死んだ方がマシ 前
まだ昼なのに薄暗い。鬱蒼とした木々が日光を遮断している。
足を踏み出すたびに落ち葉を踏んでいた。地面は腐葉土で覆われて柔らかい。一歩踏み出すごとに靴に土がついて、臨也は顔を顰めた。
「あーもうマジでなんなのここー」
「……暗いな」
「採るもん採ってさっさと帰ろう、こんな場所」
静雄の両手には軍手が嵌められて、透明なゴミ袋が握られていた。中には茶色いキノコが袋の半分程度まで入っていて、静雄はそれを担ぎながら歩いている。
「こんなもんが本当に売れんのか?」
「売れるよお。だからわざわざお金まで払ってこんなとこ来たんだからさ。あ、ほらシズちゃん、そこに生えてるのも採って」
臨也が静雄の足元を指差すと、静雄はその場にしゃがみ込んで茶色いキノコ採ると袋に入れる。
臨也も静雄も今日はジャージ姿だった。この森に入ってからまだ三十分経っていないが、既に体のそこらじゅうに泥や埃がついている。
「くっそー、こんな泥仕事になるとは思わなかった。絶対高い値段つけてふっかけてやるんだからな……」
泥仕事は全て静雄に押し付けて自分は手ぶらの臨也は悪態を吐いていたが、
「あれ、人がいる」
遠くに人影を見つけて、足を止めた。
「人?」
「ほら、アソコ。お仲間かな?」
この山は管理人に使用料を払うことで、ここに生息しているキノコや山菜を狩る権利を得ることができる。臨也と静雄がつけている腕章はその許可証だ。
向こうに見える人影は素直に考えれば遠くに見える人影も臨也たちと同じか、この山の管理側の人間ということになるのだが、見ているとどうも様子が違う。
臨也と静雄はその場に立ち止まって、遠くに見える人影を観察した。
「オイ、アイツ、なんか木にロープつけてねえか」
「そうだねえ」
「なんか靴脱いでねえか」
「そうだねえ」
ロープの先は人の頭が通る程度の輪っかが作られて、それが首より高い位置でブラブラしている。人影はそれを確認してから小さな台をロープの下に持ってきて、しっかりとロープが括りつけられているかどうか確認すると台の上に乗った。
「……オイ」
静雄は臨也を見た。
臨也も静雄を見返して、わざとらしく肩を竦めて見せる。
「死体も腐葉土になるのかな?」
臨也が言い切る前に、静雄はその人影に向かって全力で走りだした。
「あっ、ちょっと!」
放り出されたゴミ袋から、その反動でいくつかキノコが飛び出して地面に散らばってしまった。
「あーあ……」
勘弁してよね、と臨也はその場にしゃがみ込んだ。這いつくばって落としてしまったキノコをまた拾い集めていくためだ。作業は全て静雄にやらせて自分は軍手をしていなかったせいで、キノコを拾うたびに素手にそのまま泥がついてしまった。
忌々しく思いながら両手を払っていると、遠くの方から人の叫ぶ声が聞こえてくる。静雄が今まさにロープの輪っかに首を通そうとしていた人影に飛びかかったのだ。それからまたゴチャゴチャと二人で言い合いをしているのがここからも聞こえてくる。
――こりゃキノコ狩りは中断だな。
大きなタイムロスに、臨也は大きく肩を落とした。
キノコの大量に入って袋を引き摺りながら臨也が静雄のもとに辿り着くと、静雄が知らない男の上に跨りながら口論をしている所だった。
「おいお前、何しようとしてたんだ今!」
「放せ! もう俺のことは放っておいてくれ!」
「何しようとしてたんだって聞いてんだよ!」
「俺はもう死にたいんだ! 邪魔をするな!」
本当だよ。俺のキノコ狩りの邪魔をしないでくれるかな。
「馬鹿野郎! 死ぬとかいうんじゃねえ!」
「あっ!」
興奮した静雄が、思いきり男の顔に一発拳を入れてしまった。ゴキ、と嫌な音がして男が動かなくなる。
あーあーこりゃあやっちゃったな、と臨也はここからどうやって逃げるか考えていたのだが、
「う、ううぅっ……」
意外なことに、男はまだ意識があるようだった。
「うっ、うう……俺のことはもう、放っておいてくださいいぃぃ……」
