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はたらく元気 前

 静雄の運転するキャンピングカーの窓から外を眺めてみると、街は大いに賑わってあちこちを人が行き来していた。さすがは先進国の首都圏だ。ビルやホテル、レストランから銀行まで人で溢れているのがよく分かる。遠くには観覧車も見えていた。車が信号で停まったタイミングを見計らって、臨也は窓を開けてみる。途端にむっとした熱気が顔にかかった。臨也は渋面をつくって、さっさと窓を閉める。
「次の交差点を右ね。そしたら大きいショッピングモールがある筈だから、そこに駐車して」
「臨也、アレはなんだ?」
 静雄は遠くに見える観覧車が気になるようだ。臨也は商品表に目を通しながら説明した。
「観覧車だね。あの箱の中に入って、輪をぐるっと一周するんだ。景色を楽しむアトラクションだよ」
「アトラクション?」
「この街一番の観光資源はテーマパークなんだよ。あ、テーマパークって遊園地のことね」
 ふうんと頷きながら、静雄はまたチラリと観覧車に目をやった。こころなしか、さっきよりもそわそわして落ち着きがなくなったようにも見える。
「……この仕事の後、連れてってあげるよ」
「ほんとか!」
 観覧車が気になって交通事故なんて馬鹿らし過ぎる。臨也が言ってやると、静雄は期待に満ちた目で臨也を見た。
「ちょっと、危ないからちゃんと前見て」
「今日の仕事はなんだ?」
「布を買いたいって店があったんだよ。偶然この街でもう一件仕事が入ってたから、ちょうどいいかと思ってね」
「布?」
「そ」
 交差点を右折すると、大規模なショッピングモールが見えてきた。家具を専門に扱うファニチャーモールだ。この店の社長が、今回の仕事の取引相手だった。
「自社ブランドの製品開発を視野に入れてるとかで、この辺ではあんまり見ないような珍しい布を探してるんだよ。そこで俺の出番ってわけだ」
 世界中の国から国へ、街から街へ旅をしながら商売をする臨也なら、各地の珍しい布が手に入ると思ってのだろう。布が欲しいと臨也に電話がかかって来たのは一ヶ月も前のことだった。

 駐車場に入って、車を停める。助手席から降りると、臨也は後部座席に詰めこめるだけ詰め込んだ布の山を眺めた。静雄も遅れて運転席から降りてくる。
「俺、今からこの店の事務所行ってくるからさ、シズちゃんこれ全部持ってきてね」
 臨也が言うと、静雄は車内の布の山に目をやった。もともと5人程度の生活スペースがあるキャンピングカーの中はびっしりと多様な布で埋められていて、足の踏み場もない。重さにしても五百キロは超えるはずだ。
「全部?」
「うん、全部見せたいから」
「あの後ろにある木とかペンキもか?」
「いや。あれは今日の仕事には関係ない」
「……車ごと持って行っていいか」
 ハハ、と臨也は笑った。
「布だけ持ってくるに決まってんだろ馬鹿」
 だが、確かにこれだけの量の布を全て収容するスペースがあるとも限らない。事務所の広さなんてたかが知れている。
「とりあえず、この風呂敷に包めるだけ包んで持ってきてくれたらいいよ」
 大きな風呂敷を二枚静雄に手渡すと、臨也は今回の取引相手に電話を掛けた。



