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11
 馬鹿にしているのか。素知らぬふりが通用すると思っているのか。臨也が目を細めるのと静雄が目を見開くのはほぼ同時だった。
「どうやら、君には言っとかなきゃいけないことがあるみたいだ」
 その間抜けな頭によく言い聞かせろ。
「俺は、君が、嫌いなんだ」
 その人外染みた馬鹿力も、何を考えてるのかよく分からない態度も、臨也と友達ごっこをしたがる間抜けさも、全てが底抜けに馬鹿馬鹿しくて忌々しい。
 臨也が静雄に好意を抱いていないことを、むしろ悪意を抱いていることを、知っておきながらまだ臨也にすり寄ろうとするその精神が気持ち悪い。友達だなんて思っちゃいない。利用できると思ったからそうした。それだけだ。
 そうだ臨也は、いつだって「それだけ」だ。
「君が知らないふりをしようとしたって、俺が君を裏切った事実は変わらないんだ。それともまさか、それでも俺を、"お友達"だなんて言わないだろ?」
 静雄は何も言わない。何も言えないのか、敢えて黙っているのか、その表情からは分からない。
「ねえ、気持ち悪いんだ。君、悪いんだけど、すごく気持ち悪いんだよ。吐き気がする。ねえ、分かる? 俺の言ってる意味、分かってる?」
「……裏切られたのか、俺は」
 静雄は呟くように言った。「俺はそうは思わねえけど」
 大きくはないのによく通る低音に、臨也はそれが押し殺されたものであると気が付いた。場違いに穏やかに響くのは、溢れそうになるモノを必死に上から押さえつけているからだ。
 よく知っている。喧嘩をする前、静雄はいつもそういう声を出す。
「どういう意味かな」
「俺は、お前が俺を嫌いなことを知ってた」
 知ってた、とわざわざ強調して静雄は言った。
「だから、知ってたんなら、それは裏切りにはならねぇよな?」
「……屁理屈だ、それは」
「お前がいつもやってることじゃねぇのか」
「化け物が俺を語るな」
「……なあ、頼むよ臨也」
 少しずつ静雄の口調が荒々しくなっているのに、とっくに臨也は気が付いていた。

「――あんまり俺を、挑発してくれるなよ」

 臨也は自分の口元が笑っているのに気付いた。まるでチンピラでも相手にしているかのように、静雄の目元が怒っている。それでもその拳が振るわれないのは、いまだ臨也との友達ごっこが要らない歯止めをかけているからに違いない。
「いいよ」
 ひどく落ち着いた声が出た。ポケットに手を突っ込んで、使い慣れたナイフの刃先を静雄に向ける。
「殴りなよ、俺を。喧嘩だ」
 動かない静雄を見て、臨也は今度こそ喉を鳴らして笑った。
「できないのか? まさかナイフが怖いわけじゃないだろ?」
 静雄は躊躇うように目を逸らした。その顔が腹立たしい。舐めてるのか、俺を。俺みたいな弱い人間を?
 臨也はゆっくりと静雄に歩み寄ると、目の前で立ち止まった。何か言いかけるように口を開いた静雄の腹に、躊躇いなく刃先を突き立てる。
「――はッ」
 肉を裂くことなく、ナイフは静雄の制服と皮膚を裂いた程度の場所で固く動かなくなった。静雄が目を丸くする。その顔を見て、臨也はニヤリと笑った。化け物。
「本当に化け物だね」
 ナイフを突き立てたまま、わざとゆっくりと発音した。手を離すと、カランと乾いた音と共にナイフが屋上に落ちる。臨也は静雄の表情を見て、その顔がいよいよ抑えが効かなくなってきていることを悟った。
「お前は今、俺に喧嘩を売った」
 静雄は片手で拳を作ると、それをゆっくりと持ち上げてもう片方の手で包んだ。パキリ、と拳の鳴る音がする。
「てことはだ」
「――君に殺される覚悟がある」
 言葉を先取りして臨也が言うと、静雄はニヤリと笑った。「分かってんじゃねえか」
 分かってる? いや、分かっちゃいない。静雄も臨也も本当は、どうしてこんなことになっているのか、何一つ分かっちゃいないのだ。
「これだけ言っとくからよく聞け」
 静雄は手を振り上げると、最後に臨也に言った。
「――歯ァ、食いしばれ」
 次の瞬間、臨也の右頬に激しい衝撃がはしった。





12
 なんだか腹の上が重いような気がする。臨也がゆっくり瞼を押し上げると、まだ幼い双子の妹たちが二人揃って臨也の顔を覗き込んでいた。臨也が目覚めたのに気が付くと、互いに顔を合わせて一様に騒ぎ出す。
「いざにーおきた?」
「おきた、おきたね」
「……オイ、お前ら一体何して」
「しずちゃんにおしえなきゃ!」
 キャアキャア叫びながら、双子は転がるように部屋から出て行った。
 臨也はゆっくり起き上がると、自分の右頬に手を当てながらグルリと周りを見た。自分の家だ。更に言うなら、臨也は自分の部屋のベッドに寝かされていた。時間を確認する。もう午後の五時が迫っていた。
 頬が熱い。熱いと思うと、次はジンジンと痛みだした。そういえば、静雄に殴られたのだった。あれからどうなったのか、はてさて覚えていない。あまりの衝撃に意識を手放してしまったらしい。そういえば首も痛い。あの化け物、思い切りやってくれた。

