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たぶんさよなら/前編
※大学生パラレル





初めて臨也と言葉を交わした日のことは、今もまだ鮮明に覚えている。

同じ語学のクラスに変な人間がいた。艶のある黒髪に丸い輪郭、すっと通った鼻筋に小さめの口。一言で言うなら雑誌から抜け出たモデルのような美形で、なのにいつもヘッドホンで両耳を隠して必要がなければ一言も言葉を発しようとしない、そんな奇妙な人間だった。そんな風だったから友人もいないらしく、いつ見たってポツンと一人で席に座っている。今年の春から大学生になってもう半年以上が経つというのに、だから静雄はその男の名前が折原臨也というらしいと知ったのはつい最近のことだった。

「ああ、知ってるよ、折原君。有名人だ」

静雄も友人の多いほうではない。その数少ない友人の内の一人である岸谷新羅は、学食のうどんを啜りながら静雄の話に相槌を打った。

「確かすごいイケメンなんだよね。よく女の子たちが噂してるのを聞くよ」
「でもアイツ喋んねえよ」
「変わってるって噂も聞く。いつも音楽聞いてるみたいだし、他人に興味がないのかもね」
「ふうん」

初めの頃はクラスの女性陣も見た目の良い臨也となんとか仲良くなろうと必死だったと記憶している。だがいくら話しかけてみたって、臨也は口を開くどころかろくすっぽ視線すら寄越さない。その内女のほうから諦めて、おまけに男からもやっかみを買ったもんだからクラスからはほぼ完全に孤立している。
静雄自身もそこまで社交性のある方ではないから、そんな折原臨也のことを遠巻きに眺めこそすれ、自ら関わろうとは露ほども考えていなかった。なのになぜこんな時期になって臨也のことを話題に出したのかと言えば、奇しくもその英語の授業のグループ学習でペアになってしまったからだ。

課題は経営についてのプレゼンだった。内容自体はそこまで問われないが、英語でのスピーチが要求されるから厄介だ。いつもだったらこういう時は高校時代の同級生でもある門田と組むのだろうが、今回はなぜか講師のほうから勝手にペアを組まされてしまった。あの時のクラスメイトからの哀れみの視線は忘れられない。恐らく一番面倒な人間と組まされてしまった。会話すらままならないのに、どうやって課題を進めればいいのか分からない。事実、前回の授業でも臨也は一言も口をきかなかった。静雄がキレるのも時間の問題だ。

「キレたら余計に収拾がつかなくなっちゃうよ」
「うっせえ」
「まずは折原君と仲良くなるとこから始めないと駄目だね」

なぜそんな小学生のようなことをしなければならないのだろう。他のクラスメイトは比較的社交的な人間が多いのに、静雄は自分の不運を恨むしかなかった。





まずは新羅の言う通り、折原臨也と少しでも親睦を深めるところから始めなければならない。少なくとも会話くらいは成り立たせなけれはお話にならない。週に二回ある英語の授業で、静雄は教室に入ると脇目もふらずいつも空いている折原臨也の隣の席にドッカリと腰を下ろした。静雄の行動に周囲の視線が集まるのが分かる。だがそれを一々相手にしている暇はない。

「よお」

少し驚いたらしく、臨也も静雄をチラリと見た。だがまたいつも通り何も言わないまま視線をそらしてしまう。イライラする感情を無理やり押さえつけながら、静雄は臨也の両耳から無理やりヘッドホンを剥ぎ取った。

「よお、つってんだ。聞こえてるか?」
「…………」
「聞こえてるかって言ってんだよ」

いよいよ周囲の視線が集中し出して、静雄も少し声のトーンを落とした。臨也は状況が呑み込めないという目で静雄を見ている。少し予想外の反応だ。もっと冷めた反応をされると思っていた。