 大風呂敷を二つ両手に持った静雄と二人で裏手の事務所を訪れると、メガネをかけた初老の男性が臨也たちを出迎えてくれた。
 事務所の中は案の定そこまで広くはなく、真ん中に置いてあるテーブルと二つの向かい合ったソファだけで部屋の半分を占めている。
「折原です」
 軽く会釈をして挨拶すると、社長は「ほう」と少し驚いたような顔をした。
「思ったよりもお若い。失礼ですがおいくつですか?」
「今年で二十三になります」
「それはそれは。お若いのに旅商人とは……」
 社長はしきりに感心したような顔で臨也を見てから、ふと静雄のほうに視線をやった。大きな荷物を両手に持って突っ立ったまま何も言わないから、不思議に思うのも仕方がなかった。
「こちらは?」 「あ、彼は私の助手というかボディガードというか……ほらシズちゃん、挨拶して」
「うっす」
「うっすじゃないだろ」
「ハハ、構いませんよ」
 社長は気さくに笑い飛ばすと、さっそく部屋の椅子に座るよう勧めた。ソファに寛ぐと、社長は改めて臨也に頭を下げた。
「いやぁ、わざわざ来て頂けて嬉しいです」
「いえいえ」
「一度お会いしてみたかったんですよ。折原さんは有名ですからなあ」
 喋り方も柔らかく、腰の低い男だ。臨也が静雄に風呂敷を広げさせて持って来た布を見せると、ほう、と目を輝かせた。
「素晴らしい。この国は織物や染物の技術も発展していないんですよ」
 これとこれが特に素晴らしい、と社長はいくつかのロールを指差した。それだけ事務所に残して、残りの布は静雄が車に持ち帰る。また戻って来ると、今度は別の布を持って来ていた。するとその中からまた社長が気に入った布を選んで、残りの布を静雄が車に戻して、新しい布を持ってくる。
 この作業を百回は繰り返して、ようやく全ての布の品定めが終わった。普通の人間なら重労働なはずだが、静雄は息一つ上げずに作業をやりきった。
「では、こちらをお買い上げということでよろしいですか?」
「そうですねぇ……もう少し考えても?」
「勿論」
「――失礼します」
 結論はまた後日に持越し、となったところで、スーツを着た秘書らしき女性が部屋に入ってきた。湯気ののぼる紅茶が入ったコップを三人分持って来て、テーブルに置くとまた静かに帰っていく。
 社長はソファにゆったりと腰かけながら、持ち運ばれたばかりのお茶を臨也と静雄にすすめた。
「布はイマイチですが、このあたりでとれるお茶は美味しいんですよ」
「ありがとうございます。いただきます」
 臨也よりも先に、静雄は既にコップに手をつけていた。社長はそれをおかしそうに見ている。
「シズちゃん、美味しい?」
 飲みながらコクコク頷くものだから、臨也まで笑ってしまう。
「彼は嘘は言わないんですよ」
「ほう」
「そんなに美味しいなら、私も商品としての購入を検討してみるのも悪くないかもしれないですね」
「この街にはどれくらい滞在を?」
「とりあえず一週間程度ですかねえ。なにせ初めてきた街なので、観光でもしてみようかと」
 おお、となぜか社長は嬉しそうに身を乗り出した。
「でしたらこの街の中央のテーマパークに行ってみて下さい。この街一番の観光名所で、この街の人間や観光客から大変愛されてるんです。いつ行っても行列でいっぱいですよ」
「ああ、ここへ来る途中も観覧車が見えました」
「そう、それです! この街は都心としての開発は進んでいますが、歴史や文化の面ではこれといった見どころがなくて……あのテーマパークだけが自慢の名所なんです。この街に来たなら一度は行って頂きたい。 ――"夢の国"と、皆からそう呼ばれて愛されてますよ」
「……夢の国、ですか」
「そうです!」
 社長は得意げな顔で頷いた。
「現実を忘れることのできる、まるで夢のような国です」
「また随分と大袈裟ですね」
「大袈裟なんかじゃありませんよ。行けば折原さんにもきっと分かって頂けるかと思いますよ。実は私の親戚があそこの株主でしてね、もし行かれるのでしたら優待チケットをお譲りしますよ」
「それは良いな」
 いきなり静雄が割り込んできた。
「今すぐ行こう」
 なぜ君が決めるんだ。



