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愛が唄うまで/中編
早朝のうちに目覚めて何も持たずに女の家から出ると、また元のようにその日をやり過ごすための生活に戻った。数日するとその女の死体が見つかったというニュースが流れたが、俺の名前と顔写真まで流れていたのには恐れ入った。これでまた一段と生き難くなった訳だ。だがそんなことはどうでも良かった。また女が夢に出るようになったのだ。あの女だった。これまでと違ったのは、何の光もない静かな目で俺を見てきていたことだ。まるで哀れむような目に堪えきれなかった。だからまた他の女を殺した。殺しても殺しても、女はすぐまた夢に出てくるようになった。明らかに以前よりその間隔が狭くなっていた。だから逃げるようにアルコールで誤魔化すのに、すると今度は自分と父親の姿が重なってまた発狂しそうになる。ろくでなしからはろくでなししか産まれないのだと、そう嗤われる気がする。

眠れない日が何日も続き、不眠と空腹で朦朧としながら街を徘徊した。このまま死んでしまいそうだと思ったし、いっそ死んでしまいたいとも思った。そう思った瞬間糸が切れたように体の自由が利かなくなって、誰もいない夜道に虫のように這いつくばる。どこからともなく臭ってくる腐臭はどこのものだろうか。瞼が重い。眠ればまた女が俺を呪うだろう。だが死ねばそれももう終わりだ。
臨也に拾われたのは、その数時間後のことだった。掠れる視界の中で初めて臨也の顔を見た時の衝撃は忘れられない。見ればすぐに分かるというのは本当だった。訳の分からない殺人鬼を自分の家に匿うところまで似ているのだから笑えない。今でも忘れない「もう一回お兄ちゃんに会いたかったなあ」というのが、あの女のさいごの言葉だった。


俺を拾った男は全くどうしようもない人間だった。本人に言えば鼻で笑ったのだろうが、この俺が言うのだから間違いがない。頭がよく美貌があり、その気になりさえすればいくらでも恵まれた生活を手にできただろうに、その性根がどうしようもなく負け犬だった。俺を自分の家に住ませるのが良い例だ。臨也は倒れていた俺を拾うとそのまま家に置き、妹と同じように食事を与え生活を保証した。この男があの女の兄なのだと思うと俺にはどうしようもなかった。だからセックスをした。初めてであった筈なのに臨也は一度も悲鳴をあげず、泣きもせず、ただ唇を噛み締めながら最後まで耐えた。そこまでしてもまだ俺を追い出そうとしないのだ。正気の沙汰には見えなかった。
臨也が何の仕事をしていたのかはよく知らない。情報屋という俺にはよく分からない物を生業にしていたようだが、とにかく金には困っていなかった。いつもよく分からない高い服を着込んで、高そうな携帯やパソコンを弄っては新しいものに換えていた。俺が知らない物を持っておきながらつまらなさそうな顔をする。有り余るほどのものを持っておきながら一つも満たされていない。俺がいくら暴力を振るっても酒を飲んでもセックスを強要しても、俺を追い出そうとしないのが良い証拠だった。俺を人間の屑だと見下すくせに、そんな俺の言うことを素直に聞くのだ。満たされていないことは明らかだった。

いつまでも臨也の家にいる訳にもいかないのは、俺にも分かっていた。今はいいが、そのうちまた夢に出てくる女に堪えられなくなる。女を殺したくて殺したくて堪らなくなる。そうなったらこの家の金を少し貰って逃げればいい。そう考えていたのに、代わりに浴びるように酒を飲む日々が続いていた。女は夢に出る。俺を呪う。新しい女を殺せばその場凌ぎができることは分かっている。それでもどういう訳かそれができなかった。代わりに酒を飲んだ。酔えば少しは気が紛れるからだ。それでも駄目なときは、どうすることもできずに暴れるしかなかった。目に入るものを全て破壊する。

「シズちゃん、片付けるの手伝ってよ」

臨也は俺をシズちゃんと呼んだ。よくもロクでもない人殺しに向かってそんな呑気な呼び方ができるものだと感心する。臨也がくれた睡眠薬はほとんど役目を果たさなかった。酒がないともう駄目だ。いつか女が俺を殺しに来るだろう。それは何十年もあとかも知れないし、一秒後かも知れない。
だから臨也が俺の情報を女に売ったのだと分かった時は、頭に血が昇って仕方なかった。いつの間にか臨也は俺を裏切らない筈だと根拠もなく盲信していたらしい、と気付いたのもこの時だ。俺も臨也もまともな生き方をしちゃいない。分かっていても、妹の話をされた時は少し怯んだ。だったら俺はコイツに殺されても仕方がないと思った。なぜなら俺は弟を殺した父親を殺した。だから臨也は俺を殺していい。

「君は本当に、どうしようもない、人間の屑だな」

だったら殺してくれないだろうか。あのまま死んで良かった俺を拾ったのは臨也だ。毎日怖くて仕方ない。いつか俺は殺される。酒を飲んで眠りたい。もう女は夢に出てこない。起きている間中ずっと、俺の耳元で呪いの言葉を囁き続けている。

「人でなし」

臨也に言われて悟った。俺は本当に人でなしだ。


それから暫く、臨也は帰って来なかった。もう帰って来ないのかもしれない。それでもいい。どうせ生きていたって仕方がないから、このままこの家で死ぬのもいい。それでも起きているのは怖いから酒を飲み続ける。女が怖い、殺してやりたい。外には幸せな女がいくらでも生きているのだろう。だが俺は一歩も外に出なかった。臨也は俺が捕まるのを恐れていると勘違いしているようだが、そうじゃない。俺はこの家から出るのが怖いのだ。だってこの家には臨也がいるから。
数日後に臨也は帰ってきた。家に残っていた全ての酒を飲んで倒れている俺を、いつものようにシズちゃんと間抜けた呼び方で呼ぶ。久し振りに顔を見ると何とも言えない気持ちになった。ただいまと言ってくれないだろうかと馬鹿な妄想をして、それを殺すために一度瞬いた。このまま殺してくれたって良かった。今なら大人しく殺されてやった。だが臨也は見たことも無いような穏やかな顔をするだけだった。まるで家族のようだとまた馬鹿げた妄想をしてしまいそうになる。どうして戻って来たんだと、それだけは最後まで口にすることができなかった。

臨也は俺を殺さないだろう。妹を殺したのが俺だと知っていても、俺がどれだけ人間の屑でも、人でなしでも。仮に俺が臨也に愛していると語ったところで、誰かが幸せになるなんてありはしない。俺が臨也の妹を殺した事実は消えないし、俺がロクでもない生き方をしてきたことも、これからまともな人生を歩めないことも、その資格もないことも、分かっている。人でなしの俺に誰かを愛することはできない。
もしももう一度生まれ変わることができたら、今度こそまともに生きられるだろうか。そんな不確かな妄想に耽ることしか俺には許されていないのだ。今の俺が臨也にしてやれるのは、もう二度と臨也に関わらないということだけだった。謝ることもできない。許してくれと言っているようだから、俺は許されなくていい。誰かに呪われながら死ぬのが一番良い。

「――それが俺の全てだ」



あきゅろす。
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