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愛が唄うまで/前編

母親は浮気がちな人間で、余所に男を作っては朝まで帰って来ないことが常だった。その内父親は酒がないと生きていけない人間になってしまい、酔っては母親の名前を叫びながら俺や弟に暴力を振うようになった。そんな風だから俺は未だに親の愛というものが信じられない。父親はその内色んな女をとっかえひっかえ家に連れ込んでセックスするようになった。たまに殴るもんだから逃げられて、そうするとその矛先を俺達に向けた。だから俺は女が嫌いだ。死ねばいい。
初めて殺した女は母親だった。知らない男と路地裏でセックスしているのを見付けて、その男に金を貰ってから別れるのを見送って後ろから頭を殴った。何故かと言えば、それは、たまたま近くに調度良さそうな大きさの石が転がっていたからだ。母親は一発では死ななかった。蹲りながら振り返って俺の顔を確認すると信じられない形相で俺を怒鳴りつけたので、仕方なく今度は額から殴りつけて、動かなくなったところで首を絞めた。それで死んだ。死体はすぐに見つかったらしいが誰も悲しまず、大した調査もされないまま忘れられていった。ろくでもない人間はろくでもない死に方しかできない。俺が母親から学んだ唯一だった。

それでも俺が自分の家を「家」と呼んだのは、他でもない弟がいたからだ。こんなろくでもない人間に囲まれていたにもかかわらず、弟だけは奇跡的に普通に育った。優しく真面目で誠実だった。母親の死に涙を流したのは、もしかしたらこの弟だけだったかもしれない。俺は弟だけは愛していこうと思っていた。そうすれば自分もまともな人間になれるかもしれないと思ったのだ。
だが母親が死んでから半年もしない内に弟は死んだ。父親が殺した。口減らしだった。だから俺も父親を殺すことにしたのだ。人の殺し方は心得ていた。母親の時のような調度いい石は見つけられなかったので、仕方なく家にあった包丁を使った。悲鳴を上げるよりも早く、その体に切りつける。父親は胸から引っ切り無しに血を垂れ流すと、やめてくれ、だの、しかたなかったんだ、だのと腰を抜かして情けない命乞いを始めた。それにどれだけの意味があるというのだろう。俺は父親の腹に深く包丁を突き刺して立てなくすると、母親の時と同じように首に手を伸ばした。

「愛してるんだ、静雄!」
「……本当に?」
「愛してるよ! 幽平だって愛していたさ!」

なんだってこんなに無様なのだろうかと、妙に冷静な頭で考えた。それが嘘でも真実でもどちらでももう構わない。どうせ俺にその真偽はつかない。その程度の愛しか知らないということだ。考える俺が躊躇っていると勘違いしたのか、父親は更に言った。

「だからお願いだ許してくれ!」

だったらお前は誰かを愛すべきじゃなかった。これ以上父親が醜態を晒さなくてもいいように、俺は渾身の力で父親の気道を塞いだ。死ぬのに数分かかった。全てが終わってしまうと、なんだか自分という存在まで馬鹿馬鹿しく思えてきてしまった。こんなに下らない人間がセックスしてできた子供が自分なのだ。俺だって相当にくだらない人間であると決まっている。
包丁は綺麗に拭き取って元あった場所に直した。父親の財布と箪笥からなけなしの金を取って、家を出る。そもそも学校なんて行っていない。捕まるのならそれも良いだろう。だが俺が父親を殺して一ヶ月経っても、誰かが俺を捕まえに来るどころか死体すら誰も見付けていないようだった。やっぱり、ろくでなしはろくでもない死に方しかできない。

それからの毎日は、我ながらまあ酷かったとは思う。違法すれすれの安い宿に泊まって、ロクでもない奴等からロクでもない仕事を貰ってその日を凌ぐ。脳味噌が詰まってないのか、こんな俺に擦り寄ってくる女もいた。案の定頭の悪い奴ばかりだったが、適当にセックスする分には都合が良かった。だが自分が段々と親に似てきていることに気が付くと気が狂いそうで、そんな時は気が付くと女を殴っていた。それでますます発狂しそうになるのだ。