 静雄があまりにも行きたい行きたいとしつこいものだから、臨也としては一度帰りたかったがそのまま"夢の国"とやらへ直行した。
 普通は遊園地と言えば子供や家族連ればかりだが、さすがは街一番の観光資源だ。女子高生のグループやカップル、お年寄りまで老若男女問わず大勢の人間が押し寄せている。一つのアトラクションに乗るために一時間並ぶこともあった。おかげ様で大の男二人だけでも悪目立ちはしない。
「なるほど、夢の国ねえ……」
 一番臨也の目を引いたのは、敷地内の徹底した「現実との隔離」だった。
 アトラクションは勿論だが、その他の通路まで遊び心を忘れない。キャラクターの着ぐるみがそこらを歩いていたり、河が通っていたりする。風景を意識しているのかどこを見渡しても外の高層ビルや建物が視界に入ってこないし、車の騒音も聞こえない。"外の世界"とは完全に隔離され、まるでここが一つの国であるかのように、目に入る全てが"現実"からは遠ざけられていた。 
 従業員の教育も徹底していて、係員から売店のレジ打ちまで全てニコニコと愛想がいい。屋台でアイスを売っている人に目が合っただけで両手で手を振られて、静雄がポカンと間抜けな顔をした。
 遊園地には数回来たことがあるが、ここまで徹底しているのはさすがに初めてだ。
「臨也、臨也」
「何?」
「楽しいな」
「あ、そう。良かったね」
 人混みが嫌いな臨也としては、正直さっさと帰ってしまいたい。
 だが、クレープを片手にキラキラした目で辺りを見ている静雄の表情から察するにそれはしばらくできそうもなかった。閉園時間も二十二時と遅いから、まだまだ付き合わされることになりそうだ。
「これだ、次はこれ行くぞ」
「はいはい」
 ゴミ箱すらかわいらしい装飾が施されているほどだ。どこを見ても現実を忘れられる"夢の国"で、確かに人が殺到するのも分からないでもなかった。

 どこもかしこもキラキラとしている。コスプレや奇抜なファッションをしている人が多いのも、そしてそれが変な注目を浴びないのも、この空間だからこそなのだろう。みんなが笑顔になる夢の国だ。臨也にもあの社長の言っていた意味が分かった。
「預かりますよ!」
 クレープのゴミを持ってキョロキョロしていた静雄を目ざとく見つけた従業員が、ニコニコと笑顔で寄って来た。木箱を模したような箱をカートで押しているが、おそらくこれがゴミ回収車だろう。本当に恐れ入る。徹底的に夢の国だ。
「あ、ああ……ありがとな」
「いいえ! 夢の国をお楽しみくださいね!」
「……あ、ちょっと待って」
「はい?」
 そのまま行ってしまいそうになった従業員を、臨也は呼び止めた。
「このパーク内、色んな装飾がしてあるけど、これ、いつもこうなの?」
「いいえ! 今は期間限定のスペシャル仕様です! 今日まででおしまいなのでお客様はラッキーですよ!」
「じゃあ、明日はもう全部取っ払っちゃうんだ」
「はい! でも代わりに通常の装飾に変わりますので、明日からもお楽しみいただけます!」
「代わりの装飾? ふうん……ところで明日っていつ開園なの?」
「朝の八時からです!」
「大変じゃない?」
「いいえ! お客様の笑顔にいつもパワーを貰っていますから!」
「……なるほどね、ありがと。仕事の邪魔をして悪かったね」
「いいえ! とんでもない!」
 従業員は最後まで臨也の質問に答えて、またゴロゴロとカートを押しながら行ってしまった。

 ニヤニヤとその姿を見送っていると、静雄が気味悪そうに臨也を見る。
「なんだ?」
「いや、なんでも。 ……それより早く次に行こうよ。今度はいつ来れるか分からないんだからさ」
 臨也が言うと、静雄は慌てて歩き出す。
 パレードと夜空に打ち上げられる花火までしっかり見届けてから、臨也と静雄はホテルに戻った。




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