待ち望んだ先の未来で 後
駅から出てE86ストリートを少し歩くと、セントラルパークの数ある入口の内の一つが見えてくる。ストリートの人通りの多さに静雄が顔を顰めていたが、中に入ると人口密度をぐっと低くなる。
セントラルパークはニューヨークマンハッタンの真ん中にある都市公園だ。公園とは言っても、遊具や出店、馬車まで揃っているから、テーマパークと言ってしまっても遜色はない。景観を重視しているだけあって自然も多い。何よりその広さが特徴だ。一日で全てを見るのは恐らく不可能だろう。何も知らない人間に「ここは一つの街だ」と説明したら、もしかしたら信じるかもしれない。
「天気が良くて良かったね」
入口から十数分歩いて、ようやく芝生の広場が見えてくる。想像より広かったのか、静雄は目を白黒させていた。
「ホントにデケーんだな」
「日本とはスケールが違うでしょ」
快晴とあって、芝生に寝転んで日向ぼっこや昼寝をしている人がたくさんいる。
少し目を滑らせれば、お目当ての桜も見えた。
「あ、良かった。ちゃんと咲いてるね」
日の光を受けてどこまでもキラキラと広がる芝生の上には、たくさんの木の陰が落ちている。湖も遠くには見えて、白い桜の花びらが春を謳歌している。もっと人がいるかとも思ったが、想像していたよりは少ない。多いときは、この広い広場が人で埋め尽くされる。
桜がちゃんと咲いているのは良かった。桜の寿命は短い。つい先日咲き始めたと思ったら、あっという間に散ってしまう。春の短いアメリカならなおさらだった。
「どう? なかなか綺麗でしょ」
「そうだな」
「もっと感動しなよ。見たかったんでしょ?」
「そうだな」
静雄は臨也をチラリと見て、ゆっくりと歩き出した。レジャーシートを敷いて、おしゃべりを楽しむ恋人や家族もいる。
「こんな場所もあるんだな」
「動物もいるんだよ、ここ。リスとかシカとか……」
散策するだけで楽しい場所だ。景観を意識しているだけあって、風景も良い。
"Hey, Chinese."(よう、中国人)
唐突に声がかかった。四十前後と思われる男性二人が、顔を真っ赤にしながらこっちに手を振っている。
"You sightseeing?"(観光か?)
"What about join us?"(一緒にどうだ)
昼間から酒盛りをしているようだ。テンションの高いオジサン2人に絡まれて、臨也は内心苦笑する。
前を歩く静雄は足を止めて、少し困ったように笑った。
"Sorry,Mr. We're Japanese."(悪いな、日本人だ)
"All right, all right......that's the same."(分かった、分かった……同じことだ)
"Hey, come on!"(ヘイ、頼むよ!)
また熱心なお誘いだ。
臨也は敢えて黙っていたのだが、結局静雄がやんわりと断って別れた。
丸くなったなあ、とつくづく思う。昔だったら、この数分のやり取りの間に何度"キレて"いただろう。
こうして季節は巡っていく。こんな風に穏やかに静雄の隣を歩くことを、数年前の臨也が想像できただろうか。
「アイスでも食べる?」
歩き出して暫くすると、アイスクリームを売る屋台に出会った。静雄がじっと見ているのに気付いて、それとなく誘導してみる。
「いや……」
食べたいのかと思ったが、どうやら違うらしい。変な意地を張るタイプではないから、なんとなく見ていただけなのだろう。
「どっか座りてぇな」
「ああ、そうだね」
「どっか……木陰の……」
キョロキョロと静雄が辺りを見る。湖の前の通りにたくさんのベンチが並んでいるのを見つけて、あっちだ、と歩き出した。
セントラルパークは憩いの場としても有名だ。敷地内にはたくさんのベンチがあって、自然の豊かな風景をゆったりと眺めることができる。春夏は花と緑の盛り、秋はパーク内が紅葉し色づいて、冬になるともの悲しさを演出する。
臨也と静雄の前を、ベビーカーを押す夫婦が通り過ぎた。遠くで子供の笑い声が聞こえてくる。後ろの草陰からカサリと音がして、飛び出したリスが目の前を走り去った。 ああ、生きてるなあ。
ここのところ仕事に追われていたからか、余計にそう感じる。深く息を吸い込んで吐き出した臨也に、隣に座る静雄が言った。
「良いトコだな」
「うん。来て良かったね」
「……そうだな」
少し嬉しそうに、静雄が笑った。
もしかしたら、案外、静雄が急に桜を見たいと言いだしたのは、最近忙しかった臨也への気遣いだったのかもしれない。それに思い当たると、なんだか急に気恥ずかしくなった。 そういえば、2人で出かけること自体久し振りだったのだ。
