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貰うと泣いてしまう花 後

 男が去ってから、すぐに臨也と静雄は街を出る準備を始めた。この街に売る商品がまだないわけではなかったが、この街は暑くてしょうがない。花さえ売り切ってしまえばさっさと出て行きたかった。
「結構儲かったなあ。 ……あれ」
 荷物の整理をしながら、臨也は声をあげた。道に広げていた商品を馬車に乗せるために麻袋に詰め込もうとすると、その袋の奥にオレンジのマリーゴールドが一輪入っているのに気が付いたのだ。
「なんだ?」
「いや、花がまだ残ってたみたいでさ……」
 うっかり中に落としてしまったのだろうか。今まで気が付かなかったとは不覚だ。
「ま、もういいや」
 日を全く浴びなかったせいかほとんど枯れかけているし、袋の重みで花も少し潰れている。どうせもう売り物にはなりそうもない。
 そのまま臨也が道端に投げ捨てようとすると、馬の手綱を握った静雄が「待て」とそれを制止した。
「それ、いくらだ?」
「え? いや、これもう捨てるんだけど」
「いいから。いくらだ」
 不思議に思いながら臨也が本来売る予定だった値段を告げると、静雄は自分の財布からそのお金を出して臨也に差し出した。どうやらこの花が買いたいらしい。
 やはり不思議な気持ちのまま臨也が萎びたマリーゴールドを渡してやると、静雄はそれを大事そうにショルダーバッグにしまう。つくづく奇妙な光景だ。
「シズちゃん、その花気に入ったの?」
「……まあ」
「それ、もう萎れてるよ。花なんてどこでだって買えるのに」
「うるせえ」
 ついでに言うと、そんなカバンなんかに入れていたらあっという間に花びらが散って茎も折れてしまう。言ってやろうにも、静雄は馬に頭絡をつけるのに既に夢中になっている。
 まあいい。その花が散ろうが折れようが、臨也の知ったことではない。

「行こう」

 臨也が馬車に乗り込んで、静雄が馬に乗る。ゆっくりと馬が歩き出して、臨也たちは街の中心街から出て行った。
 暫く進んで街外れに出ると、数メートル間隔でポツポツと家が建っているだけの閑散とした道が続く。人通りもほとんどなかった。
「あれ?」
 なんとなしに、ゆっくりと流れていく光景を眺める。すると見たことのある人間が視界に入って、思わず臨也は声をあげた。
「シズちゃん、あれ、さっきの人じゃない?」
「あ?」
「止めて、止めて」
 静雄に馬を止めさせて、良く目を凝らして見る。
 白い壁の小さな家の前に、花を抱えたあの男が立っていた。
 こちらには気付かないようで、躊躇うように家のチャイムを押した。暫く待ったが中から人が出てくる気配はない。男は何度かチャイムを押したり声をかけたりしていたようだが、結局玄関の扉が開くことはなかった。
 男は肩を落として、持っていた花を扉の前におく。最後まで臨也たちには気が付くことなく、そのままトボトボとどこかへ行ってしまった。
「あらら、今日も失敗みたいだねえ……」
「いや」
 男の姿が見えなくなってしまった頃に、なんと家の玄関の扉が開いた。中から現れたのは長い赤髪を一つのお団子に結いあげた若そうな女性で、男の置いていった花を拾い上げると、それを眺めながら男の行ってしまった方向に目をやる。
「行くぞ」
「は?」
 静雄は臨也の返事も待たずにその女性のところに向かって馬車を走らせた。文句を言っても無駄なことは分かっているので、とりあえずは黙っている。

「オイ」

 まさに家の中に引っ込もうとしていた女性の前に馬をとめると、静雄は乱雑極まりない口調で声をかける。
「アンタ、その花どうするんだ」
「はい?」
「あーもう、シズちゃんはちょっと黙ってて。 ……すみませんね、貴女はノンさんですか?」
 馬車から顔を出して、臨也は女性に声をかけた。
 近くで見ると、思ったよりも若くて美人だ。

