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僕の女神は微笑まない/前編
愛が足りないとか忍耐力がないとかそういうことじゃなくて、そろそろ本気で対策を講じるべきだと思う。どこかで小鳥のチュンチュン泣きはじめる早朝。これはもう本当にどうにかした方が良い。机上に置いた目の前の目薬を凝視しながら俺はそう思う。言うまでもなくシズちゃんの泣き癖の話だ。


本当にもういい加減にした方が良いと思う。だってシズちゃんって今いくつだと思う? もう25だよ、25。四捨五入したら30だ。中高生から見ればおっさんと呼ばれてもおかしくない年齢だ。なのに俺がちょっとテレビの中の女優に「この人美人だよね」って言ったくらいで泣くってどういうことだ。さすがの俺も一瞬何が起こったのか分からなかった。噛み締めて泣くシズちゃんを前に、為すすべなくポカーンとしてしまったほどだ。それから我にかえっていつものように宥めすかしてやっと泣き止んだ後は、泣き疲れたのか狭いソファの上にでかい図体を押し込んでスヤスヤ寝てしまった。こうなってくると赤ちゃんと変わらない。恋人というよりは幼児の相手をしている気分だ。頼むから勘弁して欲しい。俺はシズちゃんの恋人なのであって母親などでは断じてない。
昨夜は俺も疲れてそのまま寝てしまったが、日の出とほぼ同時に目覚めてから現在にかけて本気で考えた。これはいい加減、本気の対策が必要だ。全てシズちゃんが悪いとは言わない。そう、今までは俺がシズちゃんを許し過ぎた。つまるところ甘やかしすぎた。これじゃああの馬鹿がつけあがるのも当然だ。それに関してはこれまでも散々悔いてきたことではあるが、いよいよその反省を行動に移すべき時がきたのだろう。

リビングから再び寝室まで移動して、昨夜苦労してベッドまで運んだシズちゃんの顔を覗き見る。早朝であることもあってまだぐっすり寝ている。黙って寝ているだけなら大人しく可愛いもんだというのに、なぜ一度起きるとああも俺を困らせることばかりするのだろう。いっそこのまま寝続けていてくれないだろうか。永遠に。

「シズちゃん、シズちゃん起きて」

名残惜しいが、時間を見計らってシズちゃんに声をかける。シズちゃんは目覚めたように一瞬だけ薄く目を開いたが、すぐにまた閉じてしまった。特別寝覚めが悪いという訳ではないから、昨夜は余程疲れてしまったのだろう。泣くのに。
まあぶっちゃけた話、俺だって今更になってシズちゃんに対して厳しい態度をとれるとは思っていない。何せ今まで何度となくもう甘やかすまいと決心して、そしてその全ての決心をことごとくへし折られてきた。つまり俺には無理なのだ。長年で染み付いた甘やかし癖はもう治らない。そこはもう諦めるしかない。だから、今回はそれとは別ベクトルで攻めることにした。

「今日は午前から仕事なんだろ。遅刻するよ」
「……んー……」
「んー、じゃなくて。ほら、起きて」

声をかけて体を揺さぶりながら思うことでもないけど、俺だって本当はこのままシズちゃんにはずっと寝たままでいてほしい。だってさすがの池袋最強も、寝ている状態では自販機を投げたり標識を引っこ抜いたりしないし、何よりクソ下らない理由で泣きだしたりはしない。
あんな情けない姿を一度でも見てしまえば、誰もこの男を「池袋最強」などと呼んだりはしないんじゃないだろうか。少なくとも俺には、この男が最強だとは思えない。むしろ池袋最弱といっても良い。「池袋最強」のあとに「かっこ笑い」を付け加えてやりたいくらいだ。あんなに情けなく泣きじゃくる最強があってたまるか。

「シーズちゃーん」
「うるせえ……」
「起きろー」

耳元で名前を呼んでやると、ようやく覚醒したのか今度こそ目を開けた。昨日泣いたおかげで若干腫れている。焦点の定まらない目でぼんやり俺を見て、それから大きな欠伸をした。

