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やってしまった。とうとうやらかしてしまった。思い出すごとに、静雄は自分の頭を百回はぶん殴りたくなる衝動に駆られる。どうしてあの時の自分は、後先のことを考えず勢いだけで行動を起こしてしまったのだろう。





好きだと言って、キスして、そうしてセックスをした。臨也が嫌じゃないと言った。だから大丈夫だと思った。酒の力を借りた卑怯は認める。でもそれでも、静雄は静雄なりに臨也の意思を尊重したつもりだった。たとえ酔っていたって、どんなに静雄に気を遣っていたって、臨也は自分の気持ちを裏切るようなことは言わない。だから静雄も安心していた。臨也が嫌でないと言うなら大丈夫だと、たとえ目覚めてその状況を再認識してもいつものように許してくれると、そんな風に考えていた。
でも違ったのだ。裸で抱き合う自分達を見た瞬間、臨也は酷く狼狽した。ただ混乱しているだけでもなく、泣きそうにも見えた。あの時は寝惚けていたが、今改めて考えるとそう思う。臨也は今にも泣きだしそうだった。

どうしてだろう。静雄を置いて部屋を飛び出してしまった臨也に、静雄はまだまとまらない頭でそう思った。どうしてだろう。どうして臨也は、そんなに頑なに静雄と体の関係を持とうとしないのだろう。嫌われてしまうことの次に静雄が恐れたのは、臨也が静雄の要求を拒んだことに罪悪感を持ってしまうことだった。それはもう恋人とは言えない。少なくとも静雄にとって、恋人とは常に相手の愛を信じ、また自分の愛を信じさせることだった。でもそんな不安は杞憂に終わって、臨也はそのこと自体には触れず、そんな必要もないのに逃げ出したことを謝罪した。
そんな恋人の様子を見ているとますます愛しいと言う気持ちがふくれあがってしまって、静雄は自分のやってしまったとことを深く反省しながらもうこんなことは二度としないと臨也に誓った。臨也はいつものように静雄を許したし、そしていつものように惜しみもせず好きだと言う言葉をくれる。良かった。だから静雄も安堵した。良かった、嫌われてない。それが何より怖かった。臨也の心が離れてしまうことが、静雄には何より怖い。


そうしてまた考える。どうして、臨也はあそこまで静雄とのセックスを拒むのか。セックスはしたい。でも、臨也が嫌なら無理矢理にするものでもないとも思う。そこまでは把握していても、やっぱりどうしても考えてしまうのだ。どうして、臨也は静雄とのセックスを嫌がるのだろう。
あの日確かにいやじゃないと言った。静雄はそれを聞いた。嘘じゃないと思う。自分の都合の良い解釈でもなんでもなく、臨也がいやじゃないと言うのならきっと本当に嫌ではないのだ。それなのに酒が抜けた途端あそこまで狼狽えるのは、多分きっと、臨也の理性の部分でそれを拒む理由があるからなのだろう。静雄にはそれが分からない。

分かってあげたいと思う。セックスをしたいとかしたくないとか、いっそそんな問題を超えて、静雄は臨也が何を怖がっているのか分かってあげたい。そう、怖がっていた。あの日の臨也は、確かに何かを怖がっていた。
――セックスなんてしなくても、俺たちは恋人でしょ?
あれはどういう意味だったのだろう。セックスなんてしなくたって恋は成立する、セックスをするだけが恋人じゃない。それだけだろうか。そんな当たり前のことを、臨也は今さら怖がっていたのだろうか。セックスをしないから別れるだなんて、そんな馬鹿みたいな終わり方はしない。そもそもこれまでの数年間、そんなことは関係なく順調に清い付き合いを続けていたのだ。なのにどうして、あんな賢い男がそんな馬鹿なことを怖がったりするのだろう。

『今日、そっち行ってもいい?』

臨也からメールが来て、静雄はすぐに返信を打った。臨也とは今も変わらない付き合いをしている。静雄はもう臨也に無理に手を出そうとはしないし、臨也もその話を出したりしない。振り出しに戻った。でもここで終わってしまっては、いつか本当に自分達は終わりの時を迎えてしまう。静雄はそう感じていた。
根本的な問題はまだ解決していない。そもそも臨也が何を怖がっているのか、臨也が本当に恐れているのは何なのか、それを理解しないことにはいつまで経っても前進しない。

『今日ヒマなのか』
『夕方からね。行っていい?』
『飯は?』
『何か買って来るよ。何がいい?』

表面上は何も変わらない。臨也は変わらず静雄のことを好きでいてくれるし、静雄もそんな臨也のことを愛しく思う。でもこれでは駄目だ。静雄は臨也と付き合っていて不安にさせられたことはない。臨也は静雄のことを好きでいてくれると、いつだってどこだって信じられた。それは臨也がそうさせてくれていたのだ。
静雄はいつだって安心できた。杞憂も不安もなかった。だが今になって考える。それじゃあ、臨也はこれまで何の不安も抱いたことはなかったのか? 静雄はいつだって甘えていた。臨也が静雄を突き放すことはなかったから、何をするにしても拠り所を見付けられた。

じゃあ臨也は?
臨也は何を拠り所にしていた?