「……臨也?」

 双子たちと入れ替わるように、部屋に入ってきたのは制服姿の静雄だった。学ランは脱がされているが、そういえば自分もまだ制服だ。
「起きたのか」
 屋上で見せた顔は夢だったのかと思うほど、静雄は窮屈そうな表情でウロウロと視線を泳がせて、気弱そうな顔をしていた。後ろ手にドアを閉めると一歩前に出て、臨也と目が合うと狼狽えたように半歩下がる。
「君が俺を運んだの?」
 つとめて抑揚のない声で臨也は尋ねた。静雄はいかにもきまり悪そうな顔になって、それからぎこちなく頷いて見せる。まるで油の切れた機械のような動きだ。「大丈夫か、悪かった」と、その顔はそう言おうとするのを必死に我慢しているように見えた。
「……馬鹿だね」
 思いがけず柔らかな声が出て、臨也自身が驚いた。だが静雄はそれには気付かなかったのか、まだそわそわと臨也の様子を窺っている。
「君、俺の家の場所なんて知ってたっけ」
「……新羅に聞いた」
「ああ、なるほど。妹達は?」
「さっき帰ってきたばっかだ」
 お前妹なんていたんだなと、場違いなことを言う。
「じゃあ学校は?」
「……サボりってことになるな」
 一通りの状況を確認して、「はあ」と臨也は息を吐いた。臨也を殴って気絶させてしまった静雄は、どうやら新羅に場所を聞いてここまで臨也を運んで来たようだ。家の鍵は臨也の鞄の中から出して勝手に使ったのだろう。それで、臨也が起きるのを待っている間に、妹たちも学校から帰って来てしまったというわけだ。
「保健室に連れて行こうって発想はなかったわけ?」
「……喧嘩だってバレたら、やべえって、思った」
「ああ、君もそういうこと気にするんだ」
 思わず笑ってしまったが、静雄の制服が腹の部分で裂かれているのを見て笑いを引っ込めた。静雄は保身でそう考えたわけじゃない。それに気が付いてしまった。
「君は本当に馬鹿だね」
 頬が痛い。多分少し腫れている。だが臨也は、もし本当に静雄が本気の拳を自分にぶつけていたのなら、この程度の怪我じゃ済んでいないことを、イヤというほどよく知っているのだ。
「君の利き手、右じゃなかった?」
「ああ」
「あのね、男同士の喧嘩で平手打ちなんて、普通はしないんだよ」
「ああ」
 でも、と静雄はまだ臨也から離れた場所で、所在なさげに頼りなく笑った。
「怖かったんだよ、情けねーだろ。お前にとっては違うのかもしんねぇけど、それでも俺にとってお前は……ダチだから」
 ダチ、という言葉のあまりの幼稚さに、今度こそ臨也は笑ってしまった。静雄はまだ不安そうな顔で臨也を見ている。馬鹿だね、君は。本当に馬鹿だ。そのうち本当におかしくなってきてしまって、ケラケラ笑い出した臨也を、静雄はパチパチと瞬きながら見る。

「……返すよ」
「は?」
「傘、持って行きなよ。そういえば、玄関にずっと置きっぱなしにしてたんだ」
 よく分かっていないのか、静雄はまだパチパチと忙しない瞬きを繰り返している。
「返さないといけないって、思ってたよ、俺も」
 シズちゃん、と名前を呼んだ。久し振りに呼んだ気がする。
「なんで俺なの?」
 静雄はポカンと口を半開きにした。
 もう一度臨也が聞き直そうとすると、ハッとした顔をして、遮るように話し出す。
「中庭にタイヤ、あるだろ。よく椅子代わりにされてるヤツ」
「うん」
「あそこな、普段は校舎から死角になってっけど、視聴覚室の一番後ろの窓際の席からは見えるんだよ。そんで、あそこに座ってると、たまにお前が授業サボってんのが見えるんだ」
「……うん?」
 話の筋はよく見えないが、当然その先に何かあるのだろう。だから臨也は次の言葉を待っていたのだが、静雄はそれだけ言うと何も言わなくなってしまった。口も閉ざして、何か言葉を探していると言う風でもない。
「え、それだけ?」堪えきれず言ってしまった。「俺がサボってるとこが見えて、だから……それが何?」
「何も」返す静雄の言葉はまた短い。
 今度は臨也がポカンとする番だった。二人して黙り込んでしまうと、部屋の外から「いざにい!」と妹達が騒ぎ出す声が聞こえてくる。バタバタとした足音も聞こえてきた。
 静雄は後ろのドアをチラリと見て、それからまた臨也を見る。
「鈍いな」
「はあ?」
 何故そんなことを言われなければいけないのか分からない。妹達の気配はいよいよすぐ近くにまで迫ってきている。不服に顔を顰める臨也に静雄はもう一度「鈍いな」と言って、それからようやく安心したように肩を下して笑った。







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泣き忘れた鼠


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