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希望をちょうだい/前編
※殺し屋静雄と性奴隷的臨也





朝、目覚めると朝日が部屋に差し込んでいて、柔らかいベッドの上で人の腕に抱かれて寝ていた。

ここはどこだろう、と茫洋とする頭で瞬きを繰り返す。ここは誰の部屋なんだろう、これは誰の腕なんだろう、早く帰らないと酷いお仕置きが待っている。腕の中から抜けようとしたが、あまりに固く抱きしめられていて抜け出せそうにもなかった。
それにしても体がふわふわしている。どこも痛くないし、血が流れてない。珍しいこともあるものだと思いながら頼りなくもがいていると、腕の持ち主が目覚めた。

「……臨也、どこに行くつもりだ?」

寝起き特有のかすれた声が、臨也を呼ぶ。少し腕の力を弱められて自分を抱き込んだ男の顔を見ると、眩しい金髪に整った顔立ちが飛び込んできた。あ、と思わず声を漏らす臨也に、その男は軽く溜息を吐く。

「いつまでペット気分なんだ。お前の家は、もうここだろう」

そうだった。臨也はもう、理不尽な暴力にも命令にも従う必要はないのだ。


臨也は以前、とある金持ちの家のペットだった。名目上は「使用人」という肩書を持っていたが、その実態は家の人間達のいい玩具で、一日中鎖に繋がれて自由になることはなかった。
親に売られたのだ、ということを、臨也は誰に聞くこともなくなんとなく理解していた。この国は人身売買や売春行為を禁じているが、国の果ての無法地帯においては、そんな法律お飾りでしかない。役人には賄賂を渡しておけば簡単に口封じができる。臨也は容姿が美しかったので、簡単に高く売り飛ばされてしまったのだろう。売られたばかりの頃はまだ少年だったが、青年と言っていい年齢に達しようとする今まで、体から鎖の痕が消えたことはなかった。

多分こうやって、飽きられるまでつながれて、いつか飽きられれば捨てられるのだろうと思っていた。身寄りもあてもない臨也は、そうすればただ野垂れ死ぬしかない。それが自分の運命だ。それが臨也という一人の人間の生涯なのだ。漠然とそう思いながら、臨也は“その時”を怯えるでもなく待っていた。身体はどこを見たって傷だらけで綺麗なところはなく、そんな自分の人生なんてそんなものだと諦めていた。
ところが臨也を飼っていたその家は、突然の火事に見舞われてあっさりとなくなってしまった。家の人間達はほとんど死んだ。家の瓦礫に押しつぶされて、そうしてそのまま焼け死んだ。それなのに臨也は生きている。鎖に繋がれて逃げる術などなかった筈なのに、臨也は今こうやって息を吸い吐いて呼吸している。

「朝飯は何がいい」

臨也を今のこの家に引き取ったこの男は、平和島静雄というらしかった。静雄は実に不思議な男だった。まず第一に、臨也を何かでつなごうとしない。初めてこの家につれて来られた時、ああこれが俺の新しい「ご主人さま」なのだと思った。どこにつながれるんだろう、何でつながれるんだろう。そう思ってその時を待っていたのに、静雄は何もしなかった。ただ、ここがお前の新しい家だ、と言っただけだった。
多分、臨也がここから逃げ出したところで何処にも行くあてがないことを分かっているのだろう。そう思って、それならこの人は何を命令して来るんだろうと待っていたが、静雄はいくら待っても臨也に何もしてこなかった。ただ、臨也の首と手首と足首についた鎖の痕と、腹やら両足やら両手やらについた痣を撫でて、それだけだった。夜に一緒のベッドに寝る時でさえ、ただ抱きしめるだけで何もしない。待っているのだろうかと思い臨也からキスをけしかけたこともあったが、頬を軽く叩かれて二度とするなと睨まれてしまった。

だから臨也は、この家で何もしない。ただただ、静雄と穏やかに、暴力をふるわれるわけでもなく、鎖で束縛されるわけでもなく、何に怯えることもない二人きりの生活を送っている。

「おい、朝飯は何がいいかっつってんだよ」
「……分からない。君の好きにしていいよ」
「好きにしていい……って、お前いつもそればっかじゃねえか。なんか好きなもんとかねぇのかよ」
「……分からないから」

