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僕の生きる意味 中

 どうやら次は西にも兵を進めるらしい。センター内で囁かれる情報を掴んで、臨也はすぐさま統制室に進入すると親元のコンピュータに向かった。
 西といえば、列強に名を連ねる強国がひしめく地帯だ。そこについこの間までいち弱小国でしかなかった国が自分から戦争を仕掛けるなんて、ウサギがライオンに突っ込んでいくようなもんだ。
「……何の冗談だ?」
 画面に表示された文字を追いながら思わず呟く。
 どうやらまだ具体的な国名は出ていない。ということは、まだそこまで作戦が進んだ訳ではないということだ。だが、政府の国軍のデータベースに侵入して出てきた機密文書だ。国の最高意思決定機関が決めたこととなれば、この馬鹿げた妄想が現実に向かって突っ走っていくことは確実だった。
 有り得ない。
 確かに静雄の戦力は一般の兵卒の数千にも匹敵する。だがそれだけだ。静雄は金属でできた本当の意味での兵器ではない。圧倒的な治癒力を誇るとは言っても、それを上回るダメージを受ければ致命傷になり得るし、なにより死ねばもう生き返らない。何度でも使い回せる万能な戦闘兵器ではないのだ。そんな曖昧なものに頼って頭から壁にぶつかっていくなんて馬鹿すぎる。少なくとも、科学の面においては先進国のするような蛮行ではない。
 ――甘い蜜を吸い過ぎた。
 国が戦争をするのは、その勝利の先にある戦果が莫大であることを知っているからだ。これまで敗走を続けてきたこの国は、その麻薬のような勝利の余韻を制御しきれず暴走を始めている。
「……道具に人が使われてちゃぁおしまいだな」
 液晶に映し出された画面を自分の端末で写真に撮って、臨也はデータベースから脱け出した。コンピュータ端末のデータベースそのものに手を入れて、侵入した形跡を消す。

「もういいんですか」

 撮ったばかりの写真を端末に保存していると、背後から唐突に声がかかった。驚いて振り返ると、この国の最高傑作の内の一人が能面のような顔で臨也の後ろに立っている。
「……いつからいた?」
「ついさっきからです」
 幽は淡々と言った。
「でも、貴方がそのコンピュータで何をして何を見ていたのかは最初から知ってます」
 どういう意味だ。臨也が警戒して目を細めると、幽は自分の頭を指差して、何でもないことのように言い放った。
「ソレ、俺の頭にも共有されてるんで」
「……は?」
「俺の頭に埋まってるチップとそのコンピュータのサーバーは互いに接続されています」
 ハ、と臨也は思わず笑ってしまった。人類の進化と並行して、この国が人間の脳を完全にコントロールする技術を開発しようとしていることは知っている。そしてそれが幽の登場によって飛躍的に進歩したことも。

 だがそれはあまりに危険な技術だ。人間の脳がコンピュータのシステムや膨大なデータを受け入れ切れるのか。壊れてしまうのではないか。そもそも人の脳を支配することは非人道的ではないのか。機械と人間の境界が危うくなるのではないか。
 脳を支配するということは、その人間の感情や思考、記憶を管理下に置くということだ。それに生きた人間が堪え切れるのか、これまで実験すらされたことはなかったはずだ。
「そのコンピュータのシステムは全て俺の脳の管理下にあります。誰かがアクセスすれば分かるし、操作の履歴や手順、データの更新も全て俺には筒抜けです」
「……君さ、自分が何を言ってるか分かってる?」
「分かってないように見えますか」
 幽かは冷めた声で言って、一歩臨也に近付いた。相変わらず表情に感情がない。敵意も、悪意も、怒りも、侮蔑も。
「ねえ幽君。君の頭とこのコンピュータが同期してるってことはだ。君の頭も、もしかしてこのコンピュータから操作可能なんじゃないのか」
「さすがだ臨也さん」
 皮肉でも称賛でもなく幽は言う。
「そうです。俺の脳もそのシステムから管理ができる。これはそういう技術だ」
「……イカれてる」
 臨也が吐き捨てると、ええ、と幽は素直に頷いた。
「俺もそう思います」
 まるで機械でも操作するように、人間が思考ごと人間を自由に操作するようになる。幽がやっているのはそういう技術だ。吐き気がする。非道だとか倫理に反するだとか、そういう理由じゃない。
 ――気持ちが悪い。
「実は、俺から貴方にお願いがあるんです。それで会いに来ました」
「……お願い?」
「はい。その為にずっと貴方の弱味を探してた」
 ピク、と臨也の口元が引き攣った。弱味とはこの統制室への侵入とシステムコンピュータへの無断介入を言っているのだろう。これは明確な違反行為で、下手をすれば国家へのスパイ行為だ。ただでさえ"外"の仕事であちこちを歩き回ることの多い臨也がそんなことをしたと知れれば、このセンターから追い出されるだけでは済まないかもしれない。
「何。俺を脅す気?」 「そうなります。とりあえず移動しませんか」
「俺はまだそのお願いを聞くとは言ってない筈だけど」
「いいえ。貴方は聞いてくれます」
 いやに確信めいた口調で断言した。幽が言うのと同時に、臨也の後ろのコンピュータが唸りを上げ始めた。思わず振り返ると臨也には覚えのない文書ファイルがひとりでに立ち上がり、そこに次々と高速で文字が打ち込まれていく。

