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恋人たちのクリスマス

カラン、と氷がグラスにぶつかる音がする。何の気なしにストローで中身をかき回すと、カフェ・オレの茶色と白がグラスの中でぐるぐると混ざっていく。少し寒いかな、と臨也は呟いてみた。本当はそんなこと少しも思っていなかったのに、なんだか意味のない嘘を呟いてみたくなったのだ。

「ん、そうか?」

分かっていないくせに、静雄はまるで分かっているかのような返事をくれる。臨也の言葉を聞いてるんだか聞いてないんだか分からないような曖昧な相槌を打って、自分はまだ温かな湯気の登るミルクティーに口をつけた。





青かった葉が紅葉して、かと思えばひっきりなしに枝からパラパラ落ちて、ストリート一面に絨毯を敷く季節だ。そろそろ肌寒くなってくる頃で、薄手のカーディガンだけではまだ身震いする。トイレットペーパーとオリーブオイルが足りなくなっていることに気が付いたのは今朝のことだ。たまたま二人ともオフの日だったから、午前中からこうして買い物がてら出かけている。寒い寒いと言いながらようやく見つけたカフェに入って、今はひと息ついている頃だった。

「こっちの冬って本当に寒いから嫌になっちゃうよ。ね、新しいマフラーも買おうか。俺が君の分も見繕ってあげる」
「お前、前にあっちで来てた服はどうしたんだ? アレあったかそうだったじゃねーか」
「やめてよ。この年じゃもう似合わない」
「寒いならそんなもん頼むなよ」

カラン、とまたグラスの中で氷の音がする。外は乾いた寒さに辟易するが、そんなこと言ったって店の中に入ったらむしろ暑くなってしまったのだ。むっつりと黙った臨也に静雄はやれやれと息を吐いて、左手に付けた腕時計に目を落とした。その薬指にはシンプルな指輪が嵌められている。

「それ飲んだら出るぞ」
「どこ行くの?」
「マフラー、買うんだろ」

言いながら静雄もまたミルクティーに手を伸ばす。変わったなと思う。それはきっと、臨也自身もそうなのだろう。

静雄と臨也が同居を始めてから半年近くが経った。今臨也の指に嵌まっている指輪をつけた日からずっと、静雄に直接的な甘い言葉を貰ったことはない。肉体関係もなく、実を言うとキスもまだない。だがそれでも臨也には少しの不満も不安もなかった。何を言ってくれなくとも、触れられることがなくとも、今もまだ静雄がそばにいてくれることが既に堪らなく幸福だったからだ。臨也を見る静雄の目は酷く穏やかで優しい。日本にいた頃には想像もできないようなことだ。これ以上何かを望んだら罰が当たるというものだろう。
日本が恋しくはならないのだろうか、と考えたことも何度かある。臨也でさえいまだに日本に未練がある。だが帰りたいと思うかと問えば、今の静雄なら間違いなく「そんなことはない」と言ってくれるだろう。だが臨也と違って、静雄はたくさんの大切なものを日本に残してきたはずだ。それを分かっていてそんなことを聞くのはずるい。その中のどれよりも臨也のためにここまできてくれたことは本当に嬉しいのだ。ただ、たまに無理をさせているのではないかと罪悪感を感じることはあった。だが臨也がまだ日本に戻る決心がつかないいじょう、それは考えるだけ無駄だった。

「……ああ、そうか」

マフラーを求めて、良さそうな店にふらふらと入る。アメリカならではの派手な柄が揃う中に鮮やかな緑と赤のコントラストを見つけて、静雄はようやく合点したように呟いた。

「そろそろクリスマスなのか」
「まあ、まだ2ヶ月は先だけどね」
「お前欲しいもんとかあんの?」

クリスマスプレゼントの話をしているのだと気付くのに数秒かかった。静雄がこっちに来てから初めて迎えるクリスマスだったから、まさかそんなことを言って貰えるとは思わず声を失ってしまった。そういうイベントごとにはあまり関心がないほうだと思っていたし、そもそもクリスマスの前に静雄の誕生日なのだ。ぶっちゃけるとそっちの方に気を取られていて、クリスマスのことはまだ先延ばしにしていた。

