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たぶんさよなら/後編
臨也の準備した原稿にはケチのつけどころがどこにもなく、静雄は何もしないままにプレゼンは成功した。講師の反応を見ても、かなり出来のいい発表だったのだろう。素晴らしかったといくら賛辞の言葉を送られても静雄は気まずいだけだったが、肝心の臨也も少しも嬉しそうな顔はしなかった。

「確か頭も良いんだよ、折原君」

その時の話をすると、新羅は特に驚く様子もなくそう言った。

「確か前期の成績は全部Aだったらしいよ。学年主席も彼なんじゃないかな」
「……マジかよ」
「だから君と組まされたんじゃない? ほら、補欠合格のお馬鹿な君と学年主席の彼ならちょうど釣り合いもとれイタタタタ! 冗談ですごめんなさい!」

初めて言葉を交わしたあの日以来、なんとなく臨也の隣で授業を受けるのが静雄の常になっていた。臨也は何も言わないが、初めの頃のように隣に座っただけでビクつくこともなくなったように思う。何より、静雄が隣に来ると必ずヘッドフォンを外すようになった。

「お前、いつも何聞いてんの?」
「……色々」

何より、以前よりかなり目が合うようになったし、喋るようになったと思う。一緒に昼食をとることも珍しくなくなった。学食は騒がしくていやだと臨也が言うから、キャンパスを少し出た庭園のベンチに座ることが多い。
臨也は見た目も良く頭も良かったが、酷く人付き合いが苦手だった。逆に言えば、ただそれだけのごく普通の人間だった。好きなものを食べている時は嬉しそうな顔をするし、授業中眠そうに目をこすることもあるし、人混みはうるさいからと嫌がる。他人が嫌いなのかと思ったこともあったのだが、むしろ人間は好きなのだと否定された。

「ただ、苦手なんだ……どうすればいいのか分からなくて。本当は、皆にもっと近付きたいんだけどね」
「どうって、普通にしてりゃ良いんじゃねぇの?」
「そうだね。そうなんだろうけど」

言葉を濁すような言い方に苛立ったが、責めるようなことはできなかった。いつもヘッドフォンをしているのもそれが原因らしい。
雑音が嫌なのだと言っていた。同時に、誰かと必要以上に関わり合いを持つのも、酷く億劫らしい。ならば静雄はいいのかと問うと、君ならいいよ、と恥ずかしそうに答えてくれた。それは少し嬉しかったかもしれない。誰とも交流を持とうとしない臨也に唯一認められたようで、優越感のようなものがあった。

「そのヘッドフォン、外さねぇの?」
「……うるさいから」

静雄の声はうるさくないのだと暗に言われているようで、ほんの少しばかり嬉しかったのを覚えている。


うちに遊びに来ないかと誘われたのは、季節も移ろった冬休み開けだった。学校外で臨也と会うのは初めてで少し戸惑いはしたものの、断る理由もなくその日の授業が全て終わった後ついて行った。

「何もないけど」

それは普通の家だったと思う。必要以上に物もなく、学生の一人暮らしには相応しい一間のアパートだった。綺麗に片付いているというよりモノがない。棚に整理して置かれた大量のCDだけが、この部屋の唯一の娯楽品のようだった。
小さなテーブルに広げられた教科書とノートが出しっ放しになっていて、慌てて臨也が片付ける。

「そういやお前、頭良いんだったな」
「うちはあまりお金がないから」

だから奨学金を貰う必要があるのだと笑った。

その日は特に何をする訳でもなく、二人で買い物に行って鍋を食べて、少しばかりの酒を飲んだ。静雄も臨也もあまり饒舌なわけではなかったが、だからこそ同じ空間にいるのが心地よく、気まずい思いをすることもなく時間は過ぎていった。
あまり飲めないらしい臨也は、少し飲んだだけですぐに顔を赤くした。からかってやると拗ねたようにそっぽを向くのがかわいかった。臨也は不思議な魅力を持つ人間で、言葉少なくとも静雄は自然に惹かれていった。それはもしかしたが、美貌と言っていいその顔立ちも要因の一つだったのかもしれない。

臨也は本当にたくさんのCDを持っていた。クラシックからロック、洋楽も邦楽も関係ないようだった。無節操だったのかもしれない。今思えば、多分外からの雑音を消してくれるなら何だって良かったのだろう。

「お前本当に、色んなCD持ってんのな」
「……それしか、暇つぶしがなくて」

聞けば作曲もするのだという。聞かせてくれとせがんでみたのだが、恥ずかしいからと最後まで首を縦に振ってはくれなかった。
それからまた暫く雑談をして、終電を逃す前に、部屋の片付けを終えてから静雄は立ち上がった。どうせ食べきれないからと、臨也は食べきれなかった食材をいくらか持たせる。

「泊まっていかない?」
「いや、まだやってねぇレポートがあるから」
「そう」

答えた臨也の顔は寂しそうにも見えた。だがもうそれを確認する手段はない。





その次の日から、臨也は学校に姿を現さなくなった。静雄以外の友人を持たなかった臨也の所在を知る人間は誰もいない。臨也の連絡先も知らなかったことに静雄が気付いたのはこのときだった。講師に聞いても誰に聞いても、臨也のことなんて知らないと言う。名簿から名前も消えた。
だが暫くすると、どこからともなく「折原臨也は売春のようなものをやっていて、それが学校にバレたから退学させられた」という噂が流れ始めた。教室の片隅で、まるで昨日あったドラマの話をするみたいに囁かれる。

「ほら、アイツって変わってたけど、顔は綺麗だったじゃん」
「えー、でも、ありえなくない?」
「いやいや、あんな奴ほど、裏で何やってるか分かんないんだって。前から色々言われてたし」

ガンッと小さな教室中に響く音がして、今度はシンとした沈黙が下りた。机にぶつけた拳が痛む。怒鳴り散らしたくなる衝動をギリギリで抑えて、静雄は無言で立ち上がった。

「ひっ」

小さな悲鳴があがる。一々怒るのも馬鹿らしい。静雄は教室を出て、いつも臨也と行った庭園に一人で向かってベンチに座ると、自分の情けなさに涙が出そうだった。
憶測ばかりの噂がいくら飛びかっても、それがどれだけ臨也の尊厳を傷付けるものでも、静雄ではその一つも否定する言葉が出てこない。勝手に一人で優越感に浸っていただけで、静雄は臨也のことを何一つ知らなかったし、分かろうとしたこともなかった。耳を塞ぎたくなる。好きなことばかり言う他人がうるさくて堪らない。今頃分かったってもう遅いのに。

『君ならいいよ』

本当に良かったのだろうか。それはただの強がりではなかったのだろうか。だがもう臨也はいない。あの噂も本当なのかもしれない。それを否定できるほど静雄は臨也を知らない。
だが思うのだ。臨也はいつだって静雄に嘘をつかなかった。奨学金を貰うために勉強していたのも、人ともっと関わりたかったのも、静雄の言葉にだけは耳を塞がないでくれていたことも。他人からどんな噂で飾り立てられたとしても。

『本当は、皆にもっと近付きたいんだけどね』

それが本当の臨也だ。













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たぶんさよなら


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