「なあ」
少し強張った声で静雄が言ったかと思うと、何故か急にそわそわしだした。
なに、と聞いてみても、視線をうろつかせて中々次を言わない。
「どうしたの?」
「……て」
「ん?」
「だから、手、繋いでいいか」
「へ」
わざとこっちを向かない静雄の横顔が、真っ赤になっている。
驚いて固まる臨也を横目に睨むと、だから、と語気を強めた。
「手ェ繋いでいいかって聞いてんだよ」
「……あ、え、なんで?」
このタイミングで手を繋ぎたがる意図が分からない。
キョトンと目を丸くすると、静雄は少し苛立ったように臨也に顔を向けて言った。
「手くらい繋ぐだろ。その……こ、恋人なら」
「……シズちゃん」
なんだかもう、びっくり、としか言い様がない。
「どうしたの急に。だって今まで、そんなのしなかったのに」
「それはその、恥ずかしかったんだよ。悪ぃか」
「悪くないけど、なんで今?」
「なんでも何も、デートだろ」
これまた臨也は驚かされてしまった。
「デート? これ、デートだったの」
「……おい」
低い声で言って、静雄は臨也をねめつける。
「俺は、お前と2人で出かける時はいつも、デートだって思ってたんだけどな」
静雄の言っていることの意味が、ようやく臨也にも分かってきた。途端に、じわじわと自分の胸が温かくなっていくのを感じる。
「……俺だけの勘違いだったかよ」
「う、ううん」
勘違いじゃない。
勘違いじゃないよ、シズちゃん。
「でもさ」
「……なんだよ」
「その、人に、見られるかもよ」
広場から少し外れた場所にいるとはいえ、全く人通りがないわけじゃない。現にさっき夫婦が通ったばかりだし、少し視線を逸らせば離れた位置に人が見える。
ニューヨークは数年前に同性婚を認めたばかりだが、だからといって市民全員がそれを許している訳ではない。自由を謳うアメリカの裏には、まだ差別という壁が根強く残っている。
「俺は別にいいけど」
静雄は簡単に切り捨てると、
「お前が気になるなら止めとく」
2人の間に、手を置いた。
シズちゃん、シズちゃん。どっちでもいいなんて嘘だ。家族でも友達でもなく、ちゃんと恋人として、俺は君に好きだと言って欲しかったんだ。
「……今は、誰もいないから」
静雄の置いた手の上に、そっと臨也も自分の手の平を重ねる。じんわりあったかい。こんなおままごとみたいな触れ合いが今さら恥ずかしい。
静雄の顔が見れず、つい俯く。
それでもどうしても気になって横目で静雄の顔をこっそり確かめてみると、静雄も似たようなものだった。どうせすぐにまた人が通る。いや、もしかしたら、今この時も誰かに見られているのかもしれない。
でも、臨也はどちらでも構わなかった。
これは嘘じゃない。
「あ」
急に静雄が声をあげた。
臨也もつられて静雄のほうを見る。
静雄の目線の先に一匹の小さなリスがいて、こちらをじっと見つめていた。
春とはいえ、夕方になって日が落ち始めるとニュートークは一気に気温が下がる。行きは地下鉄を使ったが、帰りはバスを利用することにした。ついでに買い物もすることにする。
"I’m on the top of the world lookin’(私は世界の一番上にいて)
down on creation(この世の全てを見下ろしてる)"
バス停でバスを待っている間、気付けば自然と昨日聞いたばかりのあの歌のメロディーを口ずさんでいた。
静雄はそんな臨也を見て、少し嬉しそうに目を細める。
「なんだよ。機嫌良いのか?」
「ちょっとね」
この歌はこの後、それは貴方がいるからよ、と続くのだ。
「シズちゃん、この歌好きでしょ。最近いつも聞いてるよね」
「まあ」
「良い歌だもんねえ」
ふふ、と笑うと、静雄は少し不思議そうな顔をする。
「なんだよ。マジで機嫌良いな」
「シズちゃん」
「ん?」
「すごいよ、俺……俺、もしかしたら今、世界で一番幸せかもよ」
「なんだよ、大袈裟だな」
さもおかしそうに静雄は笑う。
だって静雄は知らないから。今こうやって臨也の隣にいてくれることが、どんなに奇跡みたいに幸福な事なんだって、静雄にはきっと一生分からない。
だけど分からなくていい。
臨也が今感じている幸せは全て、臨也だけのものでいい。
"Your love’s put me(あなたの愛が私を)
at the top of the world" (世界で一番にしてくれるの)
幸せだよシズちゃん。
たぶん世界で一番ね!
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