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アグリーワールド6
嘘みたいだ。目の前に平和島静雄がいる。
今時やっすい感動映画だって、こんなに都合の良い展開はそうそう思い付かない。そのくらい有り得ない。静雄が臨也の居場所を知れる訳がない。

臨也が何も言えないでいると、静雄は我関せずと言うようにゆっくりとした歩調で臨也のそばに寄った。
久し振りにその姿をこの目で見る。何も変わっていない。あの頃そばで見ていたまま、餓えた獣みたいな目をして、でも真っ直ぐな目で、ただあの時のように安い服は着ていない。今はむしろ、臨也の方が貧相な格好をしているだろう。
目の前まで来て、静雄は言った。

「俺を覚えてるだろ」
「……なんで」
「そういう約束だったから」
「は? じゃなくて、なんで、君が」
「お前がいつまで待っても来ないから。俺は気が短ぇんだよ」

呆然とするしかない。状況が全く呑み込めない。
静雄は悠長に臨也を見下ろしている。何か言おうとして、臨也は結局口をパクパクさせるだけだった。言いたいことがなかった訳じゃない。ただ、今になってそれが出てこない。早くしないと消えてしまうかもしれないのに。これが夢なら、覚めてなかったことになってしまうのに。

「臨也お前、あの店から犬よろしく逃げ出したらしいな」
「……だったら、何……」
「お前にしちゃあ上等じゃねえの」

何かが違うなと感じて、臨也は僅かに訝った。静雄から煙草の臭いがしないからだろうか。それが臨也には少し怖く感じて、一歩だけ後ろに下がった。静雄は表情すら変えない。

「何しに来たの、君」
「迎えに来た」
「なんで……」
「相変わらずゴチャゴチャうるせえ奴だなあ。ここにいるってことは、あの眼鏡から話は聞いてるんじゃねーのか?」

何のことだ。少し記憶を辿ってみても、新羅は静雄の話題を一言も出していない。
臨也の様子を見て静雄もそれを悟ったのか、ハアと深く溜め息を吐いた。話とはなんだ。静雄とは久しく会っていない。臨也はともかく、静雄には話なんて何もない筈だ。

「お前が『それで良い』って言うなら、って条件だったんだが、あの眼鏡も食えねえ奴だな」
「だから、何の話?」
「俺がお前を引き取るって話だよ。つってもまあ、あんな大金はいきなり出せねえから、出世払いみたいなもんになっちまったんだが、やっぱ売れると違うもんだよなあ。俺の顔と名前見ただけで即刻オーケーだもんなあ。有名人って得だよな。まあ、それより面倒臭ぇことのほうが多いんだけどよ」

声も出ない。勝手にペラペラ喋る静雄の話が、半分も入ってこない。
だって訳が分からないのだ。さっきから感じる違和感も恐怖心を煽る。こんなに上手くいく筈がない。あまりに都合が良すぎる。

「……オイ、臨也、手前なに不満そうな顔してんだよ」
「え?」
「まさか俺じゃ嫌だとか言う気じゃねえだろうな」
「ちが……違う」

反射的に答えてしまった臨也を見るとすぐ満足そうな顔をした静雄を見て、臨也は自分がカマを掛けられたのだということにやっと気付いた。思わず歯噛みする。
暫く会わない内に、随分と性格が悪くなってしまったものだ。

「でも、だって、君は俺を選ばなかっただろ?」

静雄が臨也を抱いたことはなかった。臨也は静雄になら抱かれてもいいと思っていたし、静雄だってそれは分かっていた筈だ。
でもそうはならなかった。それが答えだと思った。

本当は惹かれていた。どうしようもない生き方をしているのに、それでもまだ常識外れに夢なんて追い駆けて、まるで世間知らずの子供みたいだった。馬鹿にしていた。そうでもしないと、自分のこれまでも否定されてしまうような気がした。
どうせ届かないといつか知ってしまったから、初めから追い駆けることをしなかった。

言い訳する理由ばかり探していたのだ。
初めから自分とは違う人間だから、違う世界だから。そうやって自分に言い訳ばかりしていた。自分以外の誰かのせいにすることで、どうにかちっぽけ過ぎるプライドを守ろうとしていた。

「……何のことだか、分からねえが」
「嘘だ」
「臨也」

さっきから感じていた違和感の正体に、臨也はやっと気付いた。前までの静雄なら、こんな風に臨也の名前を呼ばなかった。互いの素性も知らない自分たちにとって、名前なんて記号でしかなかったからだ。呼んだことも呼ばれたこともなかった。





