[携帯モード] [URL送信]
知らなかった幸せ 後
 波江の言っていたことの意味はすぐに分かった。招待されたのは街の中央にある高級ホテルで、中はまるで別の国に来たのかと見間違うほど様子が違ったからだ。  電気で光るシャンデリアがある。

 柔らかい立派な絨毯が敷いてある。
 ふかふかのベッドとソファ。
 小奇麗なスーツを着たホテルマン。

「……ん?」
 ホテルの室内を物色していた静雄が言った。
「テレビが見れるんだな」
 電気すら普及していないこの国で、このホテルの中ではテレビも電気ポットも冷蔵庫も全て完備していた。当然室内は電気で明るい。
「街の中央のホテルだから、とも取れるけど……」
 臨也が今回この国の滞在を許可されたのは、この街の市長――つまり波江から商品の注文を受けたからだ。つまりこのホテルは他国からのゲストをもてなすためのものだった。街の沽券にもかかわることだから、見栄を張っている。そう言ってしまえばそれまでだが――。
「入るわよ」
 チャイムが鳴ったかと思うと、波江が部屋に入ってきた。相変わらず愛想のな顔で臨也たちに一瞥くれたかと思うと、「そろそろ食事の時間よ」と言う。
「え、もう?」
 せわしないなと思ったが、時間を確認してみると確かにいい時間になっていた。それに気が付くと腹減っているような気がしないでもない。
「ついでに商談もしたいから、荷物を持ってついて来てちょうだい」
「シズちゃんも連れて来ていいの?」
「どうぞ」

 連れてこられたのは、街を一望に見渡せる最上階のプライベートルームだった。
 どんな先進国にも引けをとらないほどの高級で贅沢な調度品。
 運ばれてくる料理も、プロのシェフを雇っているのだろうとすぐに分かる味付けと盛り付けだ。
 臨也が文化がどうのこうのと騒いでいたのを相手にしなかったのも頷ける。文化の発展した国でも、それなりの額のお金を出さなければ食べられないような品の数々だった。
「……なるほどねえ」
 だからこそ、眼下に広がる光景との差が如実に分かる。
「これが"世界一幸せな国"、ってわけだ」
 甘いカボチャのスープを口に運びながら、波江が冷たい目で臨也を見た。

