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静雄のアドバンテージは圧倒的な体力の差だ。見失いさえしなければ、いつか臨也の方から勝手にばててくれる筈だ。どんな人混みの中にいたって、静雄は絶対に臨也を見失わない自信があった。見失う訳がない。どこにいたってどんな姿をしていたって、静雄はそれが臨也なら絶対に見失わない。
臨也の走るスピードが少し落ちた。逆に静雄はスピードを上げる。背中に指先が一瞬触れた。歩幅を広げて、更に腕を伸ばす。この追いかけっこがスタートしてから十数分、ようやく静雄は臨也の腕を捕らえた。

「いって!」
「捕まえたぞ手前!」

腕を引いて強制的に走行を停止させると、周囲の人間が臨也に哀れみの目を向けた。ふざけるな、静雄だって被害者だ。臨也は静雄の拘束から逃れようともがいていたが、無駄と悟ったのか暫くすると大人しくなった。

「絶対に逃がさねぇからな……」
「怖いよシズちゃん」

観念したように言って、臨也は辺りを見回すような仕草をした。まさかまだ逃げる気なのかと腕を掴む手に力を込めると、「痛い、馬鹿」といつものように臨也は言う。これはもう逃げる気はないなと静雄もすぐ察した。そして実際、静雄が手を離しても臨也は逃げ出そうとしない。

「手前には言ってやりたいことが山ほどあるんだが」
「……うん。でもちょっと待って」

ここでは人目があるから場所を変えようと臨也が言うので、少し歩いて人気のあまりない路地裏まで移動した。その間も周囲の人間からの視線をさらい続けて、「可哀相だなアイツ」だの「何しちゃったんだろうなぁ」だのというヒソヒソ声が聞こえていた。
久し振りに臨也と向き合う。声を聞くのも顔を見るのも久し振りだ。この一か月間で蓄積され続けた苛立ちやら怒りやらが爆発しそうなのをなんとか堪える。臨也もそれを分かっているのか、すぐには話し出そうとはしなかった。所在なさそうに視線を彷徨わせて、静雄の手にあるものを見つけてやっと「あ」と声を出す。

「……それ」
「あ? ああ、これ手前のだろ」

追い駆ける前に咄嗟に拾い上げたものだ。ベージュの高そうな帽子だが、追い駆ける途中はそっちに必死だったので握り締めてグシャグシャになってしまった。もしかしたら怒るかもしれないとも思ったが、臨也はほとんど原型を残していない帽子を受け取って何も言わない。

「……お前、いつもと着てる服が違うな」

臨也があまりに殊勝な態度で何も言わないので、静雄も頭ごなしに怒鳴ることもできずついそんなどうでも良いことを言ってしまう。臨也はいつもの黒のXネックやファーコートではなく、無地のTシャツにブルージーンズを履いて、暗めの赤のジャケットを引っかけていた。あまり見ない格好だ。その上顔の半分を覆うような茶色のサングラスまで掛けている。
明らかに仕事をする格好ではない。それじゃあ、臨也はちょっと遊びに池袋までやって来たというのだろうか。静雄には全く連絡を寄越さなかったくせに? ふざけるんじゃない。

「サングラスなんてかけてよぉ、俺の真似か?」

一度は沈静しかけた怒りがジワジワとまたぶり返してきた。なのに臨也は静雄から受け取ったグシャグシャの帽子に目を落として何も言わない。言い訳もないという事だろうか。あの臨也が、静雄に言う事なんて何もないということだろうか。なんだかまた情けなくなってきてしまった。静雄まで泣きたくなってきてしまう。あれだけ長い時間一緒にいて、なのにこんなに相手の気持ちが分からない。臨也は何も言ってくれない。
それでも静雄はまだ臨也のことが好きだった。本当に好きだった。いつから好きだったのだろう、もう覚えていない。でもこの気持ちだけは本当だ。信じて欲しい。今まで臨也に甘えきりだったのが悪かったなら謝る。ただ信じて欲しい。悪いところがあるなら直すし、やって欲しいことがあるなら努力する。それくらい好きだ。それだけ信じて欲しい。だって静雄は信じている。