「おいコラ、まさかまだシカトする気じゃ」
「き、聞こえてる……」
「……なんだ。ちゃんと喋れんじゃねえか」

初めてまともに声を聞いた気がする。高くも低くもない、不思議と耳に馴染む声だった。臨也は静雄のほうに顔をやると、ぐるぐると忙しそうに視線を彷徨わせて、それから膝の上に置いた自分の拳に目を落とした。一応顔だけはこちらに向けているから、話を聞く意思はあるのだろう。静雄は苛立つ気持ちをなんとか押し殺した。

「お前、今日の昼は暇か?」

え、と臨也が再度静雄を見た。だがすぐにまた視線を落として黙り込んでしまう。今日の昼だよ、ともう一度言ってやると、もごもごと何か言いたそうな素振りは見せるものの、結局は何も言わずに沈黙する。静雄も大分我慢の限界だった。いっそひと思いにハッキリしろと怒鳴り散らしたかったのだが、新羅の「キレたら余計に収拾がつかなくなる」という言葉を思い出して、なんとか踏み止まった。

「課題のプレゼンについて話があんだよ。無理なら無理って言え」
「……あ、いや」
「あ?」

ハッキリしない態度に語気も荒くなる。怯えたように臨也が肩を跳ねさせたのを見て、静雄も自分の態度を反省した。なにも、臨也に喧嘩を売りたくて話しかけたわけではない。

「……悪い」
「いや、その、俺……大丈夫」
「あ?」
「だから、昼」
「……ああ」

脅したような形になってしまったのは不本意だが、あまり時間もないので四の五のは言っていられない。じゃあ頼むわ、と言うと一度だけ頷いて、それからまた一言も喋らない。沈黙も手伝って、臨也から奪ったヘッドフォンから、シャカシャカと音楽のようなものが聞こえてきた。そういえばいつもこれを着けているが、一体何を聞いているのだろうか。会話の糸口になるかもしれないと静雄が口を開きかけると、そこで講師が入ってきてしまった。

その日は初めて臨也の隣で授業を受けた。姿勢正しく授業を受ける臨也は至極静かで、まるで隣には誰もいないのではないかと馬鹿らしい錯覚すらした。盗み見た横顔のラインは綺麗で、視線はひたすらに板書される文字を追っていた。たまに教科書に走り書きのようなメモをして、かと思えば退屈そうに欠伸をする。
折原臨也は思った以上に普通の人間だった。必要以上に言葉を発しないことを除けば、人間味のあるありふれた学生だった。そんな当たり前のことが静雄には今さら新鮮で、ある種の感動すら覚えていた。


学食で生姜焼き定食を頬張る姿さえ、どこにでもいる普通の学生そのものだった。

「お前、プレゼンの内容とか考えてたか?」

英語の授業が終わった後は昼休みに入るため、静雄は臨也を連れてそのまま混雑した学食へ向かった。一度は無理やり取り上げたヘッドフォンを既に着用している。授業中を除いて、臨也は必ず両耳にヘッドフォンを欠かさなかった。

「……え?」
「だから、人と話してる時くらいはそれを取れ!」

人の趣味にアレコレとケチをつける気はないが、やはり話している最中にもつけられると多少なりとも不愉快だ。身を乗り出して正面に座る臨也からまたヘッドフォンを奪ってやると、臨也は呆気にとられたように目を丸くした。

「いいか、俺と話してる時は着けるんじゃねえ。聞こえねえだろうが」

ぶんぶんと臨也は首を縦に振る。また脅してるようになってしまった。思わず舌打ちすると、臨也は委縮するように首を竦めた。その姿が喧嘩した後の落ち込んだ弟と重なって、今度は静雄を罪悪感が襲う。全くやりにくい相手だった。

「で、お前、プレゼンの内容は考えてたか?」
「……あの、ごめん」
「だよなあ」
「俺が、一人で全部まとめちゃった」
「……は?」

今度は静雄が呆気にとられる番だった。何故か申し訳なさそうに視線を彷徨わせる臨也は、コレ、と静雄に三枚のプリントを渡す。軽く目を通してみたが、どうやら今度のプレゼンのレジュメのようだった。スピーチ原稿も兼ねているのか全て英語で書いてあって、静雄は更に驚く羽目になってしまった。



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