 だいたい分かった。いくら税金をとらずに生活をさせているからといって、ここまでの"後進国"が、普通にしていればずっと"世界一の幸せな国"でいられるはずがない。これがこの国が幸せであるカラクリだ。
 気が付いてしまえば単純極まりない。
「やたらと規制が多いのも納得だ。君達、怖いんだね。あそこで泥をかぶりながら働いてる人たちが、『自分たちは本当に幸せなんだろうか?』って疑問を持つのがさ」
 他国の情報を持ち込ませないのは、他の国がどんな暮らしをしているのか知らせないため。
 他の国がどんなものを着て、食べて、勉強しているのかが分かれば、自分たちの暮らしに疑問を持つ国民が出てきてもおかしくない。
 徹底した鎖国政策は、自国民を世界から隔離するための政策だったのだ。
「他の生活を知らなきゃ、自分たちを幸せだと思うのも納得だ。だってそれが当たり前なんだ。不満が出るわけがない」
「……この国が島国で、良かったと思っているわ」
 周囲を海で囲まれているからこそ可能になる鎖国だ。
 当然この国の国民が海を出ることはない。
 他国からやってくる人間も厳選して、外部の情報も持ち込ませない。
 造船技術も圧倒的だ。戦争を仕掛けようという国もない。
「おや、否定しないんだ」
「否定することに意味があるのならね」
 今度はフルーツのタルトがデザートとして運ばれてきた。甘いものが好きな静雄が顔を輝かせる。
「何も知らない国民が、何も知らないまま自分たちは幸せだと思いながら一生を終える。私たちは彼らからは何も奪わない。ただ、この国の財産で贅沢をさせてもらっているだけ。それだけよ。誰も不幸になってない」
 波江がタルトにフォークを突き刺した。
「そういう国政がこの国はもう何百年と続いてる。誰も疑問を持たず、誰も不満を持たず、誰もが幸せに暮らしてる。そうしているうちに私たちは"世界一幸せな国"を実現した。それとも貴方、まさか私たちにお説教でもするつもり?」
「――まさか!」
 臨也もケーキを口に入れる。上に乗ったフルーツはどれも新鮮で、下のクリームはほんのりと甘くまろやかな味だ。
 下の人間が、××××なんてものをありがたがって食べているのにだ。
「ここまで徹底していれば本物の楽園だ。だって誰も君たちを憎んでない。自分たちを本気で幸せ者だと思ってる。ここに来るまでに会った人たちの顔、波江さんも見たろ? 子どもから大人まで、あんなに幸せそうにキラキラ笑ってる国は大陸にもそうそうないよ。君ら国の人間がどれだけ贅沢をして上等な暮らしをしてようと、あの人たちは自分を本当の幸せ者だと思ってる。だったらその"幸せ"は本物だ」
「…………」
「まあ、俺には些か滑稽に見えるけどね。でも、部外者の俺には関係のないことだ」
 美味しいがあまり好きな味じゃない。臨也は食べかけのケーキを静雄の前におしやった。
「ま、やるなら徹底的にやるべきだとは思うけどね。バレたら一気にマズイことになるだろうし」
「言われなくてもそうするわ」
 波江は熱い紅茶を飲んで一息つくと、それじゃあ、と話を変えた。
「遅くなったけれど、"仕事"の話をしましょう」
「そうだね。 ……ああ、待って、その前に一つだけ確認したい」
 自分の分を食べ終わって、静雄が臨也のケーキに手を伸ばした。
「まさかとは思うけど、もしかして君も……たまには××××を食べたりしてるのか?」
「馬鹿言わないで。視界に入れるのもおぞましいわ」
 キッパリと言い放って、波江は盛大に顔を歪めた。



「――誰も何も知らない、お気楽なクローズド国家。これが"世界一幸せな国"の正体だったってわけか」
 よその豊かさを知らない国。
 よその文化を知らない国。
 自分たちの生活を守る政治家たちが何を考えているのか知らない国。
 そしてなにより、あの国の国民は自分たちの幸せを疑うことを知らなかった。それが彼らにとっての"幸せ"だったのだ。
「まあ、"どっち"がいいのかなんて、誰にも分からないしねえ。やたらと文明が発達してる国は逆に窮屈だし」
「……そうか?」
 帰りの船に乗りながら、静雄は行きで買ったクッキーを食べながら海を眺めている。
 デッキに出てきてしまったせいで体が冷える。臨也は静雄が持っていた袋に勝手に手を突っ込んで、クッキーを一つ口に放り込んだ。
「……うん、まあまあの味」
「だろ?」
 静雄は静かに同意する。
 砂糖を抑えているのか甘すぎず、ほんのりと香ばしい香りが鼻をくすぐる。食べたことのない味だが、確かに美味しい。せっかくなのでもう一枚頂こうかと臨也が袋に手を入れかけたところで、静雄が言った。
「これな、買ったやつから教えて貰ったんだが、××××を干して乾燥させた粉で作ってるんだと」
 ピシッと伸ばしかけていた手が凍り付く。
「んで、そこに××××の体液から取ったエキスを入れてるんだとよ」
 言いながら、静雄はまた一枚クッキーを口に放り込んだ。
「美味いだろ。栄養もあるらしいしもっと食っていいぞ」
「……シズちゃん」
「あ?」
 声が震える。
「なんでそれ言っちゃったの……」
 臨也は両手で口を押さえると、膝からその場に崩れ落ちた。






--------------------
知らなかった幸せ




あきゅろす。
無料HPエムペ!