父親を殺してから、五年以上の時が流れていた。裏の社会の人間としかつるまなかった俺には自分の身分というものがなく、最早排水溝のネズミのような生活以外の選択肢はなくなっていた。所詮その程度の人生だろう。母親にも父親にも何の感情も持っていないが、弟の事だけは忘れられなかった。こんな兄で申し訳ないとも思った。弟が夢に出るようにもなっていた。親を殺した俺を、静かな目で何も言わず責めるのだ。俺は開き直ることも謝ることも怒鳴りつけることもできず、ただ夢の中の弟に怯えるしかない。だから髪を染めることにしたのだ。顔も声も全く似ていなかったが、髪の色だけは似ていたから。
それでもやはり弟の影からは逃げられない。静かな目で俺を責める。どうして殺したのか、どうしてそんなにロクでもない生き方なのか。ある朝叫びながら目を覚ました。隣を見ると昨日会ったばかりの女が寝ていた。母親に髪の色が似た女だった。気が付くと殺していた。首を絞めるとあっさり死ぬのだ。そして誰も悲しまない。こんなので生きているといえるのか? 笑わせる。

だが一つだけ変化に気付いた。夢に出るのが、弟でなくその女になっていたのだ。どうして殺したのかと無言で俺を睨み付ける。歓喜のあまり夢の中で笑い転げてしまった。だがその内その目にも耐えられなくなる。だからまた次の女を殺す。
どうせロクでもない女ばかりで、いくら殺しても俺が捕まることはなかった。それどころか「自業自得」と女の方が罵られるのだ。中には俺に愛しているとのたまう女もいた。だが現実はこんなものだ。ろくでなしは人を愛する資格すら持っていないのだ。

「貴方、きっと、寂しいんだよ」

そう言ったのは、俺が人殺しだと知って匿う妙な女だった。いや、まだギリギリ少女だったのかもしれない。年齢すら知らないから分からない。その女はなぜか俺を自分の家に住ませて食事まで与えると、満足そうにしていた。俺を恐れることもなく、また何かを求めることもなかった。まるで献身的だった。まともな母親がいたらこんな風だったのかもしれないと、年下のガキを相手に馬鹿げた妄想をしたほどだ。

「私も、分かっちゃうんだよね。家族がいなくて寂しいから」
「……死んだのか」
「そう。あ、でもね、本当はお兄ちゃんがいるんだ。もうずっと会ってないけど」
「ふうん」

不思議とその女だけは殺す気にならなかった。殺そうと思えばいつでもできただろう。だがその気にどうしてもならなかった。都合の良い女だからだろうか。少し一緒に過ごしたくらいで情が湧くほど、俺は人間らしく生きてはいない。実際他の女を殺す気にもならなかった。夢に女が出て来なくなっていたのだ。

異変が起きたのは、その女と暮らし始めてから半年が経ったある日のことだった。夜中にソファで寝ていると女がいきなり俺の体の上に跨って、泣きながら殺してほしいと言い出したのだ。そんな冗談を言う女ではなかった。俺は本気で言っているのかと少し寝ぼけながら言った。女は酒臭かった。酒を飲むような女でもなかった。

「いいんだ、どうせもうすぐ死ぬから」
「……は?」
「そういう病気。もう治らないから。どうせなら殺してほしいな」

いいのかと俺はもう一度聞いた。殺してから夢の中で恨まれては堪らない。だが女は殺してと繰り返すばかりだった。俺はまだ寝足りない頭を引き摺って、女の腕を掴むと体勢を引っくり返す。俺の下で女は大人しかった。だが上手くいくだろうかとぼんやり考えながら女の首に触れると、力を込める前に女は笑い出した。

「なんだ?」
「待って、そうだ、私、実はまだ処女だった」
「ああ、そうかよ」
「ねえねえ、だからさ、分かるでしょ」

さすがの俺も少し迷った。というのもこの女から性的魅力を感じたことはなかったし、何よりさっさと寝たかったからだ。それはあっという間だったが、今までの中で恐らく一番慎重だった。それでも最中に女は泣いた。どちらの理由で泣いているのか俺には分からなかったし、またどちらでもいいことだった。全てが終わると、俺はその女を殺すことにした。女は全く抵抗しなかった。この日の為だけに、この女は俺を飼っていたのだろう。

「うちにあるお金、全部持って行っていいよ。もう誰のものでもないから」
「そうか」
「気が向いたら、私のお兄ちゃん探してみてよ。私にすっごく似てるの。会えばきっと分かるよ」
「……気が向いたらな」

俺はできるだけすぐ終わるようにその女を殺した。その女がきちんとした身分持ちだと知ったうえで、体を隠すこともせずそのままにしておいた。いつか見つかるだろう。この女から俺の存在も炙り出されるに違いない。それでも別に良かった。その日は女の死体と一緒に寝た。



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