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人を殺す大義 後

 男の祖国は隣国と十年以上にわたる戦争を続けていた。この森は男の祖国の裏側に広がっていて、ここからの進軍を恐れた国軍が見張りとして男をこの森に配置した。足場も見通しも悪く兵を進められるような森ではなかったが、だからこそもしものことがあると対応できない、という主張だった。
 男はもう五年はこの森に住み続け、森に入るもの全てをその短機関銃で撃ち殺し続けている。一度足を踏み入れれば二度と生きては戻ってこられない。いつの間にかこの森は"殺戮の森"と呼ばれて国民は近寄らなくなり、男は"沈黙の死神"と畏れられるようになっていた。
「俺がこの鐘を鳴らしてたのは、そうしないと俺が死神の獲物になるからだ。いくら君がいるったって、遠くからいきなり狙われたんじゃあ何もできないだろ?」
 チリン、と臨也は腰に付けたベルを鳴らしてみせる。
 これは「敵じゃない誰かが森に入った」という合図だった。
「百メートル以上も離れた位置から、音もない正確なヘッドショット。しかもスコープすらなしときてる。完全に化け物だよ。シズちゃん、君とはまた違ったタイプのね」
「…………」
「あの男は国の英雄なんだ。たった四十人の兵士で、数千人の軍隊を撃退したって武勇伝も残してる。死神が怖いから、敵も迂闊な索敵ができない。敵が張ってた数百人の戦線をたった一人で後退させたって伝説まであるよ。国民栄誉賞ものだ。ヒーローなんだよ。彼の活躍に、何人の国民が抱き合って喜んだと思う?」
 男のもとを離れ、臨也たちは森の出口を目指して歩いていた。
 相変わらず森は鬱蒼としてどこを見ても同じ風景に見える。その上歩きにくいことこの上ない。
「……ヒーロー」
 静雄は臨也の少し後ろを歩きながら、ボソリと呟いた。
「なあ」
「何?」
「アイツの言ってる祖国って、俺達が昨日まで居た国のことだよな」
「そうだよ」
 臨也と静雄は昨日まであの森の奥にある男の祖国に滞在していた。清潔なホテルに泊まって美味しい肉料理を食べ、夜にはなんの騒音もない中で安眠し、朝になると気の良い宿の夫婦に見送られてこの森に来た。
「アイツに殺された奴、軍服なんて着てなかったな」
「そうだね」
 子どもは普通のTシャツにズボン、女性は白いシャツの上にピンクの吊りスカート、最後に見た男は猟師のような恰好をしていた。どれもこれも血と泥がついて汚れてはいたが、あれを軍服と呼ぶには無理がある。
「そんなもん鳴らしてたら、普通はアイツ以外の奴にも気付かれるよな」
「そうだろうね」
 音の良く通るベルを鳴らすということは、当然あの男以外の人間にもその音を聞かれるということだ。たとえばそれを"敵"に聞かれたとして、その敵が親切に臨也たちを放っておいてくれるだろうか?
「臨也」
「何? シズちゃん」
 静雄が立ち止まる気配がしたので、臨也もそれにならって足を止めて振り返った。

「アイツの国、本当に戦争なんてしてんのか?」
「してたよ」

 臨也は言った。
「少なくとも、五年前はね」
「……五年前?」
「でも、それは俺たちには関係のないことだ」
 ゆっくりと言い聞かせるように静雄に言って、臨也はまた歩き出した。
「あの男は頭のネジがイッちゃってる。この森に入る奴を見境なく撃ち殺してりゃあ、そりゃあ外の情報なんて入ってくるはずがない。そもそもこの森は敵の進軍なんて心配しなくていいんだ。森と国の堺には絶壁の崖があるんだから、防衛する必要なんてないんだよ」
「じゃあ、アイツはなんであの森にいるんだ?」
「国軍の天才的なスナイパーだってことも、この森を守るよう言われたのも、あの男の言った通り本当だからさ」
 あの男は嘘は言わなかった。
 ただの一度も、一言も。
「あの男はは元々狩人だったんだよ。そしてその腕を見込まれて軍に引き入れられた。でも、もともと頭がイカレてた奴が人を狙い撃ちする興奮を覚えたらどうなると思う? アイツは国内にいる間だけで自分の仲間を十三人殺した。戦火のドサクサに紛れて、『敵と間違えた』なんて理由でだ」
 そしてそれも、あの男にとっては嘘ではなかったのだろう。あの男にとって、それが"敵"か"味方"かなんてほとんどどうでも良くなっていたのだ。でなければ普通の人間は確認する。自分が今から殺す人間は本当に殺していいのか、殺すだけの言い訳がたつ人間なのか。
 何度も何度もそれを確認して、そして漸く引き金を引くだけの決意ができる。
 普通の人間は、大義名分なしに人を殺せない。

「そんな奴が、戦争が終わったらどうなると思う?」
 人殺しが"英雄"と呼ばれるのは戦争の時までだ。

「俺の本当のお客さんはね、あの男じゃなくて、あの男のいた国そのものだよ」
「……人が死んだぞ」
「定期的にあの森にはよそ者が迷い込む。そしてあの男はそんな生贄を殺す。お国のために。そうだ、そのせいで人が死ぬ。 ――だけど、それがなんだ?」
 臨也は静雄を振り返って笑った。まだ立ち止まったまま動かない。すこし遠くなってしまったその姿に向かって、臨也は話し続けた。
「あの男の国は、自分の国が犠牲になることより、余所者を犠牲にして化け物を追い出すことにした。それだけだ」
 遠く離れた位置からの、寸分の狂いもない正確なヘッドショット。そんな芸当のできる"殺人鬼"がいたら、人殺しを始める前に追い出したくなるに決まっている。
「あの国は、英雄がただの殺人鬼に成り下がるのを見たくなかったんだよ。そう、本人ですらね。でも、それが俺たちに何の関係がある? 俺の仕事は、お客様にご希望通りの商品をお届けすること。そして君の仕事は、そんな俺のお手伝いをすることだ。違う?」
「……いや」
「勿論、君が個人的な感情であの男をぶん殴りたいって言うんなら、俺は止めないけど」
「そんなんじゃねえよ」
 静雄は首を横に振った。
「本当? 何か言いたそうな顔してるけど」
「違うんだよ。ただ、俺は……」
「俺は?」
 静雄は一歩足を踏み出した。
「寂しいんだな、って、思っただけだ」
 ドン、と遠くで音がした。
 あの男がまた"敵"を見つけたのか、それとも射撃の練習でも始めたか――。
 静雄はもう何も言わなかった。だから臨也も言うことは何もない。
「行くよ」
 臨也がまた歩き出すのと同時に、腰につけていたベルがチリンと鳴る。

「――次のお客さんに会いに行こう」
 近くの木からハラハラと数枚の葉が落ちて、森にはまた静寂が戻った。






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人を殺す大義




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