 女性はいきなり現れた妙な二人組に怪しげな眼を送っていたが、臨也がノンという名前を出すと顔色を変えた。
「姉を知ってるんですか?」
 想像していたのと違う返答だ。臨也は目を丸くした。
「貴女がノンさんじゃはないんですか」
「それは姉がよく呼ばれていた愛称です」
「だったらアンタが姉ちゃんを説得してくんねえか。恋人と喧嘩してるらしくて、あの男が困ってんだよ」
 あの人と知り合いなんですかと、女性は驚いたような顔をした。
「だったら、あの人にこんな真似はもうしないでと伝えてください。正直とても困ってるんです」
「いや、これはアンタじゃなくてアンタの姉ちゃんの話なんだけどな」
 静雄は馬からおりると、そう大きくはない家を見上げた。臨也も馬車から下りる。
「この家にいんだろ?」
「……いえ、この家には私しか住んでいません」
「この家はノンさんの家じゃないんですか」
 臨也の問いに女性は目を伏せた。
 男の置いていった花を胸のあたりで握り締めると、語りだす。
「かつてはそうでしたが……一年も前に姉は死にました。突然の――病死です。ただの風邪だと思っていたのに、みるみる体が弱っていって、ある朝起きたら冷たくなっていたんです」
「病死?」
「そうです。私が馬鹿だったんです。ただの風邪だって思って、病院に連れて行った頃にはもう遅かった。たった一人の家族だったのに。父も母も早くに亡くなってしまって、たった二人で支え合って生きてたのに。馬鹿な私のせいで死なせてしまった」
 でも、と女性は言う。
「あの人――姉の恋人はもっと馬鹿だった。姉はもう死んだのに、もうこの世にはいないのに、それが理解できないんです。何度死んだって言っても、この家に姉を求めて訪ねてくる。いない姉に宛てた手紙を送ってくる」
 女性の目尻に涙が溜まって、溢れて頬をつたった。
「初めの頃は、私もなんとかあの人を説得してました。もう姉は死んだんだって、どれだけ待ってももう会えないんだって、でもあの人はその現実がまだ受け入れきれないんです。こんな花貰ったって、私にはどうしようもないのに。私まで悲しくなるだけなのに」
 臨也はこの場所から家の窓が見えることに気が付いた。飾り窓にはレースのカーテンがかかっていて、銀色の花瓶が置いてあるのが見える。
「もう姉さんは死んでるのに。 ……馬鹿な人」
 花瓶の中には、男が臨也から買っていた花が飾られていた。





 女性が家の中に戻ってしまうのを見送ってから、臨也は静雄を見た。静雄は茫然と女性の入っていた家を見ていて何も言わない。女性があの男の話をしている間、静雄は何も言わなかった。
「シズちゃん?」
 黙ってしまった静雄の顔を覗き込む。
「……あの女、泣いてたな」
「そうだね」
「花を貰ったのに」
 よく分からないことを言うと、静雄は僅かに目を伏せた。
「花をやるのって、ゼッテー喜んでくれるわけじゃないんだな。泣いたりすんだな」
 さっきから何の話をしているのかよく分からない。
 静雄は項垂れた様子で、肩に掛けたショルダーバッグからあの萎れたオレンジのマリーゴールドを取り出した。どうするのかと思えば、握ったまま臨也の目の前に突き出して渡そうとする。
「……何? やっぱりいらないって?」
 渡されるままに受け取った。案の定、さっきよりも更に痛んで潰れている。売り物にならないレベルだ。
「ていうかコレ、まさか誰かにあげるつもりだったの?」
 とんだ笑い草だ。こんな貧相な花、一体どこの誰に渡すつもりだったんだろうか。臨也が笑い飛ばしてやろうとすると、静雄は暗い声でボソリと言った。
「お前にやろうと思ってた」
「は?」
「花の贈り物は喜ばれるって、お前が言うから」
「……はあ?」
 臨也は受け取ったばかりの花を見た。痛んで、萎れて、花びらに傷までついている、売り物にもならないような貧相な花だ。

 ――これをプレゼント? あのシズちゃんが俺に?
 ――俺が、喜ぶと思って?

「なんだよ、それ……」
 売り物にもならないような粗末な花だ。プレゼントされたところでどうせ明日には枯れている。なのに馬鹿な静雄は、そんなことも分からないのだ。
「あ」
 機嫌を窺うように臨也を見ていた静雄が、ふと声を漏らした。
「やっぱり、花をやっても――」







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貰うと泣いてしまう花




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