考えるほどに分からなくなる。不安にさせていたとは思いたくない。甘えるだけでは駄目だと分かってはいたから、静雄も自分なりに自分の気持ちを伝えてきたつもりだった。でもそれは伝わらないと意味がないのだ。自己満足で終わるなら独り善がりでしかない。

『いい。今日は俺が作る』
『マジで!? やった!』

だから確認したかった。でもどうすればいいのか分からなくて、ズルズルと今日まできてしまっている。喜んでほしい、笑って欲しい。でもそれは目先のことだけでなくて、ずっと続いていなければ、やっぱりそんなの意味はない。

ずっとそんなことばかり考えている。そんな静雄を分かっているのか、最近の臨也は露骨に静雄に気を遣っている。そんな風にさせてはいけないと分かっているのに、静雄には悟らせないだけの器用さもなかった。かといって胸中を全てぶつける勇気もない。
いっそ距離を取った方が良いのかもしれない。そう思ったこともあったが、そんなことをすればますます臨也を不安にさせるかも知れない。どうすればいいのか分からない。好きだからこそ分からないのだ。本当に大事にしたいと思っている。でもだからといって、慎重になり過ぎて取り返しのつかない事にしてしまってはいけない。恋はつくづく難しい。今までそういうことの全てを臨也に任せてしまっていたから、もしかしたらこれはそのツケなのかもしれない。恋はつくづく難しい。大切であるほど難しい。

「やっほー、来たよー」

鍵は渡してあるから、チャイムを鳴らすこともなく入って来る。臨也は玄関で靴を脱ぎ捨てると、キッチンに立つ静雄の背後から鍋を覗き込んだ。

「プリン買ってきた。冷蔵庫借りるよ?」
「おう」
「何作ってるの?」
「見りゃあ分かるだろ」
「うん。カレーだね。シズちゃんそればっかりだよね」
「うるせえ楽なんだよ。ほら、離れろ」

腰のあたりに抱きつく臨也をベリベリと引き剥がし、布巾を持たせてテーブルを拭かせる。ちょうどご飯も炊き終わった頃なので、皿に二人分カレーをよそってテーブルに置いた。あ、と臨也が声を上げる。

「牛肉じゃん、珍しい。どうしたの?」
「別に」
「何かいいことでもあった? あ、給料上がったとか?」
「うるせえ」

臨也がテーブルに缶チューハイを置く。コンビニ辺りで買ってきたのだろう。あんなことになってもまだ静雄の前で無邪気に酒を飲もうとするのだから、自分は本当に臨也から甘やかされているのだなあと実感せずにはいられない。
臨也はさっそく缶を開けた。かんぱーい、と勝手に声を上げて、一気に酒を仰ぐ。大して強いわけでもないくせに、気分が良くなるからと臨也は飲みたがりだった。臨也の喉仏が上下するのを見ながら、静雄はのんびりカレーを口に運ぶ。

「ねえ、そういえばさ、駅にメロンパン屋があるじゃん? あのカラフルなやつ」
「どこの駅だ?」
「池袋だよ。自分が住んでるとこじゃん」
「ああ……あったか?」
「あるじゃん。改札出て、地下のさあ……」

取り留めのない会話をしながら、のんびりとカレーを消費していく。臨也はもう二本目の缶を開けていた。いつもよりペースが早い気がする。顔も少し赤い。どうせ泊まるつもりなのだろうからあまりうるさく言う必要はないが、少し不安だ。臨也がこういういつもと少し違う行動を取るときは、何かを誤魔化そうとしたりしていることが多い。そして鈍い静雄は、それが大事なことであればあるほど見抜けないのだ。

「シズちゃん」
「……あ?」
「どうしたの。なんかさっきからボーっとしてない?」
「いや……別に」
「そう?」

分かってて突っ込んでこない。言いたくないなら言わなくていいし、言いたいなら待っていればその内言ってくれる。臨也はそういうことをちゃんと分かってくれているから、静雄に無理強いすることは滅多になかった。



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