「――だってよシズちゃん、放っておいてあげよう」
「どうしたんだ。何があった」
男が大人しくなったのを確認してから、静雄は男の身体の上からようやくどいた。
男は地面に伏せったまま、赤く腫れた頬に涙を流し始めている。あれの治療費を請求されたりしたらどうしようか。お金は静雄のお小遣いから出させるとしても、後遺症が残ったりしたら面倒だ。その時はいっそ逃げよう。
「おっ、俺もう、死にたいんです」
仰向けに寝転がったままはさすがに間抜けに見えたのか、静雄は男に右手を差し出した。差し出された手を取って起き上がると、その場に両手と膝をついて泣き始める。
三十手前くらいに見える男だ。身長は高くも低くもないが、こうやってみると筋肉が程よくついてなかなかに体格が良い。一応確認してみたが、やはり腕章はしていなかった。本当に自殺する為だけにこの山に入ってきたようだ。とんだ迷惑野郎である。
「オイ、死ぬとか言うな」
「う……うぅっ……」
「どうした。何があったか言ってみろ」
「だって、だって俺……死んだ方がマシって言われたんですよぉぉ……」
同じ男とは思えないくらい情けなく泣きながら、男は身の上話を語りだした。
学生の頃から"ヤンチャ"で喧嘩三昧の日々を送り、家族にはその頃から迷惑をかけていたこと。人生をやり直そうと就職しては観たものの、全く上手くいかすぐクビになってしまうこと。生活が苦しく借金をしたが、全く返済できる目処がたたず利息ばかりがふくらんでいくこと。
「りょ、両親からは、もう帰って来るなって……妹からも、『お前なんか死んだ方がマシだ』って言われて、家を追い出されて……」
それでいっそ自分から死んでやろうと思った、と男は全く興味の湧かない話をようやく終えた。
チンパンジーの玉乗りでも見ていた方がまだ余興としては面白かった気がするが、男の涙ながらの演説を静雄もまた涙目になりながら熱く聞いていた。「うん、それは死んだ方がいいだろうね」なんで口出しをできる雰囲気ではない。
「俺みたいな厄介者、きっと死んだ方がいいんです……」
「馬鹿野郎!」
泣きつかれたのか弱々しく言う自殺未遂者に、静雄は大声で喝を入れた。
「死んだらもう生き返れねえんだぞ!」
「……ははっ」
思わず笑うと静雄から睨まれてしまって、あわてて口を閉じた。本当なら腹を抱えて笑ってやりたいくらいなのに、どうやら我慢する必要があるようだ。
「家族なんだから、本当に死んでほしいなんて思うわけねえだろ」
「…………」
「きっとアレだ、あの、お前に目ェ覚ましてほしかったんだよ。もっと頑張れって」
「……何そのふわふわした励まし」
「臨也は黙ってろ」
ご希望通り黙ることにする。
「家族だぞ。お前が死んだら悲しむに決まってるだろ」
「そ、そうでしょうか」
「当たり前だろ! ちゃんと謝ってお前が頑張れば、絶対分かってくれる」
うう、と男はまた嗚咽を漏らしだした。
男のくせにすぐ泣くのは鬱陶しい、とアドバイスしてやりたいところだが、静雄に黙ってろと言われたばかりなので口は噤んでおくことにする。
「あっ、ありがとうございます……そんな風に言ってくれたのは、アナタが初めてで……」
「いいから、お前、生きろよ」
「……いいんでしょうか。俺、生きてていいんでしょうか」
「当たり前だろ」
静雄は男に力強く頷いて見せた。
「お前が死んだら、悲しむ奴がいるだろ。だから生きるんだよ」
「うう……ありがとうございますううぅ……」
「……あのー」
頃合かな、と久々に臨也は口を聞いてみた。
二人は全く同じ動作で臨也を振り向く。
「感動的な話をしてるとこ悪いんだけど、そろそろコレ再開していい?」
臨也がまだ半分しかキノコが入っていないゴミ袋を指差すのを、大の男二人がキョトンとした間抜けヅラで見ていた。
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