてこれが今更浮気になるのさ!」

男も駄目だとか言われたら、それこそ新羅にさえ近寄れなくなるなら、俺はもはやシズちゃん以外の全人類に金輪際近寄れなくなる。今はまだシズちゃんは泣いていない。泣きだす前に上手く宥められればしめたものだ。っていうかマジで男も駄目だとか言う気じゃないだろうな!

「セルティがいるだろ! セルティは顔はないけど胸がでけーからお前はそっちの方がいいんだろ!」
「ちょっと何その理論!? っていうか君今までそういう目でセルティのこと見てたの!? そっちのほうが浮気じゃん!」
「浮気なんてしねえよ大体セルティは新羅のだ! そしてお前は俺のだ!」

う、うをぉぉおお駄目だこいつやっぱり話が通じない!
亭主関白でしかもアホで嫉妬深いって最悪のコンボだ。そういえば波江を助手にする時もかなり苦労した。あの時は、「やっぱりお前は女がいいのか。金髪ショートより黒髪ロングがいいのか。胸がでかいほうがいいのか」などなどのシズちゃんの泣き言に一晩中付き合った。俺は波江にそういったやましい気持ちは一切持っていないこと、波江自身も弟ラブで全く俺には興味がないこと、完全に仕事上の関係のみでお互い干渉もほとんどしないこと、俺が好きなのはシズちゃんであって波江ではないこと、別に俺は黒髪だろうが金髪だろうがどっちでもいいこと、そういうことを一つ一つ懇切丁寧に説明して、ようやくシズちゃんが納得してくれたときには俺はほぼ憔悴状態だった。

無視すればいい、って思うだろ? 思ったよ俺だって、かなり昔にね。でも、駄目なんだ。無視は駄目なんだよ、むしろそれは最悪の対処法と言っていい。
いつだったか、高校を卒業したばかりで俺がまだ池袋の街にいた時のことだ。いつものようにシズちゃんが言いがかりをつけて俺に浮気疑惑を押し付けて泣きだしたとき、疲れきっていた俺はそれを華麗にスル―してしまった。
もういい年だったんだからさ、すぐに泣くのもどうかと思ったんだよね。俺ももういい年だったしさ、恋人でなくとも女の人と二人で喫茶店に入るくらいのことはすると思うんだよね。だけどそれがシズちゃんには分からない。子供だ、子供なのだ。そんな泣きじゃくる子供を無視した結果どんな結末が俺を待っていたか。


襲われました。
そして一日中容赦なく好き勝手されました。


いやもうあれは獣だよ。ケダモノだよ。普段俺がどれだけ手加減して優しく抱かれていたのかが嫌というほど分かるケダモノっぷりだったよ。ああ、俺って愛されてたんだなあ今更だけどって、感傷に浸ったね。なにせそれから二、三日はほぼ寝たきりだったから、何もできなくて暇だったんだよ死ねよシズちゃん。

まあそういうわけで、無視は駄目な訳だ。無視するとそれが何十倍にもなって返って来る訳だ、俺何一つとして悪いことしてないのに。
せめてもの救いにして最大の不幸は、このシズちゃんの泣き虫が俺に対してのみ向けられるということだろう。俺に関することにだけ、俺に対して泣きつくのだ。もう本当にしょうもないよシズちゃん。池袋最強が聞いて呆れるよ。感情が豊かすぎる兄を反面教師にした幽君の気持ちがよく分かるよ。

「シズちゃん、あのね、セルティは新羅の恋人だから手は出さないしムラムラもしません。そして俺はシズちゃんの恋人です。分かるよね、浮気はしてないです」
「新羅の恋人じゃなかったらムラムラするってのかよやっぱり女の方がいいんじゃねえか。胸か? 胸があればいいのか? 豊胸手術でもすればいいってのか!?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って落ち着いて俺の言い方が悪かった。新羅の恋人だろうとなかろうと、俺はセルティみたいな首なしに欲情したりはしません、ってあああちょっと待って落ち着いてとは言っても別に、」
「じゃあ首があれば欲情すんのか! やっぱり胸なんじゃねえか! 胸があれば何でもありかよお前! どうせ俺は胸なんてねえし柔らかくもねえよだったら初めからそう言えよ女の方がいいのかよ、散々俺の心を弄びやがって最後は捨てるのか臨也の馬鹿野郎ぉぉおおおおお!」
「ぁぁぁあああぁぁああ!」


な、泣いた!
どっちかと言えば俺が言うべきセリフを叫びながら泣いた!

チラリ、と時計を見れば正午数分前。これを宥めすかすのに一体どれだけの時間がかかり、どれだけの体力が消耗し、そして精神が擦り切れることだろう。一旦泣き出したシズちゃんは面倒臭いのだ。そんじょそこらの五歳くらいのクソガキなんて目じゃないくらい面倒臭いのだ。
ああ、俺の穏やかな休日さよなら。君を捨てて逃げるなんて簡単なのに、それをせずにこうやってそばにいてあげる俺の愛をいい加減分かってよね、シズちゃん。












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恋は涙を惜しまない(何故ならそれが、愛というものだからです)


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