[携帯モード] [URL送信]
僕の生きる意味 前

 いつものように臨也が研究所の中庭に行ってみると、これまたいつものように中央の噴水前に一人の青年が呆けた表情で座っていた。スラリとした痩身に病人が着るようなのような白い服を着て、茫然と中庭の風景に目をやっている。それは「見ている」というよりは、ただ「視界に収めているだけ」と言ったほうが正しいかもしれない。
 その青年は、臨也が「やあ」と声をかけるとこちらを向いた。光りの映らない瞳が臨也の顔を捉える。
「……またお前か」
 青年には平和島静雄と言う名前がある。臨也は静雄に手を振ってみたが、案の定すぐに顔を背けられる。
「相変わらずつまらなさそうな顔してるね。もうちょっと楽しそうにしたらどうかな?」
 臨也は静雄の隣に座った。静雄はそれを気にした素振りも見せず、変わらず中庭に目を向けている。臨也の顔を見ようともしない。
「そうそう、この前もご活躍だったそうじゃないか。えーと、なんだっけ? お隣さんの国の第三都市を制圧だっけ? 聞いたよ、一人で先導切って、五千の市民軍を突破したそうじゃないか。それで今無傷でいるって、本当に化け物だな君は」
「無傷じゃない。治ったんだ、これは」
「面白い反論だ。どっちにしろ化け物じゃないか」
「……そうか」
 そうなのか、と静雄は臨也を見もしないまま淡々と言った。

 この国の英雄。
 敵国の進軍の全てからこの国を守ってくれる、平和と勝利の象徴。
 それが平和島静雄の肩書だ。

 この国は五年ほど前から、他国との戦争で負けを知らない。だから世界一の科学技術をという"餌"をぶらさげておきながら、他国からの干渉を一切受けずに済んでいる。ほんの少し前までは武力に劣り戦争の面では弱小国に過ぎなかった筈が、ある時を境に強国に躍り出たのだ。
「ねえ君、なんでうちがお隣の国と戦争してるのかは知ってる?」
「知らねえ」
「敗けた国がどうなるのかは? 君が殺した人がどんな人だったのかは」
「知らねえ」
「――ハハッ」
 頭がイカレてる、完全に。臨也が笑っていると、中庭に目を向けていた静雄が急に立ち上がった。
「検査の時間だ」
 何のあてもなく漫然と中庭を見ていたわけではなく、噴水の目の前にある時計台を見ていたのだ。恐らく、臨也が来る数時間前からずっと、ひたすらあの時計台を見続けていたのだろう。
 いつものことだ。静雄は一つの用事を済ませてしまうと、その次の用事が来るまでいつまでだって時計を見続けている。楽しいからじゃない。他にやることがないし、やらなくていいと思っているからだ。
「検査って楽しい?」
「知らねえ」
「目的は?」
「知らねえ」
「じゃあ、君はどうして大人しく検査されてるんだ?」
 静雄はチラリと臨也を見た。
「それが、俺の仕事だからだ」
 それ以上でもそれ以下でもない。それだけ言って静雄は臨也に背を向けると、一度も振り返らず研究所の中に戻ってしまった。





 折原さん、と声を掛けられて、臨也はセンターの正面玄関へと続く中庭の道で足を止めた。振り返ると白衣を纏った色白の美青年が立っていて、無感情という表情で真っ直ぐに臨也を見ている。
「やあ、幽君」
 臨也が片手をあげて挨拶すると、幽は手にカルテを持って近寄ってきた。臨也の前で足を止めると、またじっと正面から見つめてくる。
「あれ、今って検査の時間なんじゃなかったっけ」
「これからです」
「じゃあなんでこんな所で油売ってんの?」
「アナタから話を聞くのも仕事の一つなので」
「ああ、ハイハイ」
 それでそのご大層なカルテなわけだ。臨也はガシガシと乱暴に頭を掻いて、ほんの少し前までに起こった出来事を素直に口に出した。つまり、平和島静雄とのやり取りだ。
「いつも通りだよ。いつも通りつまんなさそうな顔してるシズちゃんとつまんない会話して、検査の時間が来たからってフラれた。そんだけ」
「……この前の戦争については何か言ってました?」
「別に。俺が凄いねって言ったら、アイツがつまんなさそうな顔した。いつも通りだ」
「そうですか」
 幽は事務的に手元のカルテにチェックを付けていった。こんなことに意味はないのに、きちんとやっておかないと後から上がうるさいのだ。
「ねえ、アイツ頭おかしいよ」
 臨也は表情のない幽に言った。幽はカルテから顔も上げずに、「そうですか」とやはり事務的な返事をする。
「もういっそのこと"お人形"にしたら? 今も似たようなもんだけどさ、中途半端が一番気持ち悪いんだ。"不気味の谷"って言葉は聞いたことある?」
「報告ありがとうございました」
 無駄口に用はないとばかりに、幽は臨也の報告以外に耳を貸さない。
「これからもシズオの観察と報告をお願いします」
「……はいはい」
 臨也の返事を聞くより先に、幽の足はセンターに向かっていた。