『平和島静雄。平和島静雄、平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄人間平和島静雄平和島静雄平和島静雄。平和島静雄静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄兄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄、平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄兄平和島静雄記憶平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄感情平和島静雄平和島しz――……』

「――は」
 バチン、という音とともに画面がブラックアウトして電源が落ちた。唖然として臨也が幽を見ると、焦りも動揺もない顔で、やはりその場に立ち尽くしている。
「……見苦しいものを見せました」
 幽は言う。
「聞いてくれますよね、臨也さん」
 その声も平坦なものだった。










 ――潮の、香りがする。

 遊泳禁止の立て看板が出ている浜辺を歩きながら、臨也は遠くの水平線に目をやった。もう日が沈み始めて、太陽が半分になっている。オレンジになった波が臨也の足のすぐそばまで打ち寄せて、触れないまま引いていった。
「シズちゃん」
 幼かった頃、臨也は静雄のことをこう呼んでいた。静雄は臨也のことを「臨也」と呼んだ。同じ研究所で育てられたのだ。同じテーブルで食事をして、同じ部屋で眠りについた。なのにこの男は、その記憶のすべてを失っている。
 臨也が振り返ると、静雄は足を止めてこちらを見ていた。
「ねえ、君さ、俺の名前知ってる?」
 覚えてる、とは敢えて言わなかった。
「……いや」
 一度開いた口を閉じてからまた言いなおしたのは、おそらく思い出そうとはしてくれたからだろう。だが、容量の小さい静雄の頭でじゃあ、検索しても臨也の名前は出てこなかったようだ。
 もう何度も教えてるのに。臨也は振り返ったまま足を止めた。
「俺、折原臨也っていうんだよ」
「そうか」
「それを踏まえたうえで、俺のことどう思う?」
 意味のない質問だ。想像通り、静雄はこれには淀みなく答えた。
「研究所の職員だろう。今は俺の監視役で……今日は二十時までお前について行くのが仕事だって聞いてる」
「うん。うん、その通りだ」
 さっき名乗ったばかりなのに、もうとっくに臨也の名前なんて忘れているのだろう。たとえ今ここで改めて名前を言ったとしても、どうせすぐにまた忘れてしまうに違いない。それは必要のない情報だから。外部からの情報に取捨選択がなされる今の静雄の頭に、臨也が入り込む余地はない。
「じゃあ、幽君のことはどう?」
「かすか? ……ああ、アイツか」
 さすがに幽のことは記憶にあるらしい。
「アイツも研究所の職員だろ。チーフって呼ばれてるから、そこそこ偉いんじゃないのか」
「それだけ?」
「他に何かあんのか」
「……いや、ないね」
 偉いも何も、今やバイオの分野では幽が最高責任者だ。
 愉快な話だった。
 国の最高傑作として試験管の中から産まれた頭脳が、今度は産み出す側として自分の遺伝子を利用しながら研究を重ねている。
 ――君には真似できないだろう、シズちゃん。自分の弟すら弟だと認識できない、お粗末な君の脳みそじゃあ。
 幽の今の主な仕事は、新たな"新人類"を誕生させること、そして一応の兄である平和島静雄の管理とデータ採取だ。滑稽な兄弟であることには間違いなかった。少なくとも臨也には、この二人がまともな人間であるようにはとても思えなかった。





 臨也は幼少時代のほとんどを一号と二号――静雄と幽と共に過ごした。試験管の中から生まれたこの国の悲願。臨也はその一週間後に試験管の中から誕生し、三号として研究者たちから育てられていたのだ。
 だが、臨也には幽ほどの頭脳も静雄ほどの肉体もなかった。どちらも凡人と呼ばれる人間たちと比べれば遥かに優秀だったが、新人類と言ってしまえるほど人間離れした才能でもなかったのだ。
 その他大勢と変わらないただの天才とみなされた臨也は、ほどなくして三号という呼び名を失い研究室からも追い出された。追い出されたと言っても、身ぐるみを剥がされて野ざらしにされたわけじゃない。失敗作だったとは言っても、臨也自身の優秀さは認められていた。だから臨也はその研究所で、まだ十代の若さで研究員としての仕事を与えられている。

 ああ、くだらない!

 より優秀な人間である「新人類」という立場から追い出された「ただの天才」がいったいどんな感情を抱くのか、この国の人間たちには少しも予想がつかなったらしい。
 臨也は自分の財産を管理する口座を持つことができる十五歳の時から、他国との商品の取引で利益を得るトレードを少しずつはじめていた。くだらない。こんな国に留まり続けることに意味はない。一つの狭い世界に留まり続ける理由だってないのだ。他の人間より遥かに優秀な頭脳と肉体を持ちながら"失敗作"の烙印を押した、これは臨也からこの国への復讐だったのかもしれない。




あきゅろす。
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