「あ、ああ、えーっと」
「俺もようやく仕事決まったし、そんなに高いのは買えねえけど」

アメリカに来たばかりの静雄が決まったに仕事を見付けるのに4カ月かかった。英語もまだ完璧ではなかったし仕方のない部分もあったのだがやはり焦ったらしく、小さな出版社に仕事が決まった最近はどこか機嫌が良かった。日本人作家の本も翻訳して出版している会社だから、その仲介ということなのだろう。実は翻訳業もしている臨也の口添えもあったことは秘密だ。
ただでさえ収入面で臨也にコンプレックスを抱いているようなのに、そんなことを知られれば落ち込ませてしまう。というか多分怒られる。それは嫌だ。

「そうだな、でも……別に、物はいらないかな」
「……まあ、お前は欲しいものは何でも買えるからな」
「そうだけど、そうじゃなくて」

少し拗ねたようになった静雄の口調に苦笑しながら、近くにあった灰色のマフラーを静雄の首に当てる。変なわけではないがあまり似合わない。明るいオレンジのマフラーは既に持っているから、深いネイビーブルーあたりがいいかもしれない。

「そばにいてくれたら良いよ。本当にさ」

今度はまた近くにあったエメラルドのマフラーをあてる。服のせいもあるかもしれないがなかなか似合った。照れくさそうにしながらも黙ってされるがままになっている静雄を見ると、また自然と笑みがこぼれる。

「俺がとびっきりの料理を用意してあげるから、一緒に食べようよ。美味しいシャンパンもあけてさ。勿論ケーキも」
「お前が作るのか?」
「……それでもいいけど」

日本にいた頃よりは、臨也も大分料理が上手くなったと思う。静雄があれやこれやと小言を言うものだから、嫌いな野菜も食べるようになった。今思えば、あの頃の自分達は随分と若かった。今の臨也にはあの頃みたいな大胆な行動はできないだろうし、今の静雄にはあの頃みたいに臨也だけに向き合うほどの我武者羅さはないだろう。でも、だからこそ今こうやって一緒にいられるのだろうとも思う。
二人とも年を重ねて、少しずつ心に余裕も持てるようになって、こうやってこれからも一緒に年をとることができればそれが一番のプレゼントだ。ずっと先まで一緒にいたいと思う。そんな風に思える人に出会えただけ臨也は幸せだ。きっとまだ恋をしているのだろう。静雄の持つそれが既に家族愛のようになっているとしても、それでも臨也は今も静雄に恋をしている。

「何か買い忘れはある?」
「いや、ない」

静雄にはエメラルドのマフラーを買って、臨也はねずみ色の手袋を買った。他にも調子に乗って色々と買い物をしてしまったが、自然と臨也の分まで荷物を持つ静雄を見ると何とも言えないむず痒さを感じる。確かに静雄のほうが腕力があるのは確かだが、臨也だって男であることは変わらないしそんなに気を遣う必要はない。かといってその厚意を嬉しく感じる自分もいて、結局は何も言えず甘えていた。だから臨也には不満や不安を感じる隙がない。

「やっぱり、外に出ると寒いね」
「さっき手袋買っただろ」
「まあそうなんだけど、出すの面倒臭いしさ」

本当は手を繋ぎたい。こういう時、男同士の不便さを実感せざるを得ない。いくらここが同性婚を認めるニューヨークだとはいっても、それはここに住まうすべての人間が同性愛に理解があるということではない。ただでさえアメリカはキリスト教の国だ。教義が同性愛を禁じるというなら、それはこちらも理解すべきだった。そうでなくたって生理的に嫌悪感を抱く人間はいるだろうし、好奇心だけで揶揄する人間も少なからずいる。そんな中に静雄を放り込みたくはない。

「こっちの冬は寒いんだろうな」
「日本とは比べ物にならないよ」
「マジかよ……。雪も降るんだったか」
「そうだね。こっちはまだマシな方だと思うけど」

アメリカの冬は寒くて寂しい。日本の寒さとは全くの別物だし、日本のように一日中営業しているコンビニがそこらじゅうにあるわけでもない。土地のわりに人間も少ないから、外に出るのが億劫な季節になればあっという間に外の風景から人間はいなくなってしまう。こっちに来たばかりの頃は驚いたものだ。東京が狭すぎたのだろう。狭いくせに人の数ばかりがやたらと多くて、今思えば息苦しくて仕方なかった。常に誰かに見られているような気がして、そのくせ誰も臨也なんて見ていなかった。


家に帰っても、まだ日は落ちていない。アフタヌーンティーの時間だった。臨也達にそんな習慣は勿論ないけども。

「お腹空いてない?」

ランチも食べずに帰ってきてしまった。静雄はソファの上で本に目を落としていたが、顔を上げて飲んの少し首を傾げる。珍しく眼鏡も掛けていた。

「あー、そういや昼飯食ってねぇな」
「なんか食べる?」
「そうだなぁ……」

年のせいなのかそれとも運動量が減ったのか、静雄は日本にいた頃よりずっと食べなくなった。これは仕事柄かも知れないが、代わりに本をよく読むようになったと思う。いまかけている眼鏡も、昔は持っていなかった筈だ。

「今日は何を読んでるの?」
「再来月出版する本の試し刷り。ガキ向けらしいけどよく分かんねぇ」

辞書を片手に必死に児童書を読む静雄は見ていて微笑ましい。臨也もそこまでお腹が空いていたわけではなかったので、静雄の隣に座らせてもらうことにした。眼鏡の奥の目が活字を追っている。かつてなかった目尻の皺を見ると、臨也はなんだかそれだけで嬉しかった。

「面白い?」
「いや、正直よく分からねえな。子供が読めば面白いのかもしんねえけど」
「それも仕事?」
「英語の勉強になるからって、同僚から貰った」

喜ばしいことに、静雄は仕事仲間に恵まれたようだった。昔のように力のコントロールができないわけでもないし、怒りを圧倒的暴力で見せつけることもない。元来は大人しくて平和主義な性質だから、そうなれば人間関係で特別困ることもないのだろう。アメリカは思ったことをストレートにぶつける国だが、静雄にはそれが逆に良いらしい。思えば曖昧な言い方を許さない性格だった。

「仕事と言えば、いくつか翻訳を頼まれてたな」
「頼られてるじゃん」
「お前に恥かかせらんねぇからな」

チラリと横目で臨也を見ていやらしく笑う静雄を見て、臨也もようやくバレていたのだと気が付いた。思わず視線を彷徨わせて言い訳を探していると、堪えきれずに静雄が噴き出す。

「なんだよ、バレねーとでも思ってたのか」
「う、だって……」
「んな焦らなくても怒らねぇよ」

本を捲る手を止めて、静雄は臨也の頭に手を乗せた。

「俺のためなんだろ。ありがとな」

本当に変わってしまった。臨也の方ばかり取り残されているような気がしてそれはあまり嬉しくないのに、なんとなく顔が熱くなるのは止められない。ここで何一つ言い返すことのできない臨也もまた、変わったということなのだろう。また本に没頭し出した静雄を軽く睨んで、臨也は立ち上がった。お腹が空いたという訳でもないが、パンケーキでも作ろう。

「コーヒー飲みたい」
「はいはい」
「それからお前、クリスマスに仕事なんかすんなよ」

思わず振り返って静雄を見たが、まだ本に目を落としたままだった。それが照れている証拠でもある。まだ2ヶ月も先の話だというのに、こっちに来てから初めてのクリスマスに浮かれているようだと気付いて、臨也はなんだか嬉しくなった。アメリカではクリスマスは恋人というよりは家族と過ごすものなのだが、野暮な気がして黙っておく。

「クリスマスに仕事なんかしてたら、こっちではクレイジーだと思われるよ」

そうか、と静雄は言う。その声がどことなく嬉しそうに響いて、臨也はたまらず笑ってしまった。













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恋人たちのクリスマス(それは口実でしかないのだけど)


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