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人を救う神様 前

「……おや」
 臨也と静雄がとある山奥の村を目指して歩いていると、両腕を回しても抱えきれないほどの大きな岩が道の真ん中を塞いでいた。すぐ脇に小さな道が続いているから、そこを通ればこの岩を避けられるのだろう。だが、この日臨也は不思議とそんな気にならなかった。
「シズちゃん」
「あ?」
「あれ、脇にどけてくんない?」
 臨也が指を指して言うと、静雄は真面目くさった顔で巨大な岩をじっと見た。それから臨也の顔と、周囲の様子をぐるりと見わたして言う。
「いや、こうした方が早い」
 静雄は岩のすぐ目の前まで移動すると、臨也が「あっ」と言うより先にその岩に向かって思い切り自分の拳をぶつけた。ようするにパンチしたわけだ。
 ゴッ、という鈍い音がしたかと思うと、静雄の拳が当たった場所を中心にして岩にヒビが入る。臨也が唖然としている間に、その岩はあっという間にバラバラに砕け落ちてしまった。
 静雄は自分の拳にふっと息を吹きかけると、平然とした顔で臨也を振り返る。
「これでいいだろ」
「……君って本当に化け物だな」
 呆れて言う臨也に、静雄は僅かに首を傾けるだけだった。



 耕されて手入れの行き届いた田畑。川の中でグルグル回る水車。そこらに繋がれている、馬や牛といった家畜。そこで暮らす人々。
 そこは一つの村ができていた。
 家は全て手作りの木造建築で、電気やガスなんてものもどこにもない。ここに住んでいる村人たちは、全て自給自足の生活をしているようだ。不自由な山奥によくぞこんな村を作ったものだと、思わず臨也は感心してしまった。
「私たちはもう、二百年はここでこうした生活をしているのです」
 この村の長をしているのだという老爺が、村を案内しながら教えてくれた。
「人口五百人程度の小さな村ですが、先祖代々こうやって田畑を開墾して耕し、家を建て、家畜を飼い、今のような村が出来上がっております」
「凄いですね。どうしてこんな山奥に?」
「生き神様がこの土地を選んだからです」
「生き神様?」
 ワン、と犬の吠える声がした。臨也が視線を彷徨わせると、老爺が立ち止まって離れた水田を指差す。田と田の間の細い通り道を、茶色い犬が優雅に歩いていた。
「あの方が生き神様です」
「……犬だ」
 静雄がボソリと言った。
「はい。犬です」
 老爺がまた歩き出したので、臨也たちもついて行く。
「生き神様とは動物のことです。先代は猫でした。その先代がなくなった日に産まれたのが、今の生き神様なんです」
 なるほど。
「どうりで動物だらけだと思いましたよ」
 家畜だけでも牛、馬、鶏、鴨。それだけでも多く感じるのに、犬や猫、兎までもがこの村を我が物顔で闊歩している。ここは動物信仰のある村だったのだ。
「神様というわりには、元気にその辺りを走り回ってるようですが?」
「野良犬ですので」
「野良犬?」
 神様が野良犬とは、世界には不思議な宗教もあったものだ。
「私たちが生き神様に特別なお世話をすることはありません。下手なことをして本来の生き方を忘れてしまっては困りますので。ありのままが一番、ということですな」
「はあ」
 分かるような分からないような、という理屈だ。
「二百年前、私どもが住んでいた昔の村は大洪水によって流されてしまったとされています。当時の生き神様は鶏でした。生き残った数十人の村人が生き神様をつれて新たに住む土地を探し回り、その折に生き神様が選んだのがこの土地だったのです」
「鶏が選んだんですか?」
「この山で亡くなったのです」
 老爺は言った。
「この土地を死に場所として選んだのですな。そして私たちの先祖はこの土地に生き神様を祀り、ここを新たな住み場所としました」
 柔らかな老爺の語り口に、ははん、と臨也は納得した。
「生き神様が死んだ場所が、貴方達の居場所になるってわけですね」
「その通りです」
「オイ、じゃあなんで前の土地は捨てたんだ?」
 大人しくしていると思っていたら、まーた静雄のナゼナゼ攻撃が始まった。
「洪水で流されたくらいで捨てるのか」
 不躾な質問に気分を害しても良さそうなものだが、老爺は嫌そうな顔一つしなかった。むしろ目を細めて微笑んでいる。
「ええ、貴方の疑問もご尤もです。勿論、私達はそれだけで生き神様の選んだ土地を捨てたりはいたしません。土地を捨てるのは、死に神様がそうせよと仰った時だけです」
「死に神様?」
「はい」
 また新しい神様が出てきた。
「当時の死に神様は鉄製の鍬であったと言われています。二百年前の洪水で、その死に神様が壊れてしまったのです。死に神様が死んだときに、話達はその土地を離れます。そういうしきたりです」
「神様が鍬?」
「死に神様は生き物であってはいけませんので」
「だからって鍬ですか」
 段々突っ込むのが面倒になってきた。つまり、生き神様は生物で、死に神様は無生物というわけだ。生き神様が死んだ場所で村人は暮らし、死に神様が死んだ場所から村人は離れる。この村はそういう宗教を信仰しているようだ。

 老爺の歩に足を合わせながら、臨也は改めて村の様子を眺めた。
 よくできた村だ。文明という点からは後れを取っていると言わざるを得ないが、人が住む家、食料を得るための田畑と家畜、よく均された道、水を引く道、生活のためのインフラは全て見事に整っている。こんな山奥で作った村としては、これ以上はないと言っていいくらいだ。
 元々この土地は人が済むのに適した場所ではない。これだけの村を創り上げるのに相当な努力が払われたのであろうことは容易く想像できた。
「……と、まあ、こんな所でよろしいでしょうか」
 暫く歩きまわって村の案内を一通り済ませたところで、先導していた老爺がくるりと振り返った。
「あ、はい。わざわざすみません」
「構いませんよ。近頃は貴方方のように、村を見物していかれる方も珍しくはありませんので」
 それでは私はこれで、と老爺がその場を離れようとするのを、静雄が「待て」と引き止めた。
「神様ってなんだ?」
 静雄のこういう質問は心底面倒臭い。だが、老爺は相変わらずの柔和な笑みのまま、その面倒臭い質問に答えた。
「いつも私たちを見守って下さる存在です」
「本当にいるのか?」
「おります。信仰心さえ忘れなければ、貴方のことも見て下さっていますよ」
 真に受けたのか、静雄が急に辺りをキョロキョロし出した。そんな静雄の様子を見る老爺は、人の良い顔を最後まで崩さなかった。




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