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 恐らく単純に、もう潮時なのだろう。

 回復したらしく、静雄はまたいつも通り学校に登校してくるようになった。本当に風邪だったのか、それとも他に別の理由があったのかは分からないが、特に変わった様子もない。興味もなかった。
 静雄の傘はまだ臨也が持っている。いつの間にか返すタイミングを逃してしまった。わざとなのか忘れているのかは分からないが、静雄も何も言ってこない。だったらこのままでいいか、と思っている。
「――サボってばかりじゃあ、卒業できなくなるんじゃないの」
 今日は一限目から視聴覚室に座っていた。臨也が声をかけると静雄は振り向いて、それから眠そうな顔で欠伸をする。
「お前が言うのか」
「俺は良いんだよ。ちゃんとテストで点は取ってるからね」
 今日は部屋の中まで入ってみることにした。静雄は近寄ってくる臨也を気にせず、また窓の外に目を移す。
「いつも見てるけど、何か面白いものでもあるの?」
「別に」
 想像以上につまらない返事に、臨也は少しばかり失望した。
「ただ、ここにいると、たまに良いことがあるんだよ」
「へえ。聞いてみていい?」
 目の前まで移動した臨也を、静雄はじっと見た。
「何?」
「……いや」何故か少し照れたように、静雄はまたふいと窓の外を向いた。「いつか言う」
 何を勿体ぶっているのだろう。もう少し追求してみても良かったが、静雄の横顔を見てなんとなく止めておいた。なんだっていい。もう、どうせ――潮時なのだから。


 静雄が他校の生徒と暴力沙汰を起こしたらしい、という噂が学園中に広まったのは、それからおよそ一週間後のことだった。一人で三十人を相手にしたらしいだの、とうとう一人殺したらしいだの、いやいやそれも初めてではないらしいだの、尾ひれのついた噂はどこまでが真実なのか分からないままに学校中を席巻していく。
 静雄は学校に来ていない。それがますます噂に尾ひれをつける。
 ――次に問題を起こしたら退学。
 ほんの一ヶ月前にも、自身の学校の先輩を二人ほど病院送りにしたばかりだ。教師達の慌て具合を見れば、少なくとも静雄が「何かをやらかしてしまったらしい」ということは明らかだった。まあ、静雄がやり損ねた残りの三人も病院に行かなくていい程度に臨也が「お仕置き」してやったのだが、そちらは表沙汰になっていない。

「平和島もやっちまったよなあ」
「やっぱ退学? 退学?」
「他校相手はマズいっしょー。つうかどっちにしろもうアウトじゃね?」
「ぶっちゃけさ、いなくなってくれたほうが平和だよな」

 無責任に口ぐちに言い合うクラスメートを尻目に、臨也は内心でほくそ笑んだ。
 退学だ。まず間違いなく。
 どこまでが本当かはともかくとして、静雄が他校の生徒を相手に問題を起こしたこと自体は事実だ。臨也がけしかけてやったのだから間違いない。少しの報酬をチラつかせて、静雄にちょっかいをかけさせたのだ。短気な静雄なら黙っていられないだろうし、必ずトラブルになるはずだ。そうなればただでさえ問題児の静雄はこの学園にはいられない。
「ねえ臨也、まさかとは思うけど君じゃないよね」
 たまたま廊下ですれ違った時、呆れたように新羅が言った。臨也の性格を分かっているのだろう。
 まさかも何も、仕組んだのは全て臨也だ。上手くいけばこのまま退学。もしかしたら静雄とはもう二度と会わないかもしれない。あまりに簡単すぎる。臨也はゲラゲラ笑ってしまいそうだった。






 だが多くの生徒の予想に反して、その二日後には何事もなかったかのように静雄は登校してきた。これには臨也も驚かざるを得なかった。

『や、それが、アイツなんも抵抗してこなかったんスよ』

 どういうことかとけしかけた奴らに電話すると、返ってきたのはまたもや予想外の返事だった。
「……抵抗しなかった?」
『ハイ。俺らが何言っても、どんだけボコっても、何もしてこねえんです』
「そんな馬鹿な」
『ホントっすよ! 何やっても反応しねーから、俺らもはじめは面白くて色々やってやったんスけど、段々気持ち悪くなってきたっつーか、なんか逆に可哀相になってきたっつーか』
「可哀相? アイツが?」
『折原さんの名前出した時だけっすかねー。ちょっと反応したの』
「…………」
『もしかして、あの人友達とかっすか? 相変わらずやることえげつないッスね』
「…………」
『あ、でも、折原さんの言った通りにはしましたからね! 金返せとかはなしッスよ!』
 苛立ちのまま電話を切った。
 あの平和島静雄が、あの暴力の塊のような男が、知らない人間にいきなり喧嘩を売られて、何一つ抵抗しなかった?
 だが確かに、そうでなければ今日も平気な顔で登校してくる理由がない。静雄自身が無抵抗だったなら、学校側もさすがに退学処分にはできなかっただろう。相手側の無傷という形で、それは決定的な証拠として残ってしまう。
 その上、さっきの男の話の通りなら、静雄は臨也の差し金だと分かっていながら、いまだに何も言ってこないことになる。臨也の理解の範囲を超えていた。臨也が殴られそうになっただけでキレるあの男が、自分が殴られて無抵抗だなんて信じられなかった。ただの臨也の妄想ではない。新羅から話を聞いた上で、臨也は静雄のキレやすい性格を分かったつもりになっていたのだ。だが、どうやら話は違う方向に進んでいるらしい。

 ――どういうつもりだ?

 さすがの静雄も、今回の件で臨也の内にある悪意に気が付いたはずだ。一方的に喧嘩を売られたことに我慢をした理由が臨也を学校で殴るためなら、そろそろ目の前にやって来ても良いはずだ。だがそれもない。自分が被害者になっておいてから、黒幕である臨也のことを"チクる"気でいたという考え方もできる。だが校舎内ですれ違う教師たちの様子を見るに、その様子もない。
 いよいよ気味が悪かった。
 何を考えているのか分からない。普通の人間ならむしろ好ましいはずのその不測性が、相手が静雄というだけで苛立たしいものに変わっていた。あの化け物、何を考えてる? それとも、何も考えてないのか。
「……クソッ」
 苛立ちながら、臨也は中庭を歩く足を止めた。何か考え事をしたい時――つまり何か悪巧みをしている時、臨也はよくこの場所に来た。まばらに生えている細い木の中に、一つだけ人の体のを隠せるくらい幹の太い樹があって、その根元にタイヤが半分だけ飛び出ている。まるでベンチのように半分だけ地面に埋まっているそのタイヤに腰を下ろすと、ちょうど樹の影になって授業中のサボりにちょうどいいのだ。
 ――抵抗しなかった。
 喧嘩を売られて、一方的に暴力と暴言を受けて、しかもそれが臨也の差し金だと知らされて――それでも静雄は抵抗しなかった。
「だから嫌いだ」
 今、一体どんな顔をして授業を聞いているのだろう。
「大嫌いだ、シズちゃん」
 憎々しく吐き出した。誰にも聞かれることのなかった吐露は臨也の鼓膜から改めて脳に伝わると、ますます不快感を煽るようだった。




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