臨也。静雄が臨也を呼ぶ。前はそんな風じゃなかった。そんなに小奇麗な服なんて着なかった、いつだって煙草の臭いをさせていた、臨也の名前なんて呼ばなかった。
それが自分達なのだと思っていた。それで始まって、そのまま終わる。それでいいと思っていたのに、今になってまた静雄が現れる。

「お前は自分の面倒臭さを、いい加減自覚した方がいいぞ」

静雄の腕が伸びて臨也の腕を掴んだと思うと、そのまま問答無用で引き摺られる。大した抵抗もできず為すがままになっていると、静雄の乗って来た車の助手席に無理やり詰め込まれた。その時ぶつけた額がまだ痛い。
暫くすると静雄も運転席に乗り込んだ。

「何? 何なの? 頭痛いんだけど、傷付いてたらどうすんだよ」
「病院行くか」
「嫌味だっつの」

ミラーで打った場所を確認しようとするといきなり静雄がアクセルを踏んで、臨也はまた危うく額を強打するところだった。寸でのところで踏み止まれたが、ふつふつと静雄に対する怒りが湧いてくる。

「いきなり車出すなよ!」
「手前がのろいのが悪い」
「また頭ぶつけるところだっただろ!」
「お前、元気いいなあ」

話が噛み合わないにもほどがある。静雄は呑気にそう言うと、悠長に窓を半分空けた。
風が流れ込んでくる。前髪が顔に張り付いて、臨也はまた非難の声をあげた。

「ちょっと! 窓開けるの止めろ!」
「あ?」
「せめて半分くらいにしろよ!」
「そういや、部屋のことなんだけどよぉ」

静雄はまるで聞き耳持たないとでも言うように、勝手に一人で喋りだした。

「やっぱアレか、自分の部屋みたいなのは欲しいもんなのか。それにカーペットって必要なのか? 使ったことがないから分かんねえ。それからベッドも悩んでんだよなあ。2つ置くか、それともデカいのが1つか。ああ、あとカーテンもいい加減買いたいんだよな。ついでに今日買っとくか。お前はやっぱ暗い色がいいのか?」

うるさいのはどっちだ。
静雄はまるで、臨也の答えなんて期待していないかのように勝手に一人で喋り続けている。臨也はそんな静雄の横顔を憎たらしく見つめて、それから前を見た。半開になった窓からは緩やかな風が入ってきている。
なんでだよ、と呟くと、初めて静雄がまともな反応を見せた。何が、と言いながら一瞬だけ臨也を見る。

「どうして俺に、そこまで拘る? 今の君なら、可愛い女の子なんて選び放題だろ?」
「分かりきったことを聞くなよ」

静雄はもう臨也を見ていなかった。

「俺は歌が好きだ。それだけだ」
「……そういえば、前にそんなことを言ってたね」
「ずっと好きだったんだ。だから歌手になりたかった。それだけだ」

むっつりと臨也が押し黙ると、静雄がまた臨也の名前を呼ぶ。

「……で、来るのか? 来ねーのか?」

素直に答えを出すのが癪に思えて、臨也は腕を組んでそっぽを向いた。窓から見える景色が勝手に流れていって、乾いた空気が顔に直接当たる。
臨也は唇を噛んだ。
一番肝心なことをまだ聞いていない。静雄もそう素直に言うつもりはないのだろう。もしかしたら臨也に先に言わせるつもりなのかもしれない。その手には乗らない。絶対に静雄から言ってもらう。臨也からは意地でも言わない。今そう決めた。

「……部屋は欲しい。カーペットもあった方が良い。ベッドはどっちでもいいよ、君の好きにして。それとカーテンだけど、俺は白が良い。ああ、それから、できればプランターも欲しい。花を植えたい」
「……お前、花とか好きだったか?」
「別に」

静雄が臨也を見る気配がした。臨也は静雄を見ない。ただひたすら、流れていく景色にばかり目を向ける。
静雄がラジオをつけたのか、またさっきのDJの声が聞こえてきた。

「君、料理できる?」
「お前よりは」
「俺ができるかなんて知らないだろ」
「お前下手そうじゃねえか」

臨也は静雄をやっと見た。

「ちょっとくらいならできるっつーの」

静雄は何も言わない。臨也も黙っていたが、ラジオが偶然静雄の歌声を流し始めると、初めて堪えきれず二人同時に吹き出した。
我慢合戦はまだ続く。








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アグリーワールド
(君が世界をそうしていたのだ)



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