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アグリーワールド2
沙樹はいつも笑っている。何をしても、何を見ても嬉しいといった様子だった。およそ臨也には理解できない心情だ。
こんなにロクでもない世界に生きて、生きるだけ損をしている気持になる。それでもこうして生きているのは、なけなしの自尊心のためだ。醜態を晒しながら死ぬことだけはしたくない。それだけの意地で生きている。
逆に、この臨也の心情を沙樹が理解することはないだろう。住む世界が違えば考え方も違って当然だ。だって静雄がそうだった。

「私ね、この花壇に花が咲くのが楽しみで」
「ふうん。花が好きなんだね」
「それもあるんですけど、私、本当はもう死んでる筈だったから」

沙樹は表情を変えない。

「今こうやって生きてるってだけで嬉しいんです。だって、こんなに幸せなことないです」

臨也は返事もせずに、シャベルの先で肥料の袋を開けた。破れた穴から、白くてコロコロしたものがいくつか零れ落ちていく。思わず舌打ちをした。沙樹はクスクスと笑った。










追い駆けてこられるのも面倒だったから、臨也は店からずっと離れた場所にあるアパートを借りている。
誰にも住所は教えなかった。人生をリセットしたかった。別に綺麗な生き方をしたいと思ったんじゃない。ただ、どうせ醜いなら、窓のカーテンを開けるくらいのことはしてみたかった。あちら側に行けなくてもいい。綺麗な絵画を鑑賞するように、美しい世界を視界におさめて見たかった。

自分で分かっている。臨也の体はもうボロボロだ。どうしようもないところに来ているのだ。
これを癒すのに、どれだけの時間を掛ければいいのか知らない。長く生きなくていい。ただ、残りの人生を穏やかに終えたかった。それだけだ。たったそれだけだ。今さら綺麗に生きたいなんて思っていない。どうせ無理だと分かっているから。

「だから、もう俺のことは放っておいてくれないかなあ」

誰も知らないはずの臨也の部屋に、あまりに懐かしい顔がやって来た。絶望的だ。歯噛みする臨也に、新羅は最後に見た時と変わらない笑顔で言い放つ。

「そうはいかないよ。君に逃げられて、僕らも困ってるんだ」

どうしてバレたのか分からない。
誰にも教えなかった。絶対に足がつかない場所を選んだはずだった。ようやく今の生活にも慣れてきて、臨也はこれから本当の意味で自分の人生を生きるつもりだった。
もう戻れるはずがない。それなら死んだ方がマシだ。だが、臨也には自分で自分を殺す度胸もない。

「どうして、ここが分かった? 俺なりに努力してこの場所を見つけたつもりだったんだけど」
「世界は案外狭いということさ。それから、君の世界は更に狭い。要するにまあ詰めが甘い」
「……新羅、頼むよ」
「俺が君にお願いしたいくらいさ」

もっと慎重にやるべきだった。新羅は臨也の敵ではなく、だが味方でもない。仮に逆の立場だったとしても、臨也はやはり新羅を店に連れ戻そうと思っただろう。
むしろ、勝手なことをするなと責め立てたかもしれない。それを考えれば新羅の態度はかなり穏和だ。

臨也ならきっと、こうして会話を交わす時間すら惜しく思う筈だ。でなきゃ酷い目を見るのは自分になる。裏切りだとかそういう次元じゃない。自分の足元さえ固められないような奴が、他人の腕を引いてやれる訳がない。

「……店には?」
「言ってない」
「期日は?」
「今日も入れて、ちょうど後一週間」

短い。いや、きっとそれが最大限の店側の譲歩なのだろう。それを短いと感じてしまう臨也の方が、この外の生活に慣れてきてしまっているということだ。

「……新羅」
「臨也、逃げたら俺が君を殺すよ」
「もう嫌なんだ、分かるだろ」
「それは勿論、僕も同じだ」

臨也が逃げても、新羅はどこまでも臨也を探そうとするだろう。それがたとえ沼底に引きずり込む行為だとしても、保身のためなら躊躇いなくそうするだろう。
臨也もきっとそうする。責めるような行為にも思えないし、臨也もそんな立場にいないから、ただ歯噛みするしかない。
新羅はうっすら笑っている。来たのが他の人間でなくて良かったと、ここはむしろ安堵すべきなのだ。新羅の言うように臨也は世間知らずで、どうすれば追ってくる手を振り切れるのか分からない。

帰ったって碌な目を見ないのは分かりきっている。店は臨也を責める筈だ。これまでより監視の目が更に厳しくなって、酷ければ折檻も待っているかもしれない。
臨也は人気商品だからできるだけ傷が付かないように計らっていたが、嗜虐趣味の人間なんてこの世界には掃いて捨てるほどいる。そういう人間の相手をさせられてもおかしくない。

そうして周りの人間は笑うだろう。指をさして、ほら、だから馬鹿な真似なんてするもんじゃない。

「不思議なんだけど」

押し黙った臨也を見て、新羅は事実不思議そうに首を傾げながら言った。

「君は、知ってるんじゃないの? 後腐れなく綺麗に店と縁を切れる方法を。そして君は、それを実現できるだろう? だって君には」
「――あと一週間待って欲しい」

臨也は言った。新羅はピタリと喋るのを止めて、静かに臨也の話を聞いている。

「一週間後の同じ時間、またここに来てくれ。頼む」
「信じていい?」
「殺していい」
「分かった」

新羅は頷いた。

「一週間後のこの時間、またここに来る。君を殺さずに済むことを祈ってるよ」

新羅は朗らかに笑う。臨也も笑った。
後ろの窓から差し込む夕日が、二人分の影を暗く長く伸ばしている。








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アグリーワールド



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