好きなもの、嫌いなもの、そういうことが臨也には分からなかった。命令されたことをただこなすだけの日々だった。食事だって、与えられたものを口に入れていただけだ。好き嫌いなんて感情はないし、そんなものを持つ機会もなかった。

「なんかねえのかよ、『何でもいい』が一番面倒なんだよなあ」

そう言うが、静雄はあまり臨也のことを深く追及しようとはしなかった。火事のあった次の日目覚めるとこの家にいて、名前を聞かれて、それだけだ。年齢も、生い立ちも、あの家で何をしていたのかも、何も聞かない。何も聞かないままに臨也を家に置いていた。
臨也に何かを要求してくることもなく、それが余計に臨也を混乱させる。

体を起こして、静雄は乱雑に頭を掻いた。上は何も着ていない。臨也はといえば、ラフな白シャツを着せられていた。静雄のものなので臨也には大きいのだが、痣だらけのこの体をあまり曝したくはないので丁度いい。
と、おもむろに家のチャイムが鳴った。臨也がこの家に来てから、初めての訪問者だった。静雄もはじめは虚を突かれたような顔をしたが、すぐに表情を変える。

「やべえ。……おい、臨也、すぐに着替えろ」
「……何に?」
「なんでもいい。いや、ああ、クソッ」

苛立たしげに呟きながら、静雄はベッドの横のクローゼットを開けて中を漁りだした。その間にもう一度チャイムが鳴る。中から適当なシャツを出して着ると、臨也には黒のTシャツを放り投げた。先日、静雄が臨也のために買ったものだった。何がいい、とあまりにしつこく聞いてくるものだから、適当に指差したものだ。これを着ろということだろう。

「……兄さん、起きてたんだ」
「幽……」

臨也がシャツのボタンを二つ目まで外し終えたところで、見たことのない青年が部屋の中に入ってきた。美青年、という言葉の良く似合う美形だ。見た目だけでは年はよく分からないが、臨也よりは年上に見える。そして静雄を兄と呼ぶのだから、彼よりは年下なのだろう。もっとも、静雄の年齢など臨也は知らないのだが。恐らく二十代前半あたりだろうと推測している。

「ごめん。寝てるのかと思って合鍵を使わせてもらった」
「いや、似たようなもんだ。悪いな」

静雄の謝罪もそこそこに、幽というらしい青年は臨也に目をやった。着替えの手を止めて、臨也は慌ててシーツを手繰り寄せて体を隠す。服を着ているのだと分かっていても、この体は他人に見られたくなかった。それに正直、臨也は他人という存在に対して過敏すぎるほどに警戒心を持っている。
幽は暫く臨也をじっと見ていたが、少しも表情を変えずに静雄と向き直った。

「兄さん、あの人が臨也さん?」
「ん? ああ、そうだ」
「へえ。……はじめまして臨也さん、弟の幽です」

礼儀正しい挨拶だったが、その人形のように綺麗で、かつ変わらない表情が不気味だった。言葉を返すこともなく、シーツに包まったままむしろ睨み付ける。臨也、と静雄がたしなめるように言ったが、幽のほうは全く気にしていないようだった。

「いいよ兄さん。それより、この間の」
「ああ、待て、部屋を変えよう。……臨也、ここを出るなよ。すぐ終わる」

それだけ言い置いて、静雄は幽とともに部屋を出て行った。見知らぬ人物の退却に、臨也もやっと張っていた肩を下ろす。

何の話だろう、と思わない訳ではない。兄弟水入らずで仲良く、という雰囲気ではなかった。もっと何か殺伐として、事務的な、アレはそういう雰囲気だった。
臨也は静雄が何の仕事をしているのか知らない。この家に来てからまだ半月ほどしか経っていないが、丸一日家に居ることもあれば、早朝から深夜まで帰って来ないという日もあり、バラバラだった。
ただ、表の世界の仕事ではないのだろうな、ということだけは察している。臨也もほとんど裏の世界で生きてきたようなものだし、裏の人間の相手をしたこともあった。そういう人間は、雰囲気で分かる。

十分ほどで、幽は帰って行った。静雄が再び臨也のいる寝室に入って来て、少しばかり気まずそうな顔をする。心配しなくとも、仕事の詮索などしない。

「……弟、いたんだね」
「ああ」

静雄が臨也のことをほとんど知らないように、臨也もまた、静雄のことをほとんど知らなかった。












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希望をちょうだい


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