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アグリーワールド
この世界では愛が人を殺す。誰か一人に特別な感情を抱いてしまえば、他の人間に抱かれるたびに愛が肺に詰まっていく。夜の街が醜さと美しさと隣り合わせになるのはだからだ。ネオンが光るのは視覚的に美しいのに、まるで死人が闊歩しているようで気味が悪い。死人の街だ。でかい墓場にしか思えない。





臨也は店を辞めた。捨てられる前に、自分から見切りをつけた。店で働き続けた金が使われることもなく貯まっているから、1、2年程度なら慎ましい生活を送っていける。あれだけ身体を売り続けて、得られたのは死なない程度のはした金だ。店にいた時の方が、食事はまだ高価なものを口にしていただろう。
朝好きな時間に目覚めて、乾いたパンを水で流し込みながら朝日を全身に浴びる。昼になったらあてもなく外に出て、適当に買い物をして適当な時間に帰る。昼から夕方に掛けては、本を読んだりテレビを見たり、編み物に挑戦してみたり料理に凝ってみたりして夜を迎える。勝手気ままな生活をして、それが臨也には心地良かった。とても豊かな生活とは言えなかったが、それより誰に媚びる必要もない解放感が愛しい。

あの牢獄から逃げ出して、ようやく臨也は世界を知った。知らないことが多すぎる。自分はあまりに無知だった。それを知れただけでもマシかもしれない。今更になって、臨也にできる事なんてたかが知れている。だからこそ仕事は時間をかけて見付けたかった。自分には何が向いているのか、好きなのか、そういうことをゆっくりと探したい。
と言っても、それじゃあただ悪戯にお金だけを消費するだけになるし、何より暇で暇で仕方ない日々を送る羽目になってしまうので、一応バイトのようなものだけはやっている。有難いことに要領だけいいほうのようだから、特に困ることもなく今のところ日雇いを中心に場所を転々としていた。

「こんにちは」

今やっているのは、庭師のお手伝いという何とも地味な仕事だ。このあたりでは多分一番大きな病院の専属庭師で、臨也は花壇に水をやったりゴミを捨てに行ったりと、まあ雑用に近いようなことをやらされている。時給はそこまで高くないが、仕事内容は実はそこそこ気に入っていた。

「……ああ、こんにちは」

しゃがみ込んで適当に花壇の雑草を引っこ抜く作業をやっていると、車椅子に座った知らない少女から声を掛けられた。こういうことは珍しくない。同性の相手ばかりしていたからいまいちよく分からないのだが、臨也は女性にも受ける容姿をしているらしい。初めの内こそ新鮮だったが、もういい加減慣れてしまった。
適当にはぐらかして追い返そうと思い顔を上げて愛想笑いを浮かべると、その少女はニコニコと無邪気に臨也の方に寄って来る。

「最近、よくここに来てますね。新しい庭師さん?」
「いやあ、俺はただの雑用ですよ」
「はい。知ってます」

コロコロ可笑しそうに笑う少女を見て、臨也はただポカンとしているしかなかった。全く理解のできない人間に出会ってしまった。まず、何が楽しくて少女が笑っているのか分からない。

「あの?」
「ああ、ごめんなさい。私、ずっと貴方と話してみたくて」

やっぱり、ナンパの類だろうか。そう思っているのが相手にも伝わったのか、少女はまたごめんなさいと繰り返した。

「あ、違うんです。私はこれでも、恋人がいますから」

草を入れた袋持って臨也が立ち上がると、今度は少女が臨也を見上げる形になる。よく見ると中々に可愛らしい顔立ちをしていた。美人と言うよりは、愛嬌のある顔だ。

「それじゃあ、俺に何か?」
「いえ、特に用はなくて。 ……ここにはどのくらいいる予定?」
「契約はあと3日だね」
「十分です」

少女はニコリと笑んだ。

「その間だけでいいので、私の話し相手になって下さい」

変わった人間というのは、どこにいたって存在する。つまりはまあ、そういうことだろう。





少女の名前は、三ヶ島沙樹というらしい。年は教えてくれなかった。曰く、「女の子に年齢を聞くのはマナー違反ですよ」らしい。臨也も大して興味がなかったので、執拗に追及しようともしなかった。だから臨也も、少女には自分の名前が折原臨也であるということ以外は何も教えていない。そもそも教えるようなこともないのだ。我ながら糞ったれの人生を歩いてきたと思う。語るほどの自分を持っていない。

「花が好きなんですか?」

昨日と同じ花壇にホースで水をやっていると、昨日と同じように沙樹が臨也に話しかけてきた。臨也がチラリと視線をやると、ニコニコと機嫌が良さそうに微笑んでいる。どことなく品のある少女だ。良いとこのお嬢さんなのかもしれない。

「別に。好きでも嫌いでもない」
「でも、ここの花壇、すごく可愛い花を毎年つけてくれるんですよ」
「俺、何の花なのかも知らないんだ」
「パンジーっていうんです。綺麗ですよ」
「……ふうん」

教えてもらっておいて悪いが、そんなに興味を持てない。パンジーという名前だけ教えられたって、花に詳しくない臨也ではいまいちイメージが湧かない。ここに水を撒いておいてくれと言われたから、言われたとおりのことをやっているだけだ。正直な話、仕事が終わってしまえばここの花が綺麗に咲こうが咲くまいが全く興味がない。それは臨也には関係がない。
沙樹な不思議な少女だった。臨也とただ話がしたいと寄って来て、昨日は本当にそれだけで行ってしまった。あまり愛想の良い態度を取らなかったから懲りてくれただろうと思ったのに、こうして今日もまた臨也に寄って来る。世界に偏りのある臨也と話して何が楽しいのか分からなかった。ただ、臨也が何か喋るたびに嬉しそうに笑う。本当に不思議な子だ。

「臨也さん、普段は何してる人なんですか? 学生?」
「……別に、何もしてないけど」
「じゃあフリーターさんなんですね」

なるほど、そういう言い方もできるらしい。嫌味なく嫌味なことを言う子だった。臨也が水を撒くのを嬉しそうに見ながら、綺麗ですねと笑う。

「俺には、ただの茶色い地面に見えるんだけど」
「ああ、そっちじゃなくて、私が言ってるのは水のほう」
「水?」

ますます意味が分からない。十分地面を湿らせたのを確認してから水を止める。ホースを全て撒き終えてから手をタオルで拭いていると、沙樹はまだニコニコと笑っている。

「今日、天気がいいですよね」
「え? ああ、うん、そうだね」
「だから、水がキラキラ光るんですよ。日光を反射して」

次の仕事は肥料撒きだ。本当は水を撒く前にやるはずだったのだが、うっかり順序を逆にしてしまった。まあバレなければいいだろう。別に見張られているわけでもないし、最後に辻褄が合えばそれでいい。








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アグリーワールド


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