 平和島静雄は、この国が唯一開発に成功した人工生物兵器だ。
 ――『試験管ベイビー』。
 この国の全ての英知と技術を集結させて遺伝子の調整を行い、千年の悲願を達成して"新人類"を誕生させた。

 何万何十万という失敗作を産み出しながら、千年にも渡る試行錯誤の末に漸く成功したのは、卵子が途中で二つに分裂した試験管たった一つだけ。それでも、これまでの努力が漸く芽を出したと歓喜した研究者たちは、成功作の一号を"静雄"、二号を"幽"と名付けた。彼らの名字である「平和島」は、二人が誕生した研究所がある土地の名前だ。静雄は肉体が、幽は頭脳が、これまでの人類からは考えられないほど常軌を逸した進化を遂げていた。
 静雄は超人的な体を、幽は天才的な頭をもって産れてきたのだ。
 二人ははじめ同じ培養室で大切に育てられていたようだが、七歳になった頃に互いの才能がいよいよ劇的な進化を見せ始めると隔離して育てられるようになった。幽はその頭脳を活かすために研究員の方にまわり、静雄はその肉体と怪力を制御し利用するための観察とコントロールが始まった。
「あの二人よりつまらない人間なんてこの世に存在しないだろうな」
「そうかなあ。僕はどっちも面白いと思うんだけど」
「面白い? アレが面白いってんなら、お前にとっては公園の砂粒を数えるのだってさぞや愉快なお遊びなんだろうよ」
 研究センター内部の廊下を歩きながら臨也が舌打ちすると、隣を歩く新羅は肩を竦めた。
「突っかかるなあ。機嫌悪いの?」
「悪いよ、最高にな。なんで俺があんな化け物の監視なんてしないといけないんだか……」
「君が"外仕事"なんて始めるからだろ? ただでさえ内部は戦争やらナンヤラでピリピリしてるってのにさあ」
「フン」
 静雄の観察という仕事を押し付けられるようになってから、もうそろそろ一年が経とうとしている。こういえばまだ聞こえはいいが、逆に言えば臨也も静雄に見張られているということだ。二年ほど前に臨也が始めた外仕事のせいで、自分が国から警戒されていることは知っている。それでも臨也は止めるつもりはなかった。
「戦争なんて言えばまだ聞こえはいい。あんなのただの侵略だ」
「おや、君が綺麗ごとを持ち出すとは」
「一号が上手くいったからって調子に乗り過ぎなんだよ。あっちこっちに喧嘩売って何がしたいんだか……」
 この国が遺伝子の組み換えと選別による"人類の進化"の研究を始めたのは千年も昔のことだ。
 この国は世界でも最先端の科学技術を誇り、特に遺伝子に関する医療分野では他国に圧倒的な差をつけるほどの発展を遂げていた。もともと他国と比べると人種として弱い個体だったからかもしれない。
 医療に特化して発展した国は、だが戦争による他国からの侵略を歴史の上で何度も何度も受けてきた。兵器の開発だけは他国に何百年も遅れを取っていたのだ。この国は侵略の歴史を辿っていた。
 だから昔の人は考えた。
 ――強い人間を。
 ――誰に侵害されることも、征服されることもない、武器より強い人間を。

 人間が兵器に負けるなら、その兵器に負けない人間を造ればいい。それがこの国の悲願だった。
 何度も何度も人の遺伝子を組み換え、改良し、また調整し、それでもその他大勢と変わらないただの人間を何万と生み出しながら、それでもこの国は"進化"を求めた。何度も何度も、数多くの"出来損ない"を生み出し、淘汰しながら、そうしてようやく唯一"完成"したのが、一号と二号――静雄と幽だった。
「そもそも一号だっていつまで"もつ"のか分からないんだぞ。使い潰しちゃ世話ないね」
「でも、だからって研究所に閉じ込めてちゃ意味ないからなあ」
「どうかしてる……」
 解剖室の前で新羅が足を止めた。臨也の用がある場所ではないが、つられて一緒に立ち止まる。
「実際のところ、一号はどうなの? あれでも一応人間なんだ。情が湧いたりしない? ほら、一応同い年なんだし」
「つまらない邪推だよ」
 臨也は嘲笑った。
「アイツ、俺の名前すら覚えてないんだから」
 臨也はクルリと踵を返すと、新羅を置いて研究所の最奥にある遺伝子バンクに向かって歩き出した。




第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!