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 また学校まで傘を持って来たことが無駄になってしまった。もう文句を言う気にもなれない。いっそのことこのまま学校において帰ってやろうかとも思っていた。晴れの日に傘を持ち歩くような間抜けな真似、あまりそう何度もやりたくない。
「ねえ君さ、最近何か妙なことをやってない?」
 昼休みの図書室で本を物色していると、いつの間にか臨也の隣に新羅が立って囁いた。横を向いてその顔を確認してみてもいつも通りの表情で、そこに何か特別な感情は感じられない。
「妙な事っていうと?」
「例えば、そう、例えばだよ……賭け事の元締めとか」
 本に伸ばしかけていた手が、一瞬止まってしまった。
「用心棒ができたからって、あまり悪いことはするものじゃないよ」
「……酷いなァ、新羅」わざと大袈裟に溜め息を吐いて、体ごと新羅に向き直った。「俺が一体いつ……何をしてるって?」
「君がそう言うなら、それでいいんだけど」
 新羅もまた、大袈裟に肩を竦めた。
「静雄君が心配していたからさ」
「シズちゃん?」
「君がリードを握ってるもんだから、あちこちからちょっかいかけられるんだろ」
 周りからジロジロ見られ出して、新羅が一段声の大きさを落とした。図書室ではお静かに。
「ほら、気になる女の子がいたら、まずはその子が散歩させてるワンちゃんの方から声をかけてみたりするじゃない」
「笑いのセンスがないな、新羅」
 新羅の言いたいことが分かって、臨也はまた溜め息を吐いた。
「それじゃあ意中の女の子の一人も落とせないよ」
「え、そうかな」
 適当に言ってみただけだったのだが、新羅には衝撃的だったらしく、目を丸くした。相手の顔を見たことはないが、この男には意中の相手がいるのだ。
「男がモテる理由なんて、『面白いから』で十分なんだよ」
「なるほどね。君が言うと説得力がある」
 神妙な顔で新羅は頷くと、少し考えるように黙り込んだ。
「……よし、それじゃあ僕は、せっかくだしお笑いの本でも借りてみることにしよう。どこにあるかな?」
「知るかよ。図書委員にでも聞けばいい」
「それもそうだ」
 浮ついた足取りで、新羅は臨也のそばからいなくなった。

 静雄が臨也の心配をしているとは初耳だった。臨也がいつ何をしていようと、この間の上級生に喧嘩を売られた時でさえ、静雄は何も言ってこなかった。だからこそ「犬」と形容されるのだろうし、臨也もその的確さに笑ってしまったのだ。
「……心配だって?」
 本棚の前で立ち止まったまま、自分にしか聞こえない程度の声で思わず呟いた。
 あの犬が、心配? 人間様の?
 ハードカバーの背表紙を指でなぞる。犬は犬だから利用価値がある。人間の真似事のようなことをされてはたまらない。
 本棚の隙間から、貸出カウンターを覗き見る。新羅がちょうど、数冊の本を持って行くところだった。






 馬鹿というのはいつの時代いつの日どの場所だって湧いてくるものだ。わざわざ静雄のいない日を狙って来たのであろういつかの上級生たちを見て、臨也はしみじみそう思う。
「おや、二人減りましたね」
 とりあえず口をきいてみる。放課後になったばかりで、しかも学校からはそう離れてもいない通学路だ。周囲にはまだ生徒がまばらにいるというのに、目の前の三人組はお構いなしのようだった。
「……手前のせいで病院送りになったんだろうがよォ」
「俺のせい?」少し大袈裟に声をあげる。「心外です。やったのはシズちゃんでしょう」
「――ハッハア」
 待ってました、とばかりに男たちは笑う。
「そうだなあ? 直接ぶん殴ってくれたのは平和島静雄だ。よく分かってンじゃねーか」
 でも、今日その優秀な番犬はいない。
「お前みたいなモヤシ野郎だけなら怖くねェんだよ」
「泣いて土下座してくれんなら許してやるけど?」
「とりあえずその前にその顔原型なくなるまでボコってやるから、ちょっとこっち来いや」
「……悲しいなァ」
「あア?」
 知った顔もなくはないのに、そばを通る周囲の生徒は見てみぬふり。辺りを見ても、面倒事には関わりたくないとばかりに目を逸らす。目の前の三人組は敵意剥き出しで、とにかく臨也をぶん殴ってやりたくて仕方ない。どうやら臨也の味方はいないようだ。やれやれ、嫌われ者というのも楽じゃない。
 だが、それより何より悲しいのは、
「想像力の欠如は人として致命的ですよ」
 どうやらこの三人は、臨也のことを「番犬なしでは何もできない貧弱な飼い主」と思っているらしい、という事だ。
 目を細めた臨也の表情に何かを感じ取ったのか、三人組の顔に少しの緊張が浮かんだ。静雄がいないとまともに喧嘩もできないなんて、いつまでもそんな勘違いをされていては悲しいことこの上ない。
 元々臨也は一人だったのだ。静雄がいなくなったところで、いや、静雄がいる今だって、変わらない。臨也はずっと一人だった。一人でなんだってできたし、これからもそのつもりだ。
 トン、と手に持っていた傘で地面を小突いた。ほんの軽い力でやっただけなのに、それで目の前の三人はビクリ肩を跳ねさせる。それだけビビりなくせに、よくもまあ臨也に喧嘩を売ろうなどと考えたものだ。
「な、なんだよ手前」
「今さら謝ろうったって」
「……大丈夫ですよ」
 優しい声が出た。ああ、やっぱり、俺は人間が大好きだ。
「人間は学習する生き物ですからね」

 臨也は口元に笑みを浮かべた。




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