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君の一番ほしいもの

「はい、プレゼント」

放課後の誰もいなくなった教室でのことだった。暖房も切ってしまっていて室内でもまだ寒い。静雄は新羅の差し出した剥き出しのマフラーに目を落とした。深い緑色をした高級そうな毛糸のマフラーだ。

「……何のつもりだ?」
「何のつもりもないよ。ただのプレゼント」

ぐいぐい静雄の胸元に押し付けてくる。あの新羅がどういうつもりなのかと正直ちょっとばかり不気味だったが、今使っているマフラーは大分くたびれてきてしまっていて調度新しいものが欲しいと思っていたところだったので、大人しく受け取っておいた。


新羅がどういう意図で静雄に寄越したのかは分からないが、そのマフラー自体はかなり重宝した。落ち着いた深緑は静雄の好みにも合ったし、防寒としても十分な役割を果たした。一年の冬はこれで過ごし、二年生の冬になっても愛用していた。変化が訪れたのは、二年の冬休み明けのある日のことだ。

「それ、気に入ってくれたみたいだね」

廊下で偶然鉢合わせた臨也が言った。いつものようにいけ好かないニヤけ顔だった。

「嬉しいよ。結構高かったんだ」
「は?」
「大事に使ってよね」

それでようやく静雄は悟った。おかしいと思ったのだ、あの新羅が意味もなく静雄にプレゼントなんて寄越すはずがない。思い返してみれば、確かにあの時の新羅はこれが自分からのプレゼントだとは言わなかった。だがわざと言わなかったのに違いない。

分かってしまうと怒りの矛先は臨也よりむしろ新羅にいった。ニヤつく臨也を無視して新羅の教室に乗り込むと、どういうつもりだと真っ先に詰め寄る。だが新羅はいつもの飄々とした態度を崩さなかった。

「何を怒ってるのか知らないけど、どういうつもりもない、ただのプレゼントだよ」
「アイツが?」
「君のその驚いた顔が見たかったってとこだろ。何の仕掛けもないし、気に入ったなら問題ないじゃないか」

咄嗟に押し黙ってしまって、そんな静雄に新羅は「そうだろ?」と念押しまでする始末だった。そういうことじゃない。あの折原臨也が静雄にただのプレゼントを寄越すだなんて、気味が悪くて仕方がない。

「……アイツに借りを作ったみてぇで、気持ち悪いんだよ」
「じゃあ君も何かプレゼントしてあげれば? それでイーブンだろ」
「なんで俺が……」
「それかそのマフラーを本人に突っ返せば良い。まあ、そういう問題でもないんだろうけど」

事もなさげにそれだけ言って、新羅はその話からとっとと手を引いてしまった。ぐっと言葉に詰まってしまって新羅を睨み付けるが、それで現状が打開される訳でもない。思わず舌打ちをした。
新羅の言った通り、これを臨也に突っ返して、それでこのモヤモヤが晴れるわけではない。臨也からのプレゼントだというこのマフラーを、静雄はもう十分すぎるほどに使ってしまった。自分の教室へと戻る途中、壁に寄りかかりながら廊下に突っ立った臨也と目が合った。意地悪く吊り上る口元が腹立たしくて仕方ない。全く厄介なことになった。いっそ殺してやりたかった。

やるなら同じ条件でだ。家に帰って改めて深緑のマフラーを睨みながら思う。つまり、今臨也の欲しがっているものをあげなければイーブンにはならない。これを新羅から受け取った時、確かに静雄はマフラーが欲しかった。偶然だとは思わない。あの男のことだから、それもきちんと把握した上でこんなものを静雄に寄越してきたのに違いない。
性格の悪い男だ。だから今更捨てることもできないし、かといってこれをまた身に付けるのも憚られる。迷った末に結局クローゼットの中に仕舞い込んでしまった。再び身に付けることはもう二度とないだろう。

「ねえ、そういえばこのマフラーどうしたの」

服を貸してほしいと言って部屋に入ってきた幽が言った。クローゼットの中を探していたら見つけたのだろう。放り込んだまま一度も身に付けることも捨てることもなく仕舞われているマフラーを手に取って、静雄のほうを振り返った。

「すごく高そうだけど」
「……ああ、貰ったんだよ」
「へえ。でも最近つけなくなったね」

思わず答えに詰まった静雄に、「大事にしてあげなよ」と幽は言う。

「兄さんは知らないだろうけど、これすごく高いブランドだよ」

そう言われたって、その送り主はあの男なのだ。静雄は曖昧に頷いて、それで幽もマフラーをクローゼットの中に仕舞いなおした。
たとえ何の意図もないプレゼントだったとしても、それが臨也でなければ静雄だってこんな風にグズグズ悩んだりしない。直接貰ったのであればきっとその場で踏みつけていただろう。臨也からだと知らなければ仕舞い込むこともなかっただろう。こんなくだらない思考に陥る静雄の性格を知って、臨也はそれを嘲笑っているに違いない。

「あれ?もしかして捨てちゃった?」

寒い日はまだ続く。自分の誕生日にかこつけて、静雄は結局新しいマフラーを買ってしまった。それをつけて登校したその日の内に、またいつものようなニヤけ顔をした臨也が言う。