「あー……何時だ、今……」
「7時」
「まだ早ぇじゃねえか」
「ちょうど魚が焼けたんだよ。ほら、顔洗って」

渋るシズちゃんの腕を引いて、無理やりベッドから引っ張り出した。まだ眠そうにするシズちゃんの背中を押して洗面台までつれて行く。俺はシズちゃんの母親かって、そのツッコミはもういい。大人しく顔を洗いだしたシズちゃんを見届けてから、俺も自分の作業をするためにまたキッチンに戻った。魚は調度いい具合に焼けているし、ご飯も炊けた。具だくさんの味噌汁にほうれん草の胡麻和え、そして昆布の佃煮もある。完璧だ。完璧な日本の朝の食卓だ。
自分の用意した朝食をテーブルに並べながら俺は惚れ惚れした。我ながらよくやったと思う。そしてここまでやった上で、俺は改めて味噌汁の味を確認した。熱いスープを舌の上にのせてから一つ頷く。うん、不味い。スゲー不味い。

別に俺が失敗したわけではない、不味くしたのはわざとだ。ここまで不味くすれば、シズちゃんもこの味噌汁を飲めば必ず何らかのアクションを起こすだろう。先日の砂糖を入れ忘れた生クリームのことはスルーしてくれたが、これはさすがに言及せざるを得ない筈だ。なぜならこんなもんお椀一杯分も飲めるはずがない。そのくらい不味い。
それにしても、まさかここまで不味いものが出来上がるとは思わなかった。ガチで不味い。決定的に不味い。そしてこんなに不味いものをこんなに上手く作り上げることに成功した自分の才能が怖い。見た目と匂いはこんなにも普通なのに、口に入れた途端広がる不快感ときたら大したものだ。

数分後には顔を洗ったシズちゃんがのろのろダイニングにやって来た。テーブルの上に並べられた朝食を見て、また眠そうに欠伸をしながらそれでも座る。俺もその正面に座った。行儀よくシズちゃんはいただきますと手を合わせて、俺はそれを見るのが実は密かに好きだったりする。
だが今日ばかりはそんなことを気にしている場合ではない。何せ今日は食卓に爆弾を抱えている。あのクソ不味い味噌汁のことだ。シズちゃんは今でこそ白米をもぐもぐしながら焼き魚の身を呑気にほぐしているが、いつものタイミング的にそろそろ味噌汁に口をつけるはずだ。そうすればすぐに気付くだろう。今日の味噌汁はアホみたいに不味いということに。
俺のひそやかな注視には気付かず、思った通りシズちゃんはそれからすぐ味噌汁の入ったお椀に手を伸ばした。見た目だけならいつも通り、だが味は破壊的なそれに口をつける。俺は最早隠れることもなくその動向を見守った。さあどうだ、俺の会心の味噌汁のお味はどうだ。シズちゃんはそれを一口啜った途端、呑み込んでしまう前に明らかに顔色を変えた。

「おい、手前……」
「何?」

さて何と言うか。今日ばかりは何を言われても許せる自信がある。

「手前これ……ちゃんと味見したのか?」
「ごめん、してない」
「クソ不味いぞ」

分かってても一瞬固まってしまった。その無遠慮な言い方に、いつもだったらもうナイフの2本も投げてやっているところだ。だが許す。今日だけは許してやる。勿論わざと不味くしたからというのもあるし、何より――。

「ひ、酷いよシズちゃん……」

まさにそういう"暴言"を貰うことが、この激マズ味噌汁の目的だったからだ。

「そんな風に言わなくてもいいのに……」
「あ?」
「今日は早起きして頑張ったのに」
「……臨也?」

我ながら女々しいことを言っている。普段の俺なら、こんな泣き言を言うくらいならとっくにナイフを投げるなり何なりしている。分かりきっていたことではあるが、シズちゃんのデリカシーのなさは生粋だ。今日だってまさかここまでストレートに不味いと言われるとは思わなかった。












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僕の女神は微笑まない


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