「……おい、臨也」

臨也が少しだけ視線を上げた。顔が見にくくて、静雄は勝手にサングラスを奪う。臨也はやはり何も言わない。
静雄にも段々分かってきた。臨也は何も言わないのでなく、言えないのだ。静雄が臨也に嫌われたくないと思うように、臨也もそう思っているはずだった。

「やっぱりアレか、お前、怒ってんのか」
「…………」
「俺がデリカシーなかったか」
「…………」
「頼むから何か言ってくれ。不安になる」
「……シズちゃんさ」

久し振りに臨也が言った。

「なんで俺って、分かったの」
「あ?」
「他の人には気付かれなかったんだけど。なんで分かったの」
「……ああ、手前まさかそれ、変装のつもりだったのか」

また何かやらかして誰かから隠れていたのだろうか。危ない橋を渡るのは止めろと何度言っても聞かない。それともまさか、静雄から隠れるつもりだったのだろうか。だとしたら随分と舐められたものだ。

「なんで俺って分かったの」
「分かるに決まってんだろ。舐めてんのか」
「なんで?」
「なんでって……」

なぜそんなことを聞いてくるのか分からない。どう答えるべきなのか考えあぐねていると、臨也の方から先に口を開いた。

「俺が外で、いつも同じ格好してんのはさ、自分を記号化するためなんだよ。君だって、外で偶然俺と遭遇するときはあの恰好のはずだって思い込んでただろ? 顔が見えないように、今日はわざわざサングラスまでかけて来たのに」
「……馬鹿かお前」

呆れて自然と声が出た。臨也がビクリと顔を上げて、ようやく目が合う。

「だから何だってんだ? 顔と格好変えたくらいで、分からなくなるわけねぇだろ」
「……なんで?」
「だから」

どう説明すればいいのか、なぜそんな当たり前のことを追求しようとするのか、臨也の考えていることが全く分からない。どんな格好をしていたところで、それが臨也なら静雄にはすぐにそうと分かる。確かに臨也の言う通り、今日の格好は静雄にとっても少し意外だった。だがそれが何だというのだ。格好を変えたって、顔が半分隠れていたって、静雄が臨也に気付かないわけがない。それはただそれだけの話だ。理屈がどうこうじゃない。大袈裟でもなんでもなく、たとえ臨也が着ぐるみの中に入って全身が隠れていたとしても、静雄はすぐに気付く自信があった。

「お前、意味分かんねえ。なんで気付かないと思うんだよ」
「……だって」
「じゃあ聞くが、お前は俺が外でこの服以外を着て、髪も黒に戻して、サングラスもかけずに歩いてたら気付かねえのか?」
「いや分かるけど」
「分かるんじゃねえか」
「……違うんだって、そうじゃなくて」
「じゃあなんだよ」
「だって君が言ったんだろ。俺は顔だけが、取り柄だって」

何のことか一瞬分からなかった。だがほんの少しの間を空けて思い出す。ああそういえば、喧嘩したあの日、確かにそんなようなことを口にした気がする。そしてそう言われてみれば、臨也が突然キレたのもその直後だった。
なんだ、そんなことか。まさかそんなことで怒っていたのか。思わず拍子抜けしてしまった。臨也自身は本気で悩んでいたのかも知れないが、今まであれこれ考えていたのが馬鹿らしくなってきてしまう。第一、そんなことを本気にする方がどうかしている。

「お前そんなこと気にしてたのか」
「そんなことなんかじゃな……」
「それじゃあお前、その顔に感謝しろよ。そうじゃなかったら、お前みたいなの好きになるの俺くらいだぞ」
「……は?」

しまった。口が滑った。
静雄が言った途端、目を見開いてあの時のように臨也の体がプルプル震え出した。人目があまりないとはいえ、こんな所で泣かれたり暴れられたりしたら堪らない。静雄が自分の口の軽さを猛烈に呪っていると、臨也は肩の力が一気に抜けたような声で「よかったぁ」と言った。

「……は?」
「俺、シズちゃんでよかったあ」

静雄が懸念したように臨也は泣き出すことなく、ただ両手で顔を覆って俯いた。まるで張っていた糸が切れたみたいに、ひたすらよかったと繰り返す。どうすれば良いのか分からず静雄が名前を呼んでみると、その時だけはごめんねと謝った。













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夢見がちな君と恋
(君の心を聞かせてよ)


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