「ま、そりゃそうか。君のあの顔は悪くなかったけど」

こんな風に静雄を煽るようなこと言うのは臨也くらいだ。相手にするのも馬鹿らしい。余裕ぶったその顔に、静雄は無意識に舌打ちしていた。

「……捨ててねぇ」
「え?」
「残念だったな、捨ててねぇよ」

信じられないというように目を見開いた、その顔は確かに悪くない。

静雄はそれから臨也の顔を観察するようになった。取り巻きに胡散臭い笑顔ばかりを振りまく姿は見ていてとても愉快なものとは言えなかったが、少し意地になってきたのかも知れない。臨也の欲しいものってなんだ。だがいくら臨也を観察したところで、あの男の欲しがっている物なんて分かるはずがない。そもそも自分達は仲が良いわけでもないし、まともな会話すらろくにしない。遠目に見ているだけで分かるはずもなかった。
そもそも物であるとも限らない。たとえば、どこそこに行ってみたいだのあの映画を見に行きたいだの、そんなことになってしまうといよいよ静雄にはお手上げだ。見ているだけでその人間の欲求まで見えてくるはずがない。ましてや相手はあの折原臨也だ。

「ヒントあげようか?」

季節が春に移り変わりかけても、まだ何も掴めない。静雄が教室の窓から取り巻きの女に囲まれいる臨也を眺めていると、隣に来た新羅が唐突に言った。

「もしこれが幽君だったらって考えてみなよ。君はそんなに悩むのかな」

言われて気付いた。そういえばそろそろ幽の誕生日だ。今年の誕生プレゼントは何にしようか。幽は元々物欲がそこまでないし、金のやりくりが上手いから欲しいものは大抵お小遣いで買えてしまう。

ためしに家に帰ってから何が欲しいかと聞いてみたが、案の定「何だっていいよ」という答えが返ってきた。勿論適当に言ったわけではないということも、そしてその真意も静雄には分かっている。
だがいよいよ卒業が近付く時になっても臨也の欲しいものが分かることはなく、またあのマフラーをクローゼットから出すこともなかった。臨也の意図が分からない。分かるつもりもない、静雄自身にも恐らく問題はある。だがこの時の静雄には、臨也の欲しがっている物なんてほとんどどうでも良くなっていた。

観察しているとよく分かった。寂しい男だ。静雄よりずっと多くの人間に囲まれておいて、なのにもしかすると静雄よりずっと孤独かも知れない。弧を描く口がたまに引き攣るのも、目の奥が笑ってないのも、視線の先に誰もいないのも、だがそんなのずっと臨也を見ていなければ気付けるはずもない。あんなに人が好きだと息巻いておきながら、自分自身が人間を遠巻きにしている。
何もかもを要領よくこなせてしまうようで、もしかすると不器用なのかもしれない。そう思うようになったのはいつからだろう。欲しいものなんてもう分からなくていい。静雄はただ、晴れた卒業式のその日にひたすら臨也の姿を探した。窮屈な式典も担任の長話も終わって、本来は立ち入り禁止のはずの屋上にようやく姿を見つけた。静雄の気配に気付いて振り返ったその顔を見ても、今日だけはなぜか腹は立たなかった。

「やあシズちゃん、卒業おめでとう」

胸に着いた安すそうな造花がやけに目につく。それが自分にも着いていることに気付いて舌打ちした。まだ肌寒い。身震いを一つする。

「心配してたんだ。お馬鹿な君にちゃんと単位が取れるのかって」
「死ね」

胸についた花に手を掛けて、安全ピンを外して制服から取るとそのまま臨也に向かって放り投げた。綺麗に弧を描いたそれに臨也は目を丸くして、戸惑いつつも両手で受け取る。不可思議そうにそれを眺めてから、また静雄のほうを見た。

「何?」
「借りを返す」
「は?」
「お前の一番ほしいものをやる」

臨也は目を白黒させて、造花と静雄の顔に交互に目をやっている。

「それ、捨てんなよ」
「はあ? まさか君、これが俺の欲しいものだなんて言わないよねぇ……」
「捨てたら殺す」

言いたいことは全て言ってしまったと気付くと、それで静雄はようやくこの花が本当の意味を持ったように思われた。臨也はまだ戸惑いを隠せないような顔をしている。それは素の表情そのままだろう。その顔が見たかったのだ。ずっと胸につっかえていたわだかまりが、今この瞬間すっと消えていくのを感じた。肌寒い。首元に入りこむ風のまだ冷たい季節だった。





『――それで結局、静雄は何をあげたんだ?』

そろそろ日が落ち切る夕暮れ時に、静雄は語らない都市伝説の走らせるバイクの後部座席に座っていた。随分と懐かしい話をしてしまった気がする。機嫌が良かったからというのもあるかもしれないが、今日があの日のように肌寒い日だったからだ。赤信号で一時停止すると、その都市伝説が素早くPDAに文字を打った。

『アイツのことだから高いものだったんじゃないか?』
「あー……、いや」

静雄はあの卒業式の日を思い出した。具体的には、あの時の臨也の顔だ。

「例えばよぉ、俺が……いや、新羅がいいか。新羅がセルティに何かプレゼントをしたとして、それが自分の欲しかった物じゃなかったらガッカリするか?」
『まさか! 新羅でも静雄でも、私のために選んでくれたものなら何だって嬉しいに決まってる』
「だよなあ……」

信号が赤から青に変わって、バイクがまた走り出す。再び語らなくなった彼女に、静雄はそれでも一人で続けた。

「俺もそう思うよ」

緑のマフラーがたなびいた。













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